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2005年 北京

2005年の一年間だけだけど北京にいた。

2005年の1月後半東京の羽田空港から家族に見送れ知らない土地、勉強していたくせに全然学習できてなかった中国語。

完全に勉強不足で北京の地に降り立った。

夏は茹だる程暑くて冬は指の先まで凍るような寒さ、とにかく泥臭くて情熱的な国民性。
春節が近かったので街中では爆竹の破裂音が一日中なっていてすごい国に来たなぁと思っていたと思う。

中国に興味を持ったのは僕がまだ高校生の狭いコミュニティで生きていたころ。

きっかけはゲームである。

当時セガが出していたドリームキャストで発売されていたシェンムーというゲームにハマりにハマってしまいしまいには中国に留学を決めるほどハマりにハマった。
(シェンムー3が2020に発売されて大興奮の年です)

ネットもそこまで発展してなかった当時とくに前調べもせず北京に留学したい!と親に言った時は反対されたけどなんやかんや行かせてくれた母には感謝しかない!ありがとうマミー!

実際行ってみるとみんないい人で食べ物も美味しく(当時ダンボール餃子が日本で報道されていたけど気にせずなんでも食べました笑)特に腹を下すことも無く食べるモノなんでも美味しいと思って過ごしてました。

途中で中国語は喋れるだけで良いやと思い学校行かなくなったりしたけど同じ寮内の友人達と話しているだけで楽しかった。

そういえばタバコ覚えたのは中国です笑

写真を撮ると言う行為で飯を食べていくきっかけをくれた国でもあるので完全に「ここが私のアナザースカイ」状態でもある。


当時同時期に留学していた仲間の1人に某大陸番組を作っていた人が居て、
その人が中国の田舎の写真を見せてくれたのだけど19歳の僕には衝撃すぎるくらい綺麗で写真てすごいなぁ!と思いそのまま写真で食ってくぜ!!と今思えば歯が解けて無くなるくらい甘いケーキくらい甘い。

しかし三日坊主で終わりそうな感じで始めた割に意外に生一本で今ちゃんとご飯を食べて行けてると言うのに驚きである。
守破離の心で頑張ろう。

当時19歳の僕の心をぐわんぐわんと震わせた国「中国」の状況は今は決して良いとは言えないと思うけど国の進化するスピードと人々の熱い情熱は何も変わってないと思っている。

この状況が落ち着いたらまた旅行で北京に行こう。

実は香港も好き。

※写真は当時撮り溜めたものの一部です。

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