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【ライブレポ】号泣・大江千里ピアノコンサート&あの頃と今の想い達

「音楽は想い出の栞」だとどこかで目にしたことがあるけど、名言。青春時代の「想い」が走馬灯のように蘇って号泣しながら浸った、大江千里さんの40周年ピアノコンサート@紀尾井ホール

あぁ、家に着いても泣きすぎて頭が痛い(中学生のようだ・・・)。
どれだけ大人の世界に疲れ果ててたんだかと苦笑い。

変わらないですね、千里さん

千里さんのCDを毎回買って、歌詞カードを何度も何度も読んで。メロディーと共に、言葉のひとつひとつを味わって。ピアノは弾けないけど「YOU」の最初のパートだけだけかろうじて練習して。「将来は作詞家になるんだ!」とノートにいっぱい、いっぱい言葉を書いて。そんな学生時代。

今でも文章を書くのは好きで、時々、友人から私の書く文章が好きと言ってもらえるのだけれど、「言葉」の原点は今でも千里さんの歌詞カード達。自分がドラマの主人公になったように風景に入ってしまうような言葉、背中をおされる言葉、甘酸っぱくてちょっと照れちゃうような言葉・・・。はぁ、言い出したらきりがない。

千里さんがジャズの世界に行かれてからも、NYに行く度に現地でライブないかな?どっかのバーで弾いてないかな?とか探していたけど遭遇できず、やっとやっと今日。生ライブで、ピアノソロコンサート。

一曲目から涙がポロポロ・・・。ピアノの音色が綺麗で、優しくて、楽しくて、いろいろなナンバーが様々に進化して奏でられ、人生経験全部ひっくるめての「僕の63歳の今の音楽だけどどう?」と言われているようで。。。「最高ですっ」。心底熟成した千里さんの音楽。ただの熟成でもなく、ただ昔からの曲を進化させただけでもなく、そこには千里さんが本当にいろんな想いや経験なさったんだろうなぁという音がした。大人になるということ、歳を重ねるということの本当の意味みたいなものを音楽を通して伝えてくれているような気がした。私も一時NYに住んでいたので、NYという街で「お前はいったい何者なんだ」と何回も問われ続けたからこそ出てくる音みたいに聞こえた。ジャンルとかいろいろ超越して、大江千里が辿りついた音楽の世界観。

多分、ノスタルジックな意味だけでなく、今の私に響いたのは、歳を重ねる意味のパートも大きいと思う。ざっくり同じような(昭和)世代が存在する意味みたいな部分。誰でもそれなりに経験を重ねてくると、仕事でもなんでも蓄積がある。方向転換したりする人、若い頃にやりたかったことをする人、いろいろ。ただ、いずれにしても、そのまま「出力」するのも、芸がないし、同じことばっかりだと飽きるし、(体力的にも)出来なくなってくるなぁと思うお年頃真っただ中の日々で、「千里さんはこんな風に”今まで”をアレンジして世の中に表現しているんだ。こんな風にお届けするデザインを変えたんだ。すごい。。。」歌わなくても、走り回らなくても、その部分のエネルギーを新しい別の形で伝える方法は必ずあるんだよと教えてくれるような。

私は、私の中の蓄積(経験・スキル・想い・いろいろ!)をどうアレンジして世の中にお届けしようか。もう「頑張ろう!」と声を張り上げなくても、忙しそうに走り回らなくても、あの頃より大人になったので、千里さんが今日教えてくれたので(💛)、いろいろ考えることにする。私なりのアートを、私だけのアートを。

さんきゅ~。

(MCより)

「苦しい時、前に進めないとき、ずっと音楽に背中を押されてきた」

「いつの頃か僕の音楽を見つけてくれてありがとう。そして今の生活の中ででも聴いてくれて会場に足を運んでくれてありがとう」

「また演奏しに帰ってくるから、また会いましょう」