見出し画像

【花譜考察】彼女はなぜバーチャルシンガーなのか?

自らをバーチャルシンガーと自称する花譜。

確かに彼女は3Dモデルを使用しているし、Vtuberシーンを代表するバーチャルシンガーだ。

しかし、それだけが彼女をバーチャルシンガーたらしめているわけではない。彼女のバーチャル性はもっと奥深い。

本記事では彼女はなぜバーチャルシンガーなのか?という部分について考察する。

花譜とは何か

以下は配信サイトのアーティストページのプロフィールである。

日本の何処かに棲む何処にでもいる何処にでもいない16歳。 様々な偶然により発掘された奇跡的な歌声を持つ次世代型フィメールシンガー。 2018年10月18日、 バーチャルアーティスト・バーチャルインスタグラマーとして仮想世界を拠点としながら現実世界での活動を本格開始。 圧倒的に透明感のある独自の世界観を作り上げている。
引用元

実は花譜のプロフィールは一貫している。
日本のどこかにいる
うたをうたう
この部分は初期から徹底して記述されているプロフィールだ。

・twitter

かふといいます。にほんのどこかにいる16さい。うたをうたいます。■2020/3/23「不可解(再)」@ ZeppDiverCity→https://note.com/futashika/n/n9e8df7aa90cd ■Instagram: http://instagram.com/virtual_kaf/

・instagram

花譜
かふです。
にほんのどこかにいる16さい。
うたをうたいます。
Twitter:@virtual_kaf
2020/3/23「不可解(再)」@ ZeppDiverCity
tpnnbykaf.booth.pm

このように日本のどこにでもいて、どこにでもいないというスタンスが貫かれていることがわかる。この部分から花譜が花譜である重要な要素であることが窺える。

私はこの部分こそが花譜がバーチャルである本質であると確信した。次章にて、さらに考察していこう。

実在の中に現れる虚像として

ところで、花譜を特徴付けるものとして、現実世界との融合が挙げられる。

花譜はほとんどの動画や写真において、現実世界を背景に存在している。これは他のVtuberにはあまり見られない特徴だ。

それを最も分かりやすく表現していたのがインスタグラムだ。

くるはずがない君からの電話。

渋谷公衆電話

せかいはきみのもの。

ウェアハウス川崎

これらのインスタグラムの中で花譜は様々な表情を見せてきた。人込みの中に忽然と現れる一人の少女。東京という大都会の喧騒が彼女を覆っている。まるで幻想のような少女の姿からつい目が離せない――花譜がもたらすこのようなインスピレーションが多くの観測者の心を打ったことは疑いようもない。

このように花譜は常に現実世界のどこかに存在している。それは渋谷だったり、川崎だったり、多摩地方だったり。必ず花譜は私たちが知っている場所に現れる。私たちが生きている場所に現れる。

だから、私たちは花譜はどこにでも存在するのではないか?とつい妄想してしまう。

「そこの路地裏を覗いてみれば花譜がいるかもしれない」

聖地巡礼をした観測者なら一度はそう思ったことだろう。

私はここに花譜特有のバーチャル・リアリティーがあると考えている。

バーチャルとしての花譜

バーチャルとはなんだろうか?

この議題に対して古来より多くの哲学的な考察がなされてきた。しかし、多くの人に誤解されていることが一つある。

日本ではバーチャル=仮想のとして主に訳される。バーチャルと聞いて、具体的にイメージされるのは「実態がないところに虚構のものを再現する」というものだろう。

そのため、バーチャルの対義語はリアルと解釈されがちだ。しかし、英語圏におけるvirtualの意味は日本と少し異なる

英語のvirtualの英語圏での意味
"厳密に本当かと言われたら断言できないけど、ほぼ間違いなく"とか、"本物ではないけれど、本物として扱っても差し支えないようなもの
引用元

実際にVRの世界でもこのようなことが指摘されている。

バーチャルリアリティの「バーチャル」が仮想とか虚構あるいは擬似と訳されているようであるが,これらは明らかに誤りである.
バーチャル (virtual) とは,The American Heritage Dictionary によれば,
 「Existingin essence or effect though not in actual fact or form」
と定義されている.つまり,
 「みかけや形は原物そのものではないが,本質的あるいは効果としては現実であり原物であること」
引用元

そのため、virtualは事実上の、実質的に、効力のあると解釈することが正しい。情報分野に詳しい人は仮想メモリの"仮想"の意味だと捉えてもらえれば分かりやすいかもしれない。

画像1

話を花譜に戻そう。virtualの原義的な意味によると、彼女はまさに現実世界に存在する、その効力のある存在としてこの世界に存在していると解することができる。その意味において、彼女はvirtual singerである。

分かりにくいと思うので、実例を示そう。
例えば花譜のインスタグラム。

渋谷高架下駐輪場

果たして現実世界の花譜ちゃんは本当にここに行ったのか?

答えはNOだろう。

公式から明かされているように、花譜ちゃんは1ヶ月に1回レコーディングに来ているのみだ。学業も忙しい花譜ちゃんが現実世界の渋谷において撮影している可能性は低い。

でも、本当にここに花譜がいないと言えるだろうか?

