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まつのことのはのたのしみ その八

 いつもお読みいただき、ありがたうございます。歌人(うたびと)の玉川可奈子です。
 久し振りの「まつのことのは」シリーズです。どうか、最後までお付き合ひください。

 いきなりですが、さとう宗幸さんの「青葉城恋唄」を知つてゐますか。とても素敵な歌で、私もすごく好きです。仙台の人を羨ましく思ひます。

 そして、この歌には、ある特徴があります。

 それは、「青葉城恋唄」なのに歌詞の中に青葉城が出て来ないことではありません。答へは、歌詞のすべてが大和言葉なのです。

 大和言葉には人を癒す効果があります。実際、大和言葉で作られた歌詞は優しく、個人差はありませうが聴いてゐて心地よいものがあります。そして、単純で素朴でも、そこには言ひ表し難き美しさがありませう。

 もし、ここに漢語が入つてゐたら、「青葉城恋唄」はきつとここまで名曲にならなかつたのではないかと私は密かに考へてゐます。なほ、同じやうな例ですが、ビリーバンバンの歌も大和言葉を多く用ゐてをり、聴く人の心を癒します。

 さて、時は明治時代。野球好きで知られる正岡子規や、楠公の「青葉茂れる」を作詞した落合直文(この人は、国学を学んだ人なのに、伝統を無視するやうになつてしまつたのは残念なことです)は、和歌革新運動を起こします。

 「歌を一部の人たち、さう貴族や公家たちの独占物ではなく、多くの国民ができるやうにしよう。それには、言葉の縛りなどを解き、もつと自由にしよう」

 さうした結果、生まれたのが現代短歌です。彼らに伝統を破壊する意図も、悪意もなかつたでせう。しかし、結果として確かに「短歌」は若者や国民に広まつたでせう。しかし、それはあくまでも現代短歌としてであつて、決して古くから伝はる言葉と心の伝統に連なる和歌ではありませんでした。

 私の先生は、「和歌に外来語(漢語)を使つてはならない」と厳しく戒めてをられました。「やまとうた」である以上、大和言葉でそれは作られなくてはならないし、漢語のやうな堅苦しい言葉はどうしても和歌には馴染みません。

 さういへば、『老子』の中には「天地長久(天長地久といふ場合もあります)』といふ有名な言葉があります。これが元になり、天皇陛下のお生まれになつた日は天長節、皇后陛下のお生まれになつた日は地久節と申し上げますが、この「天地長久」を歌の中に詠み込んだ人物がゐます。
 それが大伴旅人、さう『万葉集』を編纂したと考へられてゐる大伴家持のお父さんです。旅人は次のやうな歌を作つてゐます。

 み吉野の 吉野の宮は 山からし たふとくあらし 水からし さやけくあらし あめつちと 長く久しく 万世に 変はらずあらむ 御幸の宮
 反歌
 むかし見し 象の小川を 今見れば いよよ清けく なりにけるかも

象川

 この歌は、吉野行幸の際に作られましたが、奏上されることはありませんでした。『万葉集』の巻第三に収められてゐます。

 彼は見ての通り「天地長久」といふ言葉を「あめつちと 長く久しく」といふやうに大和言葉に変換したのでした。これが和歌の本質です。外来語をそのまま使ふのではなく、わが国の言葉に変へてしまふ、そこもまた和歌の面白みだと思ひますがいかがでせう。

 和歌は先例を大切にし、それに縛られます。先例を重く見てゐるから、同じやうな発想の歌や似たやうな類歌が歌集にはしばしば出てきます。現代短歌は先例の縛りから和歌を解放しましたが、それは決して過去の伝統に連なる和歌とは言へませんでした。究極的に、和歌と現代短歌を区別する点はそこにあるのでせう。心は言葉に通じ、言葉は心と通じるからなのでせう。

 なほ、どうしても前回挙げた東大寺を歌にしたい、と思はれたら歌にその言葉を入れず「題詞」に「東大寺を詠む」などとしてください。「題詞」とは、歌の題のことです。

 ※和歌に限らず、伝統は全て先例によつて成り立ちます。私が最初に歌を覚えることをお願ひしたのは、言葉の先例を知つていただきたいからでした。先例を無視したら、それは和歌ではないのです。

 最後までお読みいただき、ありがたうございました。
 ※楠公の歌はこちらに書きました。

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