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「イントレランスの時代」に 障害者殺傷事件から考える

 やまゆり園事件について雑誌『調査情報』に寄稿した5回目は、2020年5ー6月号。テレビドキュメンタリー『イントレランスの時代』を完成させる作業と同時のことでした。

 (1)「憎悪」は笑顔の形で現れた
     2016年
 (2)殺人実行者との対話 記者として、障害児の父として
     前編 2018年
 (3)殺人実行者との対話 記者として、障害児の父として
     後編 2018年
 (4)「心を失った社会」にしてはならない 続・殺人実行者との対話
     2019年
 (5)「イントレランスの時代」に 障害者殺傷事件から考える
     2020年

 丸4年で4回(5本)なので、大して書いたわけではありませんが、通していくと、取材や私の思考が時とともに進んでいく過程が見えます。マガジン「雑誌への寄稿、4年で5本。」で、5本すべてが一覧できます。
 以下は、5回目の寄稿本文です。

役に立つ人、立たない人

 3月16日、横浜地裁で死刑判決が下された。
 相模原市の障害者施設、津久井やまゆり園で2016年に45人を殺傷した植松聖被告(30歳)は、主文言い渡しの瞬間も表情を変えることはなかったという。裁判を通じて、19人の命が奪われた事件の動機が明らかになったとは言えない。遺族・福祉関係者には、無力感も漂っている。

 私は拘置所に6回行き、「障害のある子の父親」として、植松被告に率直に質問し、「記者」として、できるだけ丁寧に話を聞いた。だが、初対面で抱いた彼の印象は、ずっと変わらなかった。

 罪の意識は、ない。被害者を人間とは考えていないからだ。やまゆり園の元職員でありながら、福祉の知識はほとんど持っていない。
 自己肯定感は低く、「自分はブサイクだ」と何度も口にする一方で、他人に認められたい気持ちは強く持っている。
 「ブサイク、イケメン」「役に立つ人、立たない人」と簡単な2分類に単純化して、物事を考える傾向がある――。

 しかし、こういうタイプの人間だからと言って、普通は事件を起こしたりしない。最初に面会した直後、拘置所の外に出てきた私は、マイクに向かってこう語っている。

 「印象は、ごくごく普通の青年ですね。率直な印象を言うと、『かなりあさはかだな』と思いました。すごく薄っぺらい知識で、重大なことを判断してしまっている」

心の内にある不寛容

 ネット上では、「殺人はいけないが、考え方はわかる」という声は少なくない。彼をヒーロー視する人さえいる。

「不寛容さは、誰の心にも潜んでいますが、普通は口にはできません」

 今回制作したテレビドキュメンタリー『イントレランスの時代』の冒頭、私はこんなナレーション原稿を書き、若い女性がスマホを操作するイメージ映像を重ねた。
 スマホの画面には、「死ねばいいのに」というワードを含むツイートが並ぶようにした。

 番組はその後、全国各地で排外的なヘイトスピーチを展開していた「在日特権を許さない市民の会」(在特会)の映像へと移る。「日本は、韓国と断交しろー!」と叫び、福岡市の中心部をデモする人たち。2014年、私が撮影した「日韓断交アクション」の様子だ。
 私は、「不寛容の心は、憎しみの姿で、社会にあふれ出てきました」というナレーションを書いた。

 不寛容。

 心の中の差別意識といってもいい。「障害者は生きている価値がない」「朝鮮人は、半島に帰れ」。普通は、思っていたとしても心の内に隠しておく言葉だ。人間性を疑われる。だが、植松被告はこう言っていた。

 「トランプ大統領はすごいです。移民はいらないとか、壁を作ってしまえとか、誰もが思っていても言えなかったことを、ちゃんと口に出して、政策にして実現しています」

 内心では僕と同じ思いなのに、みんな「世間体を恐れてやらないだけだ」と彼は言う。
 だが、植松被告が「安楽死させるべきだ」と指差すのは、私の長男のように、生まれながら障害を持った人だけではない。
 事故で後天的に障害を負い、寝たきりの人。認知症のお年寄り。そんな「他人に迷惑をかける人は要らない」と、彼は主張している。

