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時間切れ!倫理 142 キリスト教

 徳川時代は禁止されていたキリスト教が、明治になると解禁され明治初期には大きな影響力を知識人階層に与えていました。武士の時代が終わり、どのような思想を拠り所にしたらよいのかわからなかった武士階級の一部にとって、キリスト教が持つストイックな一面が魅力的に写ったようです。また欧米文化を学びたいと考える人々にとって、キリスト教は欧米文化の核心に近いものとして魅力を持ったと思われます。明治の文化人は、キリスト教徒として知られていない人でも、細かく見ていくとどこかでキリスト教の宣教師や牧師に触れている人がかなりたくさんいます。ここで紹介するのはキリスト教徒として有名だった人々のみです。
 新島襄は明治初期のキリスト者として有名な人です。同志社の創設者です。この人は幕末に函館から密航してアメリカに渡り、アメリカで学びながらキリスト教徒になった。明治時代になり密航の罪も許されて、正式に留学生と認められます。キリスト教の伝道師のような立場になって日本に帰り、京都に同志社を作る。これは発展して大学になっていきます。非常に人格的魅力があった人のようで、同志社に入ってキリスト教徒になった人は多い。
 植村正久は横浜でキリスト教に触れ、日本プロテスタント教会の中心的指導者となった人物。
 新渡戸稲造は5千円札の肖像になったので、私もその時初めてこの人を知りました。この人はキリスト教徒というよりは『武士道』という本で有名です。英語が堪能で国際連盟事務次長になる。国際連盟の事務方のナンバー2です。国際社会でこれほど重要な地位に就いた人はまだいなかったので、日本人としては誇りだったわけです。
 新渡戸は、欧米諸国の人から、キリスト教国ではない日本の宗教観はどうなっているのか、倫理観はあるのか、というようなことを言われた。それでキリスト教徒である新渡戸が、キリスト教国ではない日本にも立派な倫理があるのだと、武士道を英文で紹介した。現実の武士のあり方よりも、かなり盛っていて、武士道の綺麗な上澄みだけを紹介している。それを読んで欧米人は「ほーっ」と感心した。やがてそれが逆輸入されて、日本で紹介された。これを読んだ日本人が、武士道はそういうものだったのだ、とまた感心した。
 新渡戸稲造は武士だったかもしれませんが、江戸時代に武士は日本の人口の1割にすぎません。だから武士道と関係あるのは日本人口の10%にしか過ぎないけれども、この本のせいでなんとなく日本人はみんな侍の子孫のような気がしていますね。侍ジャパン?嘘つけ。90%は農民ジャパンだよね。

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