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葬式で発見 世界の共通言語

人って死んだ時なんで骨だけ遺すねんそれを見せられる我々は何を思えばいいねん全て無駄、死ぬことが怖いと思ったことはないけど自分の骨が残るのは死ぬほど嫌。去年知人の葬式に出た私はそう思ったのだった。
周囲を見て抱いた骨に感情移入されるというなぜの疑問詞。今まで見えてなかった部分を拝むなら髪の毛一本を拝んだ方がまだ尊いのに、私は骨にどう感情移入すればいいの。骨なんて愛したことがないのに、あの露骨なカルシウムの塊を。

日本では儀式化された遺骨文化、人は最後には骨になるという世界共通認識。世界の共通言語は昔から変わらず骨にあるっちゅうわけです。それなのにどうして我々は愛する人たちの骨の感触、温度を知らずに生きているのかしらね。

私は彼女の骨の温度なんて知らへんねん。骨は私と彼女の今までの関係を埋めるものにはまったくなれへんねん。それは一番遠いところにあるねん。悲しい哀しい、とてもかなしい。骨を見ても彼女のことは思い出されへんことがかなしい。虚しい空しい、とてもむなしい。人は最期には骨だけになることを知っていたのに私は彼女の骨の温度だけを知らへんことがむなしい。悔しい口惜しい、それを分かっていても生きてる人の骨を愛すことはやっぱり難しいんだもの。

我々は普段見せない部分を人に見せる時、それは恥ずかしさと秘密の暴露を持って挑むものやけど、その最終形態が骨って。骨はべっぴんさん?それともただの不条理?東京23区で築いた夢と妄想。世界の共通言語は冷えていた。

骨抜きされた人間関係はとても苦しいのに、骨だけ遺されることもこうしてどうにも苦しい。

我々には骨のスキンシップがもっと必要だなと思う今夜、私は自分のごつごつした鼻を触ってみる。ううむ、鼻の骨だけ遺すのはどぎついジョークになるやろうな、ううむ、なんたる不条理。最後のリップサービスは滑稽だねとわらふ世界。

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