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九州(福岡・宗像)


この手記から、歴史全般を考えるようになりました。

歴史は、「文献」をもとにした「歴史学」と、文献のない時代の「モノ」をもとにした「考古学」に分かれていたんですね。

特にこの福岡からは、モノが語ってくれる「古代」に入りました。

そしてそれは、「海」にヒントがありました。

            上


歴史とは、何だろうか。
中でも特に、古代とは何か。

私にとって古代は、竪穴式住居に獣の皮を身にまとい、今日1日の食料を確保するために狩猟採集しながら、日々同じ生活を繰り返している古代人の姿が思い浮かんでいた。
どちらかというと、個人や家族・親族レベルの共同体の「生存」を中心に考え、安定志向でより定着的な生活を求め、消極的な「固定」をイメージしていた。

しかし、ここ数年を通して出会った書籍を始め、韓国ソウルの博物館や金海国立博物館と、福岡の宗像大社や北海道博物館などによって、古代に対する私の認識が一気に変わってしまった。

なんと古代には、不完全を認め、不完全であるがゆえに積極的な出会いを求め、出会いを通して活発な交流を起こし、その出会いと交流によってお互いの不完全を補い合うという、生きて呼吸する共同体の姿があった。


またその中の一人一人の構成員においても、出会いの喜びと出会いの価値を知って、細胞の隅々までワクワクするような、変化に満ちた「動き」そのものの古代人の姿があったのだ。

韓国金海市の洛東江河口から対馬方面を眺めながら、又は宗像市の大島から沖ノ島方面を眺めながら、この道なき道である大海原をどれだけ多くの古代人が行き来しただろうかと考えた時、固定的な古代のイメージが躍動感あふれる動きのイメージに大反転したのだ。


そこには謙虚な「美しさを伴う不完全さ」があり、そんな不完全と不完全がお互い出会いと交流の感動を求めて、命がけで海を渡って行った生き生きとした古代人の姿があった。


そして気が付いてみればあまりにも当然なことだが、半島から島へ、又は島から半島へ活発に移動し、出会い、交流したことによって、古代と呼ばれる時代の遺物たちは半島でも列島でも同じモノが発掘されていた。

結局、古代を展示している半島と列島の博物館では、土器などの遺物たちがほとんど同じモノだった。
そう、古代の半島と列島の関係は、お互い補い合いながら、積極的な交流による生命感あふれる感動の連続で溢れていたのだ!

このように、ごく当然なる事実に気付く前にも、この手の博物館には何度か訪れたことがあった。しかしその時は、遺物たちの横に「半島と列島は、活発に交流していた。」と、至る所に表記されていても「活発な交流」という言葉を拾うことができなかった。


いったい、それは、何故だろうか。

その一つには歴史の中でも、学校教育を通して学んだ古代に対する私の「固定的な認識」に、原因があった。
それまで私が持つ古代に対するイメージは、黒く錆びた鉄くずや赤茶の土器のように、なんとなく古臭くて分かりにくい、まったく退屈なものだった。


それに比べて例えば戦国時代などは、個性ある主人公とその周囲の人達が共に繰り広げるストーリーと、その中に脈々と流れる躍動感に、惹かれてしまうのは当然なことだ。
このように古代までと古代以降では、同じ歴史であっても大きな違いがあった。


実はそれは、歴史が「考古学」と「歴史学」という分類によるらしい。

古代までを研究する「考古学」は、直接外に出て発掘調査などを通して「実物」から過去を読みとる現地・現物主義の学問であり、文字が成立してからの「歴史学」は、室内で資料などを中心に「記録」から過去を読みとる文献資料研究の学問だったのだ。


すなわち考古学は「モノ」が語り、歴史学は「人」が語る。
生命性のない「モノ」の発信力は、生命性のある「人」の発信力より劣ってしまう。
結局、人によって語られる中世・近世・近代・現代にくらべて、古代は当然、退屈で固定的なイメージになりやすかったのだ。

しかし逆の観点で見た時、モノはモノなのでありのままを伝えてくれるが、人はどんなに客観的に表現しようとしても、その人の主観などが入りやすい。
「歴史学」は、当時の時代背景とその他「記録」を書き留めた人や、その記録を書くことを指示した主権などの主体的な意図などを含めることができる。もしもその「記録」に、主権の強い目的と方向性があれば「操作」することも可能なのだ。
このことについては、後ほど言及しよう。

