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時間切れ!倫理 119 明恵、叡尊、忍性

 鎌倉時代に生まれてきた新しい仏教のグループに対して、南都六宗と呼ばれた奈良時代から続くならの古い仏教はどうだったか。
 教えとしては昔のままなので、特に新しいことはなおでしが、人物としてユニークな活動をした人たちがいます。三人紹介します。明恵(みょうえ)、叡尊(えいぞん)、忍性(にんしょう)の三人です。
 明恵は法然と同じ時代の人で、法然の浄土宗を激しく批判しました。彼の著作である『摧邪輪(ざいじゃりん)』は法然を批判したものです。
 他に『夢記』という本も書いていますが、今はこちらの方が有名です。明恵は自分が見た夢を数多く記録しています。それが『夢記』です。この授業の最初の頃に心理学の話でユング派を紹介しました。ユングを日本に紹介した河合隼雄さんが、この『夢記』をユング心理学の立場で分析した本を書いています(『明恵 夢を生きる』講談社+α文庫,1995)。わけのわからない夢をユングの解釈で読み解く。これが面白くて、話題になり、このおかげで今は明恵が有名になっています。本屋さんで精神分析や心理学のコーナーに行くとたぶん置いてあると思います。
 叡尊と忍性は今でいう社会福祉活動をしたお坊さんです。叡尊は宇治橋の修繕などで有名。さらに被差別身分であった非人と呼ばれる人たちの救済活動もしています。
 また「殺生禁断」と言いました。当時は源平合戦の時代ですから、戦があちこちであって武士が人を殺すのは当たり前の時代でした。その時代に「殺すな」と言った。仏教の思想でいえば殺生は当たり前の話なのですが、時代状況を考えると当時の日本社会ではユニークな発言だったのだと思います。入試に出るほどではないかもしれませんが印象的なので紹介しました。
 忍性は叡尊の弟子で、身寄りのない病人・老人の救済施設の運営をしました。特に昔は非常に忌み嫌われたハンセン病の患者たちの死を看取る、現在で言えばホスピスのような施設を作って活動したことで有名です。20世紀の日本でも、治療法が確立し感染もしないのに、ハンセン病患者は、隔離されて非常な差別にあってきました。そのことを考えると今から800年前の忍性の行動は驚きです。同時に、こういう運動が個人の単発的な行為でおわってしまって、組織的な運動として続いていかないことも注意すべき点かと思います。


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