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時の海辺

「久しぶり」
尚はそう言ってニカっと笑った。
私はちょっとびっくりして一瞬動きが止まってしまった。
「…久しぶり。…だっけ?」
あれ?尚に会うのはいつ以来だろう。
ついこの前会ったような気もするし、もうずいぶん昔のような気もする。
戸惑いが表情に出ていたのか、尚はそんな私を見てさらに笑い顔になる。
「実際顔を見合わせて会うのは久しぶりだよな。でもずっと見てるんだぜ」
「うん。知ってたよ。尚が見てるの知ってた」
私の口が勝手にそう言ったので、私は自分でびっくりした。なんだか自分の中に2人いるみたいだ。何にもわかってない自分と、何もかも知っている自分が。
口が勝手にしゃべる自分を、もう1人の何もわかってない自分が面白そうに眺めている。この子は次に何を喋るんだろうって。
「なんか大変そうだよね、最近。」
尚が笑いながら言う。
「ああ、そうなんだよ。けっこう取り込まれちゃってね。」
私の口が勝手に言う。
「一旦渦の中に入ると出づらくなるもんなー。」
まさにそれ、と私は苦笑してうんうんと頷く。
「もっと喜びの中で生きればいいんだよ。」
尚は眩しい笑顔でそう言った。
それを聞いて、今度は何もわかってない自分が反応する。
「喜びの中で生きるって何よ?そんなのどうやればいいのよ。」
言いながら胸の奥から突き上がるような赤黒い渦が盛り上がって私の喉を突き上げる。私は怒りと涙が上に上がってきたのを知る。
「やー、やっと出てきた。」
尚が余裕がある表情で笑いながら言う。
「そうだよ。押し込めないでそうやって出して仕舞えばいい。我慢なんてするな。」
尚は私の目をまっすぐに見て言う。
その目はだんだん近づいていっぱいになって、私は尚の目の中にいるみたいになった。
いつか北海道に行った時に見た、なんとか湖の青い青い色のような。
周りに白樺の白く細い木々が立ち並び、湖はグリーンと青のグラデーションになって。
私はわんわん泣いていた。ぼろぼろ泣いて泣いて、声をあげて泣いていた。喉が破れるかと思った。破れてもいいと思った。
体中が泣き声になっていた。
気付くとあたりはその風景になっていた。
我に帰ると私はぱたっと泣き止み、尚?と呼びかけた。
耳を澄ますと、あたりはかすかな鳥の泣き声や自然の風のささやく音に囲まれていた。
私の心の中だと思った。
尚の目の中で、私の心の中だ。
私の中でぐるぐるしていた赤黒いものが外に出て行った。そしたらこんな風になったんだと思った。
尚の声が響いてきた。
「喜びの中で生きろ。えりか。日常を楽しめ。今だけだぞー!」
私は胸がいっぱいになって、
「尚!」尚!と叫んだ。

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