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インドネシアに留学していた時の話①

こんにちは。

第3波が少しずつ収まりつつある最中ではありますが、海外旅行・国内旅行も思うようにはいかないこの世の中。
過去に自分が赴いた土地についてオススメすること、またこのコロナ禍がいつかは終わると信じて、次はどこに行こうかな、なんて考えていただくこともまた一興かな、と思いまして…
留学していたインドネシアのことを写真で振り返りつつ紹介する!というのに今日はチャレンジしてみようと思います。

といいつつも、まず留学に至った背景やおそらくすでに2年ほど経過していることから、すでに変わってしまっていることもあると思うので、それも踏まえて、ご存知の方がいらっしゃれば、教えていただければ、なんて淡い期待もしております。

トップの写真は、バリで撮った一番お気に入りの海の写真です。

今回は、留学に至った、背景紹介をします!
1.なぜインドネシアを選んだのか?
大変お恥ずかしながら「英語の必要なスコアが低かったこと」と「4年で卒業するのに適していたこと」、「ゼミの教授に第3言語は東南アジア圏がいいよ」と勧められたための3つが理由なんです。

一つ目の理由が酷すぎるのですが、4年で2学部卒業することだけはどうしても達成したい目標としてあって、それに加えて留学も…となると、自分の既に持っている英語能力に少し加える程度しか頑張ることが当時は出来ない、と判断したためです。
本当は2学部卒業することのほうが優先順位が上であったため、留学する予定はありませんでした。しかし、大学2年の前半でゼミを選択したゼミ面接の際に、その教授から「これからの時代は第3言語として東南アジア圏の言語をもっておくといいよ」と言われたことを鮮明に覚えており、そのことから留学への興味および東南アジア諸国言語への興味が湧きました。なぜか同じタイミングでインドネシア語を履修していたこともあり、ぼんやりとインドネシアっていいかもしれない…と思いました。
その他、いろんな制約があり、「交換留学×インドネシア×4年で絶対に卒業」という選択をするに至りました。

2.インドネシアのどこに留学していたのか?
そこで辿り着いた土地が「スラバヤ」という街で、割と日本人の方も多く海外駐在をされている場所となります。実際に領事館もあり、行って早々英語が通じないことにたじろいだ私は、そちらにいらっしゃる日本人の方や日本語の通じるインドネシア人の方に非常にお世話になりました。

※以下にスラバヤの場所を示しておきます。
東ジャワの中心地で海に面している土地です。

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3.何を現地で学んでいたのか?
現地では履修していたのは会計や経済などを履修しておりました。日本人も発音はクセがあると言われますが、スラバヤについてはインドネシア語においても「スラバヤ弁」と言われるほどかなり癖の強い地域。
英語の発音のリスニングも慣れるまで1カ月半ほどかかりました…
ましてや「スラバヤ弁」については習得することなく帰ってきてしまいました。
また卒論をインドネシア関連で書いていたので、卒論を書くためのフィールドワーク等もおこなっておりました。

4.どれぐらいの期間留学していたのか?また何が向上したのか?
期間としては5か月間になります。1セメスターというものです。時期としては4年の後期に行くチャレンジャーなことをしておりました。(交換留学や就職活動、奨学金の手続き等からこの時期しか選択肢がありませんでした。)

正直インドネシア語については、授業で1学期間履修した程度で、その後は独学していたものの、なかなか現地の方と話すこともままならない状況から、Uber的なおじちゃんと会話できるまでには至ったので、少しは上達したのかな?と思います。インドネシア語検定は受けようとは思っているのですが、まだ受けれていません…(もう帰国して2年経っている&正式なインドネシア語を学んでいたわけではないので受けるなら勉強しなおし!)

英語で授業を受けていましたが、英語力自体はあまり上達しませんでした…(英語のスコアとして)ただインドネシア語よりはもともと英語の方が分かっている状態で留学をしていたため、英語で物事を考えていたり、気づいたら英語で話している状態の方が多かったです。

自分の中で向上したものは、「生きる力」と「精神力」は上がったと思います。
インドネシアでも気候や環境に慣れず、もともと身体を壊しやすいタイプだったのですが、インドネシアでは寝込んでも気持ち悪くても、病院にはいけますが、基本的には自力でがんばらなくてはいけませんでした。日本ほどはコミュニケーションもしにくい状況で自分の体調を説明したり、コンビニでほしい薬を伝えたりとしていると、周りの人が優しいので、なんとかして現地語のよくわかっていない日本人と話してくださいます。
こういう時は、こういう食べ物は薦められない~とかこっちの方がいいよ~と教えてくださったりして生きれました。

「精神力」については留学する人なら誰でもわかってくださるとは思うのですが、強くならないと生きていけませんでした。
「留学生」であることを理由に授業変更の連絡が来なかったり、グループワークで現地語を使われたり、テスト日程を変更されて最終試験を受験できなかったり、と様々なトラブルがありましたが、日本ではわかってくれるだろう~というようなことも権利を主張しなければ、本当に不利な立場になってしまい、嫌な思いもたくさんします。
たくさん泣くこともありましたが、全体として強くなれたかな、と思います。

今回はこんなところまでで、次回以降はインドネシアでのお出かけ履歴を写真で振り返っていきたいと思います。

終わり🌻




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