その答えもNOだろう。
確かに花譜はここにいる。
まさにvirtual(効力のある)存在として花譜は私たちの前に現れている。

「どこにでもいて、どこにでもいない」という花譜のプロフィールは彼女がVirtual Singerである証明だろう。

花譜はどこにいるのだろうか? 花譜とは何なのか?

前述したインスタグラムの背景を考えると、先日発売された写真集、「呼吸-Atmung」は非常に面白い。全192ページに及ぶ大ボリュームの写真集であるが、渋谷を中心として様々な場所から花譜が顔を覗かせている。彼女はその全てに存在するとも言えるし、存在しないとも言える。

目次タイトルでは「花譜はどこにいるのだろうか? 花譜とは何なのか?」という疑問を明示した。

これらの疑問に答えてくためにはvirtual(効力のある、事実上の)の対象は誰だろうか?ということを考えていく必要がある。

それはもちろん、僕たち観測者である。花譜は僕たちに向けてその効力を発揮している。それでは、ただ写真に写りだされた空虚な花譜はどうして私たちの頭に花譜が存在すると思わせられるのか?(virtual化できるのか?)

この答えは二つある。

一つは私たちが花譜がいると信じているから
二つ目はそれを証明するに足る思い出と感動を彼女から受け取っているから

つまり、僕たちの中に花譜という概念が存在するからこそ彼女はvirtualでいられる。彼女自身はどこにでもいて、どこにでもいないが、私たちの心の中に花譜は確固たる存在として存在する。
もちろん、その概念は各々違う。人によっては都会の中に現れるカッコいい花譜ちゃんをイメージする人もいるし、もしかしたら、学校で談笑するかわいい花譜ちゃんをイメージする人もいるかもしれない。あるいは、その両方を備えている人も多いだろう。

しかし、みんなが同じ花譜を共有していることがあり得るだろうか?
もちろん、花譜の解釈はそれぞれで違っているはずだ。全く同じ花譜を想像できるわけがない。
そして違っていていいのだ。
なぜなら彼女はvirtualな存在なのだから。

だから、花譜について解釈違いを起こすのは当たり前である。
特に昔から花譜を追っている人は花譜が大きく変わったことに気付いているだろう。例えば、LINE公式スタンプ販売の時も解釈違いで揺れている人を数人みかけた。
「自分の中の花譜はこんなイメージではない」と。

でも、それでいいのだ。人によって解釈が異なることこそ、彼女がvirtualな存在であることの証明である。解釈が異なるーーそれこそがあなたの花譜が花譜としてきちんと存在する証明なのだ。花譜に正解はない。

不可解の特異性

花譜 #36 「不可解」【オリジナルMV「不可解」Live Ver.】

不可解はなぜ不可解であったのか。もちろん技術面、演出面……様々な側面から不可解を捉えることができると思う。そして、このようなvirtualの文脈でも一つ不可解を考察することができる。

あの夜、私たちは共に感動した。この事実は疑いようもない。「死神」の時は体が震えたし、「そして花になる」では今までの思い出が走馬灯のように蘇った。
しかし、私たちが観測した花譜は果たして同じ花譜であったか? 答えは否。

事実、私たちは私たちがそれぞれ作り上げた花譜というレンズを通して、あの夜の花譜を観測した。あくまで違う花譜を観測していた。それでも、みんな感動した。そして互いに圧倒的な感動を分かち合った。これを不可解と呼ばずになんと呼ぶのだろうか?

聖地巡礼のススメ

それでは、どうしたら、最も花譜が花譜であることを私たちは感じられるのだろうか?
一番良い方法は、彼女の実在性をこの肌で感じることだ。つまり、virtualな存在である彼女がここにいるとそう思える瞬間こそが最も重要だ。

その意味で、花譜展は非常に面白い現象であった。多くの観測者があの場所に花譜がいたこと――少なくともあの場所が花譜にとって大切で重要な場所であることを疑っていなかった。それは神椿が演出した3.5Dという空間作りの巧みさであり、初期の段階から渋谷という場所を大切にしてきた花譜プロジェクトの賜物であったと思う。

花譜 #49 「私論理」 【オリジナルMV】

今は今はこの場所で待ってる
会いに来て

私論理の最後のフレーズで花譜は私たちにこのように語り掛けている。「今は今は」この場所(3.5D)に確実に花譜はいたのだ。そして、会い来てと声をかけている。

だから、私たちも花譜に会いに行こう。聖地を調べてみれば、渋谷以外にも関東を中心として花譜は様々な場所に現れている。いや、本来それすらも必要ないことなのかもしれない。実際には花譜は私たちがそこにいると思える場所にいるのだ。だって彼女はvirtualな存在なのだから。

あなたが思い描いた場所にvirtualな彼女は現れる。
さあ、花譜の曲を聴きながらあなたの街へ花譜を探しに出かけよう。彼女の「会いに来て」に応えるために。

続きです




・参考


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?