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10月12日は「豆乳の日」

豆乳を前にすると、おからは産業廃棄物なんだと言った人のことを思い出す。ちょうど一口飲んで、口のなかで豆乳の味が広がりきってもう豆乳にはこれ以上の広げる力はありません、くらいのタイミングで言ってきたので、今でも豆乳を飲むたび思い出す。

仕方ないので、この事実を今一緒に生活している同居人に告げることにする。わたしの心にはこのおからは産業廃棄物という、なんとも言えない「え、そうなんだ。まぁ確かに言われてみればそれっぽい色」と思ってしまう感じを今の同居人と共有したかったのが正直なところだ。

作戦としては、豆乳を勧め、同居人が飲み、その口の中に豆乳が行き渡った状態でカミングアウト。どうだこの作戦、というかわたしが食らった作戦そのままだが。

「豆乳飲む?」

「調整? 無調整?」

予期せぬ返事の戸惑うわたし。調整? 無調整? 何が?

「えーっと、豆乳的に準備万端ってこと?」

笑いながら同居人は「調整豆乳か無調整豆乳かってこと。書いてあると思うよ」と告げた。

わたしははじめてこの世に調整豆乳と無調整豆乳があることを知り、何をされて調整豆乳されたのかが気になった。きっと博士に頭をいじられて、何を言われても「豆乳はおいしいよ」と笑顔で言うように調整されているのだ。恐ろしや、調整豆乳。

わたしは自分が飲んだ豆乳を見てみた。そこにはしっかりと無調整豆乳と書いてあり、安堵した。よかったな、博士に調整されてなくて。

そうしてわたしはこの豆乳は無調整豆乳だと同居人に告げた。すると同居人は、

「あ、じゃいいや。なんか独特でしょう。無調整って」

と言った。

……独特

そうか、無調整豆乳は調整されていないから、かなり癖が強いんだ。口当たりも独特だものね。クラスに一人はいて、将来の夢を書くときは「詩人」と書くタイプの子で、先生も苦笑いのタイプの子だ。

だけど、わたしは無調整豆乳を応援したい。これからは無調整豆乳を選んで飲もう。

そうして、同居人にはおからは産業廃棄物という衝撃の事実を伝えられぬまま、わたしは二杯目の無調整と向き合う。

10月12日は「豆乳の日」

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