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此比可奈子のおもふ事 ふたたび

 いつもお読みいただき、ありがたうございます。玉川可奈子です。
 ヘッダーの猫は、わが家のルル公です。

 ぎょさんネットさんから、ギョサンを買ひました。

 今回は、オリジナルギョサンです。三本鼻緒タイプにしました。

玉川のTマーク!
かかとには、鳥獣人物戯画プリント!

 さて、本題に入りませう。

 二条河原落書ではありませんが、前回のおもふ事に続き、今回もおもふ事を記しました。もしかしたら、気に障る表現等があるかも知れませんが、どうかご了承ください。

 いふまでもありませんが、夜討、強盗、偽綸旨は流行つてゐません。それぞれ、重罪で、殺人、強盗、公文書偽造にあたりますから、間違つてもしてはなりません。ならぬものはならぬものです。

 今回のおもふ事は、私の先生との対話によつて成り立つてゐます。
 先生はASDでしかもかなりの変人ですが、生真面目でとても優しい方です。変人ゆゑに、独身です。高橋一生似のイケメンなのに。
 私にしきしまの道(和歌=やまとうた)と日本学を教へてくださつた先生です。

 最後までお読みいただけたら幸甚です。

一、必要ならば

 某月某日、先生からおたよりがあり、お会ひすることとなりました。

 先生は甘党で、チョコレートがお好きです。

 手土産ではありませんが、チロルチョコをいくつか某コンビニで買ひましたところ、店員から聞かれました。

 「袋は如何しますか?」

さらに、

 「Tポ⚪︎ントカードはお持ちですか?」

 「ファミ⚪︎のアプリはお持ちですか?」

 面倒くさいナア。

 結論、持つてゐたら出します。必要なら言ひます。

 これ、マニュアルでもあるのでせうか。聞く方も嫌だと思ひますし、持つてゐればイチイチ聞かれなくても出します。

 「持つてるのに、聞かれなかつたから出さなかつた」

といふトンマな人向けにやつてゐるならば、何と無駄なことでせう。

 どこかのファミマで機械に、

 「Tポイントカードをお持ちでしたら云々」

と言はせてゐましたが、さうする方が賢いです。それでも、持つてゐれば出します。
 なほ、私はポイントカード類は嫌ひなので「一枚も」持つてゐません。その店に縛られる感覚や、店側の「お得」アピールが白々しくて鼻につくからです。

 また、ヨドバカシメラに行くと、店員が執拗にポイントカードを勧めて来ますが、

 「結構です」

の一言で撃退します。店員によつては、しつこく勧めてきますが。

 袋もさうです。欲しければ、「袋ください」と言ひます。

 仕事に、ムリ・ムダ・ムラは必要ありません。袋とカードを聞いてくるコンビニの店員さんはムダなことをやらされてゐて不憫です。そして、いちいち聞いてくることに大切なお客様がムダにムカついてゐることを現場にゐない人に知つてほしいものです。店員との意思疎通は、必要最低限にしたいものです。

二、鬱抜け

 待ち合はせ時間より十分早く、某駅の改札前に先生は現れました。先生は人を待たせることが嫌ひです。

 先生は私の顔を見るなり、

 「心の状況は如何?」

と私の体調を気にかけてくれました。先生は私が適応障害になり、メンタルクリニックに通つてゐたことをご存知です。

 メンタルクリニックや心療内科とは、精神系の薬を処方するところ、または診断書を出すところ…です。
 かつて私が通つた、某心療内科の(ヤブ)医者は、私の顔を見ないし、話も満足に聞きません。

 医者「お変はりありませんか?」

 玉川「あまり眠れてゐません」

 医者「では、薬を増やしませうね〜(毎度あり〜)」

この王道パターンの繰り返しです。
 薬が好きな人ならそれで良いでせう。しかし、それは薬に依存する体を作るだけ、医者の言ひなりになるだけです。

 上記のやうに、とにかく薬を処方しようとしますが、ある時から私はことごとく拒否しました。そして診察に行く度に処方を進められますが、その都度拒みました。副作用で、余計にひどくなつたからです。