 つまり、私たちの誰もが、「『役に立たなくなった』と見なされれば、殺害の対象になる」ということだ。

 やまゆり園事件は、「特殊な人」が起こした「特殊な事件」ではない。植松被告が障害者に向けた憎悪の刃は、誰の心の中にも「不寛容」という形で潜んでいる。
 本物の刃となることを許してしまったのは、「事件はいけないが、考え方はわかる」と言ってしまう、私たちが生きている時代の風潮ではないのか。

 これが、障害者の父として、そして記者として、発生直後からこの事件に向かい合ってきた私が考えていることだ。

ラジオドキュメンタリーを映像化する

 植松被告と私の面会の様子を詳細に再現したラジオ番組『SCRATCH 差別と平成』は、RKB毎日放送とTBSラジオが共同制作したドキュメンタリーで、ちょうど1年前の2019年3月に放送し、昨年の放送文化基金賞でラジオ部門の最優秀賞、芸術祭で優秀賞、早稲田ジャーナリズム大賞で奨励賞をいただいた。
 当初からラジオを想定して取材していたのではないので、現場はムービーで撮影していた。

 その「音」だけで作ったラジオ番組は望外の評価をいただいたが、次にテレビ番組化するにあたっては、映像を張り付けただけでは元々のラジオのレベルを越えられないのは明らかだった。
 素材に立ち戻って、追加取材の映像を加えて、全く新しいテレビ番組にしなければならない。
 植松被告とのやりとりは、ラジオほど長くは使えない。代わりに加える現代の不寛容として、ヘイトスピーチ、沖縄の基地問題と差別、歴史の改ざんなどが脳裏に浮かぶが、各項目をバラバラに列挙したのでは、統一感のある番組にはならない。

 ぼんやりと頭の中にあったのは、学生時代に見た1916年公開のモノクロ無声映画『イントレランス』(監督・D・W・グリフィス)の記憶だった。題名は、「不寛容」という意味だ。

 紀元前6世紀に破滅したバビロン篇、キリスト受難篇、聖バルテルミー虐殺を描く中世フランス篇、えん罪の青年に死刑判決が下される現代アメリカ篇。それぞれの時代の不寛容が、入れ替わり描かれていく。
 この映画が訴えたのは、「いつの時代も、どの国でも、寛容さが失われた時、悲劇は起こる」という普遍的な事実だった。

 時代が飛ぶ時、画面には「ゆりかごを揺らす女性」が登場する。
 このシーンについて映画には何の説明もないが、ゆりかごの中にいるのはいつの時代も不寛容な私たちであって、リリアン・ギッシュ演じる女性は、愚かな私たちを静かに見守っている「歴史の女神」のように、私には感じられた。

 不寛容(イントレランス)という主題、4つの物語の同時並行という構成は、私が描きたいものと重なっていると感じた。私のドキュメンタリーでも、次の不寛容に飛ぶ時は「ゆりかごを揺らす女性」を登場させるのだ。
 映画史上「最も偉大な無声映画」と言われる傑作を、ちっぽけなドキュメンタリーのために引用しながら、私は現代の日本を描くことにした。

ファクトとフェイクの「中立報道」はない

 やまゆり園事件と並んで採り上げたかった不寛容は、何よりヘイトスピーチである。歴史学を学んできた私には、「日本」に都合が悪ければ歴史的事実さえ否定してしまう人々に我慢がならなかった。

 私が東京に単身赴任した2016年から、東京都の小池百合子知事は、墨田区で開催されている関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式への恒例の追悼メッセージを送らなくなった。
 これに勢いを得たヘイト勢力は、追悼式のすぐ横で「虐殺はなかった」と主張する集会を開くようになっている。
 こうした動きを、メディアはほとんど報じていない。排外主義を社会に拡散してしまうことの責任を考えるからだろう。実は私も、2014年の在特会による「日韓断交アクション」を取材していたものの、実際に報道はしなかった。

