「今日は冬」
朝、窓を開けると、昨日までと全く違う冷たい空気にめん食らった。
冬!冬!冬!
と意味なく連呼しながら洗濯物を干していたら、ベッドでごろごろ、起きるのを渋っていた長女が
冬?今日は冬?今日は、冬?
うーん、確かに今日は冬、だけどきっと明日も冬だし、ここからウンザリするくらいしばらくは、冬。
ほんの少しの言葉選びで意味はもちろん、伝わり方やニュアンスが違う。
四歳の彼女が発する言葉はまだまだ拙くて、不自由で、でも、だからこそ自由だ。
世の中の全ては言葉にするからこそ存在するのであって、それは分子だろうが感情だろうが、そう全て。言葉があるからわたし達は世界と自分を認知できる。
だがともするとそれに支配されているのでは、と時にわたしは思ってしまう。自分自身の話。
「ことば」にすると、もうそれはそれになってしまう。以上も以下もなくなる。
幼な子の発することばは、不自由だけど的確だ。素直だ、自由だ。
目に映るもの・感じるもの、自分の中の全てを「ことば」にしたい欲求に支配されている最近のわたしから見ると、なんだか羨ましい。
似たような理由で、今後子どもたちにどうやって文字を教えればいいのだろう、等も最近の悩み。まぁまだ興味なさそうなのでよし。
そんな今日は、冬。
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