 先生は、

 「精神科の医者は内科と外科の出来損なひがなるものだからね。実家が開業医でもなければ、大学にも残れない出来の悪い者がなる。だから、発達障害の種類さへ満足に知らない者も多い。DSM-5すらもよくわかつてゐないだらうね。臨床心理士や少年院の先生(法務教官)の方がまだまともに勉強してゐるよね」

と述べてゐました。

 二年前、藁にもすがる思ひで、某メンタルクリニックに行き、「適応障害」の診断書をもらひました。そこの医者は、薬を出すだけ、増やすだけの無能でした。

 何にしても、精神系の薬では「鬱抜け」は不可能です。副作用でますます悪くなるだけです。以下の書は参考までに。

 最近、やつと「鬱抜け」ができたやうに感じてゐます。昨年の五月半ばに適応障害を再発させてから、一年かかりました。うつ抜けにあたり、私はただ、好きなことをした。そして、それにこだはつただけでした。

 その好きなこととは、
 一、サウナに行く。
 二、時刻表を読む。
 三、しきしまの道(和歌)を探求する。
これだけです。

 サウナについては、月に二十五回は行つてました。そして行けるやうに努めました。行く時間、セット数などなど、ルーティン(習慣)化をすることで、精神の安定を図るやうにしました(内海聡氏によれば、向精神薬を解毒するのにサウナは良いさうです)。

 あとは、また過去と同じ状況にならないやうに、自分でコントロールすることです。面倒なことを上手に避ける。職場からさつさと帰る。人間関係を制限する。などなど。

 先生は、

 「自分の苦手な状況を上手に避け、好きなことをやる時間を増やす。それをこれからも実践して行きなさいヨ。医者は利用するものであつて、あいつらの言ひなりになつてはならない。私の父は医者に殺されたのだからね」

と励ましてくれました。

 私どもは、歩いてカフェ・バッハに向かひました。
 ところで、先生も反ワクです。

 「あんな危険なもの、打つたらいけない。表には出ないが、ワクチンの副作用で酷い目にあふ人がこれからたくさん出てくるだらうよ」

と、いつも述べてゐました。

三、参拝

 バッハに向かふ途中、今戸神社を参拝しました。例の白猫は、どこかに隠れてゐるのでせうか。私どもの前には現れませんでした。

参考 例の白猫
通称ナミちやん

 「縁結び」を求めて、若い女性の参拝客が数名ゐました。神前に拝礼をしてゐる若い人の中に、手を合はせてゐる人がゐました。彼らなりに神様の前に祈りを捧げてゐるのでせう。しかし、滑稽です。神社は寺ではないからです。私の知り合ひの神職も、神社で手を合はせてゐましたが、何とも滑稽です。

 合掌は仏教でやることであつて、神道の神様に手を合はせるものではありません。キリスト教の教会で、合掌してゐたら可笑しいでせう。かつて、神前でお経を読んでゐた時代もありましたが、神仏習合の時代は終はりました。

 マアその人らなりに誠を捧げてゐるのだからと幾歩か譲つたとして、それよりも滑稽、否、非礼なのはお賽銭を片手で投げ入れる人です。

 参拝を終へて先生は、

 「神は非礼を受けたまはず」

と、冷たく言ひ放ち、しばらく黙つてゐました。

 せめて、お賽銭は両手で献げるやうにしてほしいものです。

四、欠点

 カフェ・バッハに着きました。私はいつも通りインディアとバタートーストを、先生はイタリアンブレンドとチョコレートケーキを頼みました。
 ちなみに、バッハのチョコレートケーキですが、コーヒーに絶妙に合つて美味しいです。玉川のオススメです。

