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『手のひらの 唇の脇の 手の甲の』(4/11)

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前のお話

 特段に目を引くようなプロフィールは設定されていなかった。
 20代後半、女性。
 “よろしくお願いします”
 プロフィール画像の三枚目には、〈ヘンテコなポーズ!〉の手書き文字と一緒に、彼女の思うヘンテコなポーズの写真が設定されていた。
 元々はその画像が気になって、いくらかアプリ内でやりとりをしていた。僕は会話の一つとして意図を聞いた。
“キョウカさんのプロフィールに設定していある〈ヘンテコなポーズ〉って何なの? 最初に見たとき、思わず吹いちゃったんだけど"
“それ聞いちゃいます? 深い意味はないんですけど……。でも、答える前に、一つお願いがあります。私、あのポーズについて聞かれて、自分で答えたいなって思ったら、アプリじゃなくて、個人的な連絡先でやりとりしようと決めてたんです。いいですか? 私から誘うなんて変かもしれないけど"
“それは構わないよ。じゃあ僕の連絡先送るから。あ、あとさ、さっき嘘ついてた。最初だけじゃなくて、キョウカさんからメッセージが届く度に、プロフィール画像をわざわざ見て吹いてたよ"
 後から考えると、彼女なりに意を決したかのような表現だったが、僕は何も考えずに個人的な連絡先を送信した。

"こっちでも変わらずに、仲良くして下さいね"
"もちろん。よろしく"
"あ、そいえば、せっかくなんでフルネーム、教えてくださいよ"
"狭山 遊悟。呼び方は好きにしてくれればいいから。キョウカさんは?"
"豊島 京佳です。呼び方は……遊悟さんの好きにしてくださいね"
 アプリ内のやりとりは丁寧な言葉の範疇で、そして緩慢なペースで行われていたが、個人的な連絡先を使用するとお互い饒舌になるらしい。数日のうちにメッセージの往復回数は増え、ひと通りの質問をしてもなお、やりとりは繰り返された。

 文字だけの会話が、饒舌さに追いつかなくなると通話をした。
「お仕事、夜遅いことが多いんですね。出張も行って夜遅い日もあって、営業さんってすごいなあ」
「別にすごいわけじゃないよ。ただ、僕の働いてる会社がこういう構造なだけかな」
「ふうん。私はきっかり定時で仕事が終わっちゃうから。なんかね、仕事が定時で終わると、持て余しているなあ、って思うときもあるくらい」
 京佳さんの謙遜だ。
 これまでの話しぶりからすると、京佳さんは仕事が早い。何が問題であるかを把握するのが得意で、問題である部分に対して自分が行える仕事があれば率先して処理をする。たとえ問題解決のキーではない仕事であっても、京佳さんがいくらかの部分を負担することで業務が効率化されるなら動く。そういう人であると推測している。

「僕は定時あがりに憧れてるよ」
 僕のこの言葉には嘘がある。
 定時きっかりではないが、比較的早くに仕事が片付く日もある。そんな日は決まってミコからメッセージが入っていた。
 彼氏とは遠距離恋愛をしているらしく、ミコにもある程度の自由があるわけだ。僕らはお互いに都合よく性欲を発散していた。

「付き合ってる人はいませんよ」
 と、僕は本当の事を京佳さんに伝えていた。
 個人的なメッセージのやりとりや通話は確かに弾んだが、会って話さなければ、これ以上先の感触を得ることが出来ない。あまりにも僕らしい、ただそれだけのための誘いだった。

 駅前で落ち合い、その場に突っ立っているのも手持ち無沙汰なので、近くのアーケード街に向かって歩を進める。
「びっくりしたよ。京佳さん可愛いから」
「そんなことないですよ。私ね、しばらく同じ人とずっと付き合ってたから、久しぶりなんです。こうして男の人と二人で会って話すのって」
「そうは見えないけどな」と返すと、京佳さんは前髪を垂らすように目を伏せた。
「――恥ずかしいですね」
「そう? あのヘンテコなポーズに比べたら、僕と会うことくらいなんともないでしょ」
 僕は笑いとばすように言ってみた。すると、肩より長い黒髪の隙間に見え隠れする京佳さんの耳は、一気に赤くなる。 
「……」
「自分でプロフィール画像に設定しておいて、そんなに恥ずかしいの? 僕はあの写真好きだけどな」
「……ほんとですか?」
 雑踏の中での小さな声だが、僕は京佳さんが顔を上げて発したソプラノを正確に聞き取った。
「本当です。なんていうんですかね。怒られるかもしれないけど、僕ね、あの写真を見ると思わず笑っちゃうんですよ。それだけなら普通のことなんですけど、何回も笑えたんです。わざとじゃなくて、思わず、何回もね」
「それは遊悟さんにとって、いいことなんですか?」
「もちろん。面白いことが僕は好きだから」
「それなら嬉しいです。ヘンテコなポーズはね、笑ってもらえることに意味があるから」
「意味? そういえば結局さ、あの“ヘンテコなポーズ!" には何の意味があるの?」 
 コトンコトンと僕の隣を歩いていた京佳さんの歩みが遅くなる。僕と身長は十センチも変わらないだろう。京佳さんが歩みを止め、長い黒髪の揺れが収まるとまっすぐ目が合った。
「ヘンテコなポーズはね、おまじないなんです。
 いつだったかは忘れたんですけど、〈ヘンテコな動きをしていると、幸福度が上がる〉みたいな研究発表を読んだことがあって――あ、別にね、論文を全部読んだわけじゃないし、全面的に信じてるとかじゃないんですよ。
 だってそうでしょう? ヘンテコな動きって、中々思いつかなくて。だからね、ポーズにしたんです。ヘンテコなポーズ。そしたら、幸福度が上がる――までは行かなくても、多少は楽しくいられるかな、と思って」
「へえ。面白いね。研究内容も面白いし、確かに気持ちは分かるかも。それに、京佳さんの考え方というか、京佳さんのやり方っていうのかな。それが混じってるのが僕は面白いと思うな」
「ふふ。でもおかしいでしょう? 大真面目にヘンテコなポーズするのも」
 京佳さんは満足したように、再び歩みを進め始めた。僕も同じようにアーケードのゆらゆらとした光の下を進む。
「京佳さん、じゃあ一緒にやってみますか? ヘンテコなポーズ。それで写真でも撮りますか」
「へ? ここでですか?」
「恥ずかしいですか?」
「ええ、まあ。恥ずかしいです」
「じゃあ、やめときましょう。人目が気にならないところで、また一緒にやりましょう」
「んー。人がいないとこなら」
「じゃあ、約束。せっかく、ヘンテコなポーズの理由を教えて貰えたので、僕の側から約束させて下さい」
 京佳さんは初めて会ったその日一番の笑みで、「はい」と答えた。

 ヘンテコなポーズについて僕がずっと聞くことを忘れ続けていたら、恐らく関係は続かなかっただろう。後になって気づいたが、僕が忘れていることについて、京佳さんは一度も指摘してこなかった。
 待っていたのか、計っていたのか、真相を僕は知らない。




つづく


僕の書いた文章を少しでも追っていただけたのなら、僕は嬉しいです。