 だが今、当時の自分の判断を深く後悔している。
 私たちが採り上げるまでもなく、社会の底流にヘイトは拡散し、根を張ってしまった。私は、結局何もせず見ていただけだった。
 しかし、今回は違う。
 不寛容の実相を、きちんと描かなければならない。

 1923年の関東大震災では、大混乱の中で無辜(むこ)の朝鮮人を狙った虐殺事件が、関東各地で起きた。
 「不逞鮮人の暴動が始まった」「井戸に毒が入れられた」というデマを、警察と新聞が拡散した。市民は武器を持って自警団を結成、見知らぬ人に「お前は朝鮮人ではないか」と詰め寄った。軍や警察も虐殺に加担した。
 正確な犠牲者数は、今も明らかではないが、どんなに少なく見ても1000人単位に上る。強い訛りがある地方出身者や、障害者も、「日本語の発音がおかしい」と殺害された。
 日本の歴史上、最も恥ずべきジェノサイド(虐殺)の一つだ。

 大震災で起きた火災旋風で、一度に3万8000人が犠牲になった陸軍被服工廠跡には、東京都慰霊堂が建てられている。その脇に、虐殺された朝鮮人の慰霊碑もある。
 カメラを持って、慰霊祭の現場に向かった。虐殺否定側の集会とは30メートル程度しか離れていない。「忘却は、再び同じ過ちを犯す」と誓う集会参加者の耳に、マイクで叫ぶ女性の声が入り込んでくる。

 「朝鮮人は、震災に乗じて略奪、暴行、強姦などを頻発させました。
軍隊の武器庫を襲撃したりして、日本人が虐殺されたのが真相です。
犯人は不逞朝鮮人、朝鮮人コリアだったのです」

 東京都慰霊協会の腕章をした男性は、「不逞朝鮮人」という発言を止めさせてほしいと抗議する人々に、おろおろしながら「それぞれの集会に、集中してください」と答え、さらに強い抗議を浴びていた。

 ウルトラ保守の石原慎太郎知事でさえ送っていた追悼文を、小池百合子知事は取り止めた。私たちメディアは、いっとき批判はしたかもしれしないが、3年後の今はこれが常態となっている。
 「それぞれの集会」に道を拓いたのは小池都知事だが、2つが相並ぶ状況を容認した責任の一端は、私たちメディアにある。

 現場に、ジャーナリストの安田浩一さんがいた。「何のために、荒唐無稽な虐殺否定集会を開いているのでしょう?」と質問してみた。

「朝鮮人慰霊祭にあえて混乱を起こすことによって、『両方とも政治集会なんだ』という結論に持ち込んで、慰霊祭自体をつぶしてしまおう、という思惑からでしょう」

 ファクトとフェイクの中立報道などありえない。

 私はそう思っている。だから、虐殺否定派の主張は明らかにフェイクであるとナレーションで明示した上で、主張はカギカッコに入れて、スーパー表記した。しめやかな慰霊祭の現場が、どのように汚されているのかをきちんと見てもらうためだ。

ありのままを放送する

 ヘイトを繰り返してきた「在特会」の創設者、桜井誠氏が2014年に作った政治団体が「日本第一党」だ。
 2019年春の統一地方選挙で、日本第一党は福岡県議会や神奈川県相模原市議会の議員選挙に、公認候補12人を擁立した。
 カウンターや記者の中には、「選挙カーから堂々とヘイトスピーチが流されるのではないか」「カウンター活動は選挙妨害だとして検挙されかねないのでは」と危機感を持った人が多くいた。

 桜井党首が相模原市の駅前で、市議候補の応援演説に立った時、数十人のカウンターが集まって、「レイシスト帰れ!」と声を上げた。公安警察官が衝突を警戒して、間に割って入る。