 美味しいコーヒーをいただきながら、先生は機嫌を取り戻されたのか、突然、妙なことを語り出しました。いつも変なことをいふ先生ですが…。

 大人(うし)ののたまはく、

 「AVを観てゐると、美人もゐるし、巨乳もゐる。そして、完璧といはれるやうな外見を得やうとして整形をする人もゐる。明日花キララや三上悠亜などは有名だが、明日花キララが完璧な女かといふとさうではない。明日花キララよりも体型が崩れてる子もゐる。おつぱいが垂れて、お腹まはりの肉付きが豊かな子もゐる。いはゆるデブだね。藤沢麗央つて子がゐるから調べてみな。しかしね、男の中にはさういふのが良いといふ者や、地味子が好きなのもゐるのだ。欠点が好きといふ人もゐるのだから、あまり自分が欠点と思ふことを気にする必要はないのだらうね。完璧を目指して整形しても、それでは抜けないといふ男もゐるのだから、評価など気にしないことだよ」

 「………(かういふ場所で変なこと言ふなよ)」

 念の為、先生のいふAV女優を調べてみましたが…。


 職場で完璧であることを求められ、また自らも完璧であらうと心の中で少しでも思ひ、些細なことを気にして、考へ込む私を救はふとしてくれたのかも知れません。

 つい最近も些細な失敗を気にしてゐました。それを察して先生なりに「そんなことは気にするな、可奈子は可奈子のままで良い」と言つてくれたのでせう。

 長所と短所は紙一重、といふことでせうか。先生の思ひ付き発言、中々重いです。
 なほ、先生は私のことを、

 「可奈子はサブカルクソ女ではないね。淫夢とかsyamuとか、変なのには詳しいけど、サブカルではなくハイカルだよ。ハイカルとはハイカルチャーで、古典的なものをいふ。エッケルマンの『ゲーテとの対話』でゲーテも言つてゐるが、健康的で良いことだ」

と述べてゐました。
 また「クソ女」については、

 「可奈子は地雷だけど、クソ女ではない。本当のクソ女とは、人を好きか嫌ひかで差別し、クソみたいなアイドルとか芸能人に夢中になり、自己管理はできない。私が私がと出しやばる承認欲求の奴隷。さらに男に媚び、一見仕事ができるやうに見えて、頭の悪いのに賢ぶる人のことだ。つまるところ、謙虚ではない者よ」

と定義してゐました。
 なほ先生は、上記のやうに私のことを

 「地雷」

と呼んでゐますし、私のやうな恋多き人を恋愛対象として見てゐません。マア、ある意味では楽です。

 店内に、先生と私の嫌ひな左翼老人の政治批判、芸能界の話題しかないつまらないおばさん連中の声(雑音)が響きます。先生は、両者を一瞥し、

 「くだらんね」

とつぶやきます。
 私は黙つてうなづきました。

五、ドラクエ行動

 先生とお話ししてゐて、完全に一致したことがありました。

 「作られたサウナブームの影響だらうね。いつもサウナが混んでゐる。以前は、空いてゐてサウナ室の外に並ぶこともなかつたが、最近は、特に土日はサウナ室の外に並ぶことも珍しくない。そして、普段サウナに入らない人も来るやうになつたからだらう、サウナ室内でのマナー面で目に付く人がゐる。サウナ室内でタオルを絞るのもゐれば、酷いのになると汗を飛ばしてくる。そして、もつとも苛立つのはドラクエ行動だな」

 なほ、先生はいはゆるサウナーです。サウナブームが来る以前からサウナ通ひをしてゐるツワモノです。

 私が特に気になるのは、席を詰めない人、集団行動をして五月蝿い人(いはゆるドラクエ行動)です。席を詰めない人とは、狭いサウナ室を広々と使つてゐて、人が来ても詰めない人です。電車で、足を広げてゐる人(特に男)を想像するとわかりやすいでせうか。

 サウナに限らず、男女問はずドラクエ行動は本当に嫌ひです。集団でゾロゾロと行動してゐて、ボソボソ五月蝿く、落ち着きがありません。
 ドラクエ行動をする連中は、水風呂に行くにしろ、お風呂に入るにしろ、全てパーティで行動します。そのやうな全てパーティで行動するところからドラクエ行動と呼ばれます。残念な人たちです。お店にとつては儲けになるので、多人数で来るなとは言ひませんが、せめて、静かにする、状況に応じて単独行動をするなど、頭の良い行動をしてほしいものです。

