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セールスマン(一年経過)

ニュートリノに負けず劣らず、すごい速さで日々が進んでいく。(ニュートリノのことは何一つ知らないが、とにかく速いものだと思っている僕は。)

昨年の6月から某企業に契約社員として入社して、営業職となって早くも1年の月日が経ってしまった。何事も長続きしない、納得できないことがあればすぐに撤退してしまう僕からすると、1年も楽しくもないことを続けられたのは快挙といえるではないだろうか。

1年経って気づいたことはたくさんある。あまりネガティブなことは言いたくないのだが、最近僕を構成する原子からは陽子が逃げ出してしまったようで、どうにも暗い話になってしまうかもしれない。

結論から言うと(営業マンはよく結論から話したがる、僕はこれがあまり好きではないのだけれど。)僕は営業に向いていないということがよくわかった。

どうして向いていないのか、あらゆる角度から説明することはできるのだけれど、一言で言ってしまうと、何かを売るということに興味が持てないのだ。

客観的に見た時に、スーパー営業マンの技術や、ベテラン店員のクロージングなど、これはすごい、美しいと思う部分はたくさんあるのだけれど、いざ自分がそれをやりたいかというと全く話は別で。

できれば気持ちいいのかもしれない。成績もついてくるしその分評価があがり給料も増える。ただそれって、僕の思う楽しいとは別のものなんだと気づいた。

僕はこれまで、「売る」というよりは「作る」ことをやってきた。それは主にお金にはならないことであったが、演劇や映像や音楽や工作や、あげていくと、ああいったものも作ったなあと、尽きることなくあげられそうな気がする。

この一年を通して、僕はずっと、なんなら今も、作ることが好きだったのだと改めて気付かされた。そしてその作るという作業を満足に行えない(主に時間や疲労の関係で)今の状況にうんざりしているのだなあとも思う。

まあこういった気づきがあっただけでも、一年間知らないことを過ごしてよかったとも思える。いいことは他にもたくさんある。働いてることもあって妻とも結婚できたであろうし、収入もある程度安定した。これまで出会うことのなかった人と過ごすことができた。

ただそろそろ限界が近いのではないか、と。お盆が開けた今、あまりにも体が動かず、座っていることも苦しくレンタルオフィスの個室で地べたに横になっていたりする。

なにかしらの手を打たねば、ろくなことにならない気もする。
だから久しぶりにノートを書いてみた。この、文字を連ねた作る行為で、何か変わることがあるかもしれないから。

はあ、寝よう。ため息をついて、寝よう。夢の中で、好きな映画をみよう。

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