とにかく最近の「考古学」は、科学技術の発展によりコンピューターシュミレーションなどで当時の原型を復元可能にしたり、放射性炭素年代測定法などによって、いつ頃のモノであるかなどがより正確にわかるようになってきた。
このようにここ数年を通して古代に、より生命感が吹き込まれ鮮明になることによって、今までの固定的イメージを躍動的なイメージとして捉えることが可能な時代圏になったといえよう。


またもう一つ、半島と島の「活発な交流」を認識できなかった理由は、近代以降規定され、今では常識的に使用されている単語である固有名詞にも原因があった。
それは、国境という境界線で規定された「韓国」「北朝鮮」と「日本」という単語と認識のもとでは、「半島」と「島」という単語の間でごく自然に存在していた「交流」というイメージを、見事に消していた。

これには、本当に驚いた。

「半島」と「島」という単語であれば、その二つの間に「交流」という言葉が存在可能だったのだが、半島である「韓国」と「北朝鮮」と島である「日本」に置き換えた時、「交流」という言葉のイメージが薄くなってしまった。

古代に対する作られた固定的な認識や観点はもちろん、近代国家として境界線を引いて規定された固有名詞によって作られた強烈な認識や観点も、いかに恐ろしいかを目のあたりにさせられた。


人はいつの間にか作られた認識や観点によって、ごく当然なことさえも認識不可能になり、真実や事実と出会うことが難しくなっている。
半島と列島の古代の博物館では、土器などの遺物たちがほとんど同じモノだという事実を通して、半島と列島の間には躍動感あふれる積極的な「交流」による、感動の出会いで溢れていたにもかかわらず、こんなにも美しい事実が見えなくなっているのだ。

最近、グローバリズムという言葉とは反対に、英国の欧州連合(EU)離脱や、米大統領選でのトランプ氏当選など、自国中心的な動きが各国で強まり、ナショナリズムや民族主義が台頭する風潮にある。


しかし古代においては、 不完全を認め、不完全であるがゆえに積極的な出会いを求め、出会いを通して活発な交流を起こし、その出会いと交流によってお互いの不完全を補い合うという、生きて呼吸する共同体たちの姿が、半島と島だけではなく地球上あらゆるところに存在していたに違いない。

今こそナショナリズムや民族主義になりやすい各国・各地域が、古代のように不完全を認めお互いの不完全を補い合うという「交流」と「関係性」に焦点を当てて、つくられた認識や観点に束縛されることなく、時代の進化に伴う俯瞰による「生きた歴史観」と「生きた世界観」を再構築していくことが求められているだろう。

まさしく今からは、 地域間及び国家間はもちろん個人の間においても、存在に焦点を当てるのでなく、存在と存在の間にある「関係性」に焦点を当てることによって、お互いを生かし合う「健全なる関係性回復」の時代に突入したのではないだろうか。


古代には、謙虚な美しさを伴う不完全と不完全が、お互い出会いと交流の感動を求めて、命がけで道なき道の大海原である「海路」を渡って行った、生き生きとした古代人の姿があった。

では今の時代、健全なる関係性回復のために、いったい私たちは何をするべきなのだろうか。


                                     中
        

                                宗像大社
  

ふと頭上を見ると、澄んだ水色に、柔らかい白色が細かく浮いている。温かい鱗雲の秋空は、どこまでも高く、どこまでも広く、地上のすべてを吸い込んでしまう。
そんな魅惑的な秋空は、私の認識さえもすべて奪ってしまった。

「ここはどこで、いったい今はいつだろう・・。」


視線を地上に切り替える。穏やかな普通の住宅街が、目の前に広がる。

そういえば、この大野城に初めて訪れた海外の若者が、しみじみ言っていた言葉が思い出された。「平和だ—。」

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拙い文章を読んで頂いて、ありがとうございました。 できればいつか、各国・各地域の地理を中心とした歴史をわかりやすく「絵本」に表現したい!と思ってます。皆さんのご支援は、絵本のステキな1ページとなるでしょう。ありがとうございます♡