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エッセイ#3 人が喜んでたら嬉しいから、自分の事は

自分のことは後回しにしちゃう。ではない。



"自分のために"の思考がないのである。
決して後回しにしているわけではない。


”誰かのため”の日々


恋愛で言うならば、会いたいって言われたら
会いに行くし、お相手が好きなものとか
買って行っちゃう。

だって嬉しそうにしてくれるから。

友達が辛くて泣いてたら、深夜だって
大雨だってすぐに駆けつける。

だって楽しい時間を過ごしてほしい。


綺麗事に聞こえるかもしれないが、見返りも
求めてない。
まず「見返りがほしい」という思考がない。

友達でも恋人でも家族でも、好きな人たちが
嬉しそうにしてたら、その人以上に嬉しさと
愛おしさでいっぱいになる。

同じタイプの方、おそらくいると思う。
きっとサプライズとか好き。
多分わくわくしながらプレゼント買ってる。


でもふと思い返してみると
私はいつ自分のために何かをしているのだろうと。
そもそも自分のためにってなんだ。


ちなみに今回のエッセイで
「自分のためにってなんだ」の
答えは出ない。


私の原動力


信頼している友人に
「人の為にばかり生きている気がして、
いつ自分の為に生きているのか分からない」
と相談してみたことがある。

彼女は「それはすごく良いことだし、誰にでも
出来ることじゃないよ。

香菜がそうやって人を思えるから、みんなも
香菜のために何かしてあげたいと思うし、私も
ここにいるよ。

香菜の人柄がみんなを惹きつけてるんだよ。
それに、人に喜んでもらえることが
香菜の原動力
になってるんだと思う。」と
言ってくれた。

腑に落ちた。
好きな人たちが嬉しそうに楽しそうにしている
のを見ると、力が沸き上がってくるのだ。

”周りの人のために”が”自分のために”なっていたのである。


でもなぜそんな日々に


人のために何かをすることは自己犠牲を伴う。

会いに行くには時間と労力がかかるし、
物を買うにはお金が必要だ。
悪天候のなか向かえば、事故に遭うかも
しれない。

ではなぜ他人にそこまで出来てしまうのか。

愛だ。

そう、私は人に対する愛が計り知れない
ほど大きい。そして膨らむ。
相手を窒息させてしまうくらい
大きく膨らんでいく。

良くも悪くも、自分の好きをありったけの
言葉と行動で伝えてしまうのだ。


それでもやっぱり


それ故に過去に何度かフラれている。

正直、恥をさらしているようなもんなので
隠したい過去だが、noteではそんな部分も
積極的に出していくと決めている。
この話はまたいつか。


何度もフラれて命を絶ってしまいそうなほど
傷ついても、それでもやっぱり私は
誰かを愛する人生でありたい。
大好きな人たちの為に生きていたい。


でももっと”自分のために”も探したい。
欲を言うなれば、もう少しだけ
"自分のためだけに"生きていきたい。


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