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A001 西部邁から一本とる

西部邁氏の著作を幾つか読んでいる。
特に移住先を探している時に、最初に読んだ「国民の道徳」は面白かった。
その後もいくつか著作を読み、多大な影響を受けた。
特に、保守、平衡、語源、虚無、伝統、精神、心構え、立場など、社会問題を解くキーワードを授かった。
また、書籍以外の映像での発言からも悟性が働いたのも、事実である。
中でも、大学生の時に観た深夜の討論番組での「犯罪のない社会など恐ろしい。」といった主旨の発言は、ずっと記憶に残っている。

移住前に幾つか西部氏の著作を読んた時には、もう自分で考える必要などなく、全てこの人の判断・いうようにしたら、いいのでないか、というぐらい圧倒された。
西部氏は「知性の構造」が唯一まあまあの作品とどこかで読んだ記憶があるが、私の使える語彙が少なく、全く歯が立たなかった。
しかし、その構造は、すべての著作に活かされているはずであるから、特にこれを理解しなくても、いいのかも知れない。
ただ私は一般的には、氏の苦手とする相対主義、テクノクラート、大衆、グローバリストに分類されるだろうから、勝手に弟子を名乗っても社会では通らないかも知れない。

しかし「文体が似ているところがある」と、以前に指摘されたことがある。
なので、その影響は隠しきれない。
それに使っているキーワードには、その影響がマジマジと出ている。

なので、面識なく、全く交流はなかったのだが、弟子の一人との自覚させられてしまっている。
当然だが、数冊しか読んでないし、西部師の全ての考えを知っているわけではないし、他にも影響を受けた方々は多くいる。

映像などでみる西部師は、自分の意見と違う方々とも積極的に議論している姿を見せている。
いつの場も、はにかみやの自然体や気遣いが見えた。
そして、その姿には愛嬌すら感じてしまう。
ただ、移住後、ニュースで知った最後の自死は、知識人としては、見事なものであったが、同時に違和感が残るものであった。

移住してから疑問に思っていたのは、評論家という立場は、保守的な生き方なのであろうか、ということだった。
なぜ、その思想を実生活に活かさなかったのか。
今の私が、師の立場を勝手に分類するならば、保守謳う国家等社会貢献主義の分類となる。
社会ありきの生き方であり、社会依存症に罹っており、保守の本質とは異にしていると言えてしまう。
保守とは「ただ存在する」という真理の一つに近似するものであるが、実践を伴わないものを保守と認めるのは、かなり困難である。

また伝え聞く、橋と肉体にヒモをくくり、川に入水したやり方の自死も保守とは思えない。
それに万人が求めるものでなく、また普遍に近い死に方でもない。
自死とは、本来自力、意思のみで行うものだと考えているからである。
他力である川の水の力を使ったので、自死ではなく自殺である。
なぜ、常々、体の声をきかなったのか。
ただただ最後まで立派な知識人であった。

思い出す時は、感謝しつつ、心からお疲れ様でした、と思う。
そして同時に、振り返って自分は自死に向かうべく、準備をしているか、と自問する。

自死とは他力を使わない死であり、そのほとんどは老衰のことである。
「老衰とは、意識を離すことなく、徐々に食事を取らなくなり、その後、水分も取らなくなり、最後に意思と最後の体力を使って行い、死んだ時になんとも言えない臭気を発するもの。」と老衰を看取った事がある人から聞いた。
これが、最も自然で、最も人間的で、最も合理的で、最も保守的な最後の迎え方ではないか。

時々、死に方を公言して死を迎える準備をする。
これも西部師から盗んだことである。
弟子は、師を越えるのが、唯一の恩返しである。
だから、そんな最後を迎えることが出来たのなら、あの世で、師から半分笑って半分真顔で「1本!」といって頂けるのではないかと思っている。

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