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「ほぼ日の塾」に落ちたことと、これからのことを(お知らせ)

わたしにとって「切実」とは、なんだろう。

ここ数日、そんなことを考えていた。というのも、こっそりと(別に誰に隠れることもないのだけど)応募していた「ほぼ日の塾」への参加が叶わなかったことが原因である。

「ほぼ日の塾」とは、糸井重里さん率いる「株式会社ほぼ日」のコンテンツの作り方について教わることのできる機会のことである。ほぼ日が、糸井重里さんが好きで、そして書くことを仕事にしたいと思って、なんとなく願い続けていたくらいだったわたしは、ずっと二の足を踏んでいた。

今年の秋、5期生の募集がかかった。この1年、こうして自分のことを書くことをはじめて、俳句に改めてしっかりと取り組むことを決めて、ようやく文章と自分の距離が近くなった今、今だと思ったのだ。

「ほぼ日」のことばが好きです。コンテンツを構成する「ことば」がとても魅力的だと感じます。この楽しくって暖かいことばのやりとりが、こどもたちの環境でもあったらいいのに、というようなことを、現在の仕事につくようになり考えるようになりました。
たとえば人間関係をつくることが苦手なこどもが「ことばあそび」を通じてちょっと毎日が楽しくなるようなことができればと思っています。そのツールとして『俳句』を取り入れてみているところです。
ことばをかわしあえる明るい雰囲気のある、そんな居場所をつくるには具体的にどうすればいいのか。「ほぼ日の塾」で、みんなが楽しい気持ちになれる「ことばの使い方」について、学びたいと思っています。

「ほぼ日の塾」に応募した、わたしの動機、原文そのままである。落ちたし、今思えば当然のことながら、落ちるだろう。志願するひとたちはすでに文章を仕事にしていて、その中で自分のやり方を探しているひとたちばかりなのだから、これは落ちる。蚊帳の外からこんなぼんやりしたことを言っていても、叶うはずもない。

だけれど、参加できないことを知らせるメールをいただいたときは、それなりにショックを受けた。なぜなら、わたしはほぼ日の大ファンだったから。選考結果を伝える文章はとても長く、誠実だった。読むうちに、わたしは、じわじわと体温が上がるのを感じた。

ほぼ日の永田さんによる文章の中には、今回の選考の基準について非常に丁寧に色々と書かれていたのだけど、なかでもこの言葉がわたしの海の中にすっ、と沈んでいった。

ほかに、もっと、書くことやコンテンツをつくることに関して
切実な状況にいる人たちがいたのだと
思っていただけるといいのではないかと思っています。

わたしよりも、文章を書くことに対して「切実」なひとたちがいる。こんなふうに、自由に感覚を言葉に乗せているのは楽しい。仕事ではないけれど、わたしにとっても文章を書くことは「切実」だ。日常の戯言を書き留め、俳句に作り上げて、他愛もないけれど書かないと消えてしまう今の実感を書き留めていくことをやめることはできない。

いろいろとぐるぐると考えていて、決めた。「書くこと」を深く学んで、仕事にしよう。そして表現活動としての「書くこと」もやめないで、自分にしか残せない、かけがえのないものを、いつか作り上げる。

これまでは日々のことを思いのままに綴り、コンセプトを作らずにきたのだけど、ちょっと、わたしらしい、形を作っていこうと思っている。

具体的には、ふたつのことをしたい。

俳句を続けていくために、文章を書く。俳句でわたしがやりたいのは、日常の写生だ。俳句に付ける文章は、季語について自分らしく向き合っていくものにしたい。

いつか小説を書きたい。今のわたしが出会っている、数々の愛、を書き留めておいて、いつか長い文章にまとめる。その時がいつか来たら、よかったら、みなさん、読んでください。それまでは、ここで書き留めていくので、変わらず、よかったら、みなさん、読んでください。こちらは個人的な内容を含むので、少額ですが、有料ページにしたいと思っている。なので、もしよかったら、よろしくお願いします、という気持ちです。

noteをはじめて、もうすぐ1年になる。この1年、わたしの人生は、大きく変わった。おもしろい、これからも、どんどん動かしていこうじゃないか、とわくわくしている。たくさんの素敵なnoteユーザーのかたがたとの出会いがあったから、ここまで書き続けることができました。みなさん、ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。

さあて、12月だ。いろいろ準備をはじめなければ。

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