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祖谷のかずら橋 特殊な地形が生んだ奇橋

日本三大秘境 祖谷

霧に包まれる祖谷の山

太平洋の湿った空気が四国山地にぶつかり、祖谷は深い霧に包まれる。2億年をかけ大地が生み出した峡谷には、エメラルドグリーンに輝く祖谷川が流れている。祖谷のかずら橋は祖谷峡を渡す蔓でできた橋で、ゆらゆらと揺れるその橋は日本三奇橋に数えられる。

祖谷のかずら橋

秘境宿の女将の唄

祖谷の秘境宿には、女将の唄声を聴きにご宿泊なされる方もいらっしゃる。女将おもてなしの唄声が、夜の囲炉裏の間に美しく響く。石臼でそばの実などをひく女性の労働唄『徳島県民謡 祖谷の粉ひき唄』でも、祖谷のかずら橋の情景が歌詞になっている。

祖谷の粉ひき節

祖谷のかずら橋や 蜘蛛の巣の如く
風も吹かんのに ゆらゆらと
吹かんのに 吹かないのに 風も
風も吹かんのに ゆらゆらと

徳島県民謡 祖谷の粉ひき唄

祖谷のかずら橋

国内唯一のかずら橋

美しい風景に優雅にかかる蔓でできた橋。祖谷のかずら橋は国内唯一のかずら橋として観光客が多く訪れる。今回は、その背景に迫る。

かずら橋の歴史

祖谷のかずら橋の歴史は古く、800年前に遡る。平家一族が讃岐志度の浦の戦に敗れ祖谷の地に逃れた。軍馬の調練や木挽、杣、猟師や剣山信仰のための交易に使われた。13あった橋も、現在は奥祖谷の二重かずら橋との2ヶ所のみである。

奥祖谷二重かずら橋

なぜ国内唯一なのか

龍宮崖公園観光案内所の方の話によると、国内唯一なのは、ここでしかみられない祖谷の地形や風土と深く関わるという。

川の向こう岸へはおよそ40-50m。一般的にこの距離であれば、川辺に丸太を並べる。比較的丈夫で、何よりあっという間に完成するからだ。しかし、祖谷ではそれは出来なかった。

1. 地形と気候

霧が深く、普段から水分量が多いこの地域。日本一降水量が多い高知県のすぐ山裏は降った雨が四国中央を流れる吉野川に集中する。吉野川は日本三大暴れ川に数えられるほどである。

吉野川 大歩危峡
増水で植物が育たず岩肌が露出する

隣を流れる祖谷川もまた増水が頻繁に起こる。切り立った崖に囲われたこの川では、増水すれば丸太橋は流されてしまう。峡谷の高い位置に橋をかける必要があったのだ。

2. 祖谷の植生

峡谷に橋をかけるのは困難である。ある日、険しい祖谷の山でシラクチカズラが自生していた。しなやかで、丈夫。何より長い。水気を好むその植物は、峡谷に渡す橋の材料として採用された。

シラクチカズラ

日本全国探してもほとんど見つからない峡谷。そこに、落ちのびてきた平家。偶然自生した長く丈夫なカズラ。美しく残るその風景は、祖谷という環境が生み出した絶景なのである。

一枚の写真

祖谷に来て、まもなく2週間が経つ。

この日、自転車で山を越え、大歩危峡に向かった。道中の〈平家屋敷民俗資料館〉の蔵の前に置かれた石臼。唄う女将が石臼を回すあの仕草を思い出す。

東祖谷歴史民俗資料館の石臼 昔の暮らしのお話を聞く

大歩危峡で一枚の写真を見つけた。観光地化される前のかずら橋の写真。今とは、見違えるようである。ヒョロヒョロとしたその橋は今にもちぎれそうでか弱い。

そもそもかずら橋は、平家の落人が追手から逃れるためいつでも切り落とせるように、という説もあるほどだ。祖谷の粉ひき唄の歌詞を思い出す。

「祖谷のかずら橋や 蜘蛛の巣の如く 風も吹かんのに ゆらゆらと」

昭和45年頃のかずら橋の写真

民謡、それを唄う祖谷の女性。それは、地形や岩石、植生、郷土料理と同じように当時の情景を今へ伝えてくれる。私にとって『祖谷の粉ひき唄』は祖谷の風景とともに記憶に刻まれている。

石臼でひいてつくられた名物の祖谷そば。祖谷そばの特徴は、つなぎがなく、プツプツとちぎれやすいこと、だそうだ ────────


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