 これをいふと一部の人から、「寂しい人」「常連マウント」「集団行動ができない人」などとレッテル貼りをされます。集団で行動するもつと寂しい情けない人に言はれたくありませんね。それに、ドラクエ行動をするやうな友達なら別にゐなくて構ひません。また、ドラクエ行動をするやうな男(要は群れる男)とは間違つてもお付き合ひしたくありません。ダサいですから。

 ただし、ドラクエ1のやうなドラクエ行動は例外です。ドラゴンを倒してくれて、お姫様だつこでラダトームのお城まで運んでくれます。ガライの墓のやうな鬼畜ダンジョンにたつた一人で立ち向かひます。集団でサウナに行くやうな者と違ひ、真の「ゆうしゃ」です。

 ちなみに、先生はドラクエ行動をする人を「社会のモブキャラ」と言つてゐました。

六、仕事ができる人

 先生は、

 「さういへば、試験を受けたんだつて?如何だつた」

と、私の試験結果について気にかけてくださいました。この試験、出世の階段を上るためのものでしたが、結果は落ちました。私はこの結果について、落ち込んでませんが、先生は次のやうに言ひました。

 「やつと、誰かから『押し付けられた未来』から解放されて、自分の望む道(タオ)を進むことができるね。激務と引き換へに高い地位に上つても、可奈子に良いことは一つもない。承認欲求が少しばかり満たされて、他人からの見栄えが多少良くなるだけだ。そんなものは道(タオ)に反してゐる。可奈子が望んでゐるのは、やまとうた、それに旅とサウナ、何よりも自分らしく生きることなのだから」

 さすが、先生。私の心の中を読んでゐました。

 「仕事ができるとかできないとか、さうした評価を求め自分を見失ふのは惨めなことだ。それに、仕事ができるといふ評価は、評価者にとつて都合が良いといふことなのだ。なんと傲慢な考へだらう。仕事など、できなくて良い。それより、自分が好きなやうに生きることの方が重たい」

 先生の言葉が胸に響きます。
 ところで、先生に熱波師になりたいといふことを伝へたところ、

 「良いね。やつたら良い。公務員は稼ぎが良いだらうけど、それは本当に可奈子がやりたいことではないからね。人生は、常に何かを発見する旅なのだから、好きなやうにやつてみなさい」

と言つてくれました。
 先日、とあるサウナで、若い女性の熱波師がアウフグースをしてくれました。その姿はまるで遍照の、

 天つ風 雲の通ひ路 吹き閉じよ をとめの姿 しばしとどめむ

のやうでした。
 サウナの中で舞ふをとめの姿、美しく、そしてやつてみたいと思ひました。この記事をお読みくださつた方で、その道に詳しい方がをられましたらコメントください。お願ひいたします。

 一時間ほどの滞在でカフェ・バッハを出ました。先生は用事があるといひ、近くのバス停から上野駅方面へ帰つて行きました。

 そして別れ際、先生は私にかう述べてゐました。

 「可奈子は、『自分は優しい人である』といふことさへ忘れなければそれで良い」

 泣きさうになりました。先生は仏教嫌ひですが、まるでダライ・ラマのやうでした。

七、おはりに

 「困つてゐる時に、手を差し伸べてくれる人が真の親友であり、師である」と先生は以前述べてゐました。まさにそのやうな人、真の師です。

 後日、先生にお礼状を書いて送つたところ、「直感で会ひたくなつたので、手紙を書いた。気が楽になれば幸甚幸甚」と返事がありました。先生は本当に行徳哲男さんのやうな感性の人です。

 今年の正月から三月末までの日記を読むと、「辞めたい」とか「辛い」とか「報はれない」といつたことがたくさん書かれてゐます。今は前に比べてかなりマシな状況ですが、先生は私に原点回帰の重要性を説いてくれたやうに思ひます。
 そして、その教へは『老子』に基づいてゐました。

 嗚呼、有難きものとはこのやうな先生の存在です。心の中、ぬくぬくです。

 最後までお読みいただき、ありがたうございました。

 宣伝になり恐縮ですが、日本花卉文化株式会社様のマガジンに、「草木と生きた日本人 東国人と花」を書かせていただきました。あはせてお読みいただけたら幸甚です。

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