11月2日は「読書週間『、と。の世界』」

『、』が家出した日は『。』は自分の仕事をしていた。つまりはしっかりと『。』の役割を果たしていた。

しかし『、』がいなくなったことに気が付いたとき『。』は何のために文章に『。』があるのかが分からなくなった。はじめて自分という存在が分からなくなった。

『、』はこんな文章を残した。

これ以上ぼくは文章をとめたくありません。それが良かれ悪かれぼくはもうこれ以上はむりです。より責任感のある仕事をしている『。』には尊敬しかありません。ただただぼくにはむりでした。

『、』がない分その文章は読みにくいものだったが『。』だけはきちんと使われており余計に『。』は余計に悲しくなった。考えても仕方ないとうか今まで考えてたこともなかった。果たして自分が『、』と同じく家出をすればどうなるか。
それは明白で『、』が家出したその日から日本中の文章が読みにくくなった。国語で音読のため当てられた児童は途中で突っかかり上手く読むことができなかった。そして自分まで家出すれば……。

『、』がいない世界で『。」は必要だろうか。いっそのこと『、』も『。』もない世界というのはどうだ。我々の仕事は裏方の地味な仕事だ。ひらがなさんやカタカナさんの形は美しい。
そして漢字先輩などは一つでなんと意味があるそうだ。信じられないと『、』は言っていた。ぼくらは所詮ただの『、』そうしてただの『。』だろ。人間が気まぐれに打つだけだ。なんの意味もないよ。それを聞いたとき何も言い返せない自分がいた。

『、』を探しに行こう。自分たちには自分たちの意味があるはず。これ以上音読をする子供たちを苦しめちゃかわいそうだ。そう決心した。

11月2日は「読書週間」


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