 桜井党首は「日本を語る政党は、もう我々しかいない。日本を語るからこそ、彼らのような北朝鮮の手先は、ワーワーわめいて選挙妨害をやってるんです」と、抗議する人々を指さし、取材するメディアに向かって、「中指を立てて『ヘイトを止めろ』と言い続けてる醜い姿を、きちんと映してください。一体、どちらが正しいか!」と叫んだ。
 この映像・音声も、番組でそのまま使った。
 モザイクはなし。猖獗(しょうけつ)を極める不寛容を、見て見ぬふりをするのは、私はもう嫌なのだ。

 この日、日本第一党とカウンターの間に、小さないざこざはありつつも、幸い逮捕者は出なかった。しかし、演説の終了後に、一角から声が上がった。
 「おい、石橋!」

 神奈川新聞川崎総局の石橋学(がく)記者は、川崎でのヘイトスピーチを目の当たりにして、マイノリティに寄り添う記事を書き続けてきた。取材に来ていた石橋記者を見つけた桜井党首が、攻撃を仕掛けたのだ。
 トラブルを避けようと駅前を離れようとした石橋記者を、桜井党首は追いかける。桜井支持者も、公安警察も、カウンターも、集団となって動き始めた。桜井党首は歩きながら、叫ぶ。

 「北朝鮮をほめたたえる記事を書きまくってた、この石橋学を、許さないぞー!
 石橋! お前、テロリストじゃないかよ。なぜ北朝鮮を擁護するよ? 北朝鮮にさらわれていった人たちはどうなるよ? 北朝鮮の日本批判はどうなるよ? 『核兵器で日本を焼き殺す』と言ったのは、お前たちの国だろうよ!」

 石橋記者との間を詰めさせないよう、桜井党首の前を歩く警官に、桜井党首は「君に、止める権利はないって言ってんだよ。私は、運動員の腕章してんだよ?」と怒鳴った。

 桜井党首が追跡を止めた後、石橋記者は「僕をネタに、『人権を守る』という主張を攻撃することによって、実はマイノリティの人たちを彼らは攻撃しているわけです」と、私のカメラに向かって淡々と話した。

 番組について、「中立的ではない」という批判は甘んじて受けたい。
 だが、レイシズムを、一つの主張として平等に取り扱う気持ちは、私にはない。中立的な報道は、実は犯罪的でさえあるのではないか。それよりも「公正」だと考えている。

虐殺の再現に脅える人たち

 植松被告が起こした障害者殺傷事件と、レイシズム、歴史修正主義は、社会の底流でつながっている。そんな私の考えは、説得力を持ちうるだろうか。

 『週刊ポスト』の「韓国なんて要らない」特集や、CBCテレビ『ゴゴスマ』での東国原英夫発言に抗議し、日韓連帯を求める若者の集いを取材しに渋谷に行った時のこと。
 在日3世の女性がマイクを握った。

 「私は、日本生まれ日本育ちで、日本の学校に行ったので、韓国語はしゃべれません。『韓国に帰れ』って言われても帰れません」

 「私たちはもう、生きるか死ぬか瀬戸際にいると思っています。実際、在日のアカウントで悲壮なつぶやきをしている人は、たくさんいます。今の時代は、個人情報を簡単に得られるので、突然私の家にいろんな人がやってきて、連れ出されて殺されるってことも、想像してます。私だけじゃなくて、在日のみんなが少しは考えていることです」

 「私は、もう殺されてもかまいません。でも私より若い世代、これから生まれてくる子供が、この国で安全に生きていけるようにしてください」

 言葉のあまりの重さに、集まった人たちはしばし沈黙した。
 大震災の朝鮮人虐殺事件から100年近い時が過ぎた現代の日本で、虐殺の再発におびえる人々が出てきているのだ……。

 やまゆり園では、現実に障害者の虐殺が起きてしまった。そして、「考え方はわかる」と言ってしまう人々がいる。
 テレビ番組『イントレランスの時代』は、障害者殺傷事件を縦軸に起きながら、様々な現代の不寛容を、そのまま映し出した。バラバラになりかねないテーマを、名作『イントレランス』の映像の力を借りて強引にまとめた、ゴツゴツしたドキュメンタリーだ。差別的な言葉も飛び交う。

 これでよかったのかどうか。見た人の審判を待ちたい。

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