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読了『まるごと 腐女子のつづ井さん』

こんにちは。
ヒノカンです。

このタイトルをタイピングして思ったんですが、
腐女子が、一発変換できるんですよ。
すごいですね、腐女子がネット上で市民権獲得?した感じ。

さて、先日読みました『まるごと腐女子のつづ井さん』
つづ井さん、以前から気になってたし、LINEスタンプで常にお世話になってはいるんですけど、漫画に手が伸ばせなくて。(ひどい)
この漫画、なんと文春文庫なんですよ。
しかも、シリーズ3冊まるごと一冊に納めたっていうんですよ。

お得感がすごい

つまり、漫画(B6サイズだった気がする)3冊分が、野口英世でお釣りがくる!安い!!お得!出血大サービスじゃん!!
私が買った時は、新刊棚(平積み)でしたが、ラスト一冊でした。

3冊分の漫画なので、内容たっぷり560ページ。
だけど、1ページあたり3コマなのでさくさく読めます。だいたい1冊分が1時間くらい。

中身はと言いますと、
BLとアニオタのつづ井さんの、HAPPYなオタク生活。
アニメキャラクターを妄想して、幸せになる。
アニメキャラクターの幸せを常に願い続ける。
推しの存在の恩恵を基に私生活を幸せに生きる腐女子の生活が書かれたエッセイコミック。

BLが受け入れられるかはさておき、
自分が生かされている”推し”がいるのなら、誰しもが共感できる話ばかりが詰まっている。

その中で、私が特に共感した箇所を記述する。

①三次元推しは2.8次元だと思っている

めっさわかる〜〜〜〜(大声)
分かりみが深すぎて泣ける。私には、推しアーティストがいる。
一時期雑誌に一コマ写ったら購入するほど好きで、熱狂的だ。
しかし、推しが、同じこの次元にいるとは考えずらいのだ。
推しが、テレビやインスタで登場するだけで、実際に私の前で認知するわけではない。だから、推しは私とは同じ次元ではなく、微妙に時空が歪んだ違う(聖なる)次元に存在しているんだと。ライブは、私の次元と彼の次元が一緒になる唯一の空間だと(しかし観客席から遠いからあまり次元が同じだと思えない)むしろ、同じ次元に思ってしまうとか、推しに自分が認知されるとか何様なのというか、烏滸がましく思ってしまうから・・・・・(恥)

ハイ。

つまり、推しがいる世界はもはや同じ次元ではない、そういうモヤモヤってなんていうんだろう〜〜と思ったとき、この『まるごと腐女子のつづ井さん』の
三次元推しは2.8次元だと思っている
がストンと私の心の中に沁みました。
ちなみに

3次元 ・・・私の生きる修羅の世界
2.8次元・・・推し(生物的に人間として生きている)が生きる尊い世界
2.5次元・・・推し(2次元の世界で生きている)が人間の仮の姿(役者さん)として生きているミュージカルの世界
2次元 ・・・2次元の推しが生きる尊い世界

となる。(納得)

②推しが持ってそうな物を作る

めっちゃわかる。一時期、『文豪ストレイドッグス』の太宰治を崇拝しすぎてスクールバックに包帯を常備してたもん。(彼は常に手に包帯を巻いている)
『まるごと腐女子のつづ井さん』では、つづ井さんの体育会系部活に熱血の推しが、常にスポーツバックにぶら下げていそうなユニフォーム型のフェルトマスコットを作っている。
単に想像して作っているだけじゃない、フェルトの色に一切妥協せず、完成度も妥協しない。あら目の縫い目になってしまっても「推しが持っているものが適当なわけがない」ともう一度縫い目を解いて作り直している。
推しの物を作るのは、オタクの誇りだから。
オタクである使命感を持って、完成度の高い推しの所持物を作り上げる。

私は、推しが持っていそうなグッズを買うことは多い。今ハマっているツイステッドワンダーランドの推し、ヴィル・シェーンハイトの寮服で身につけているネイルと同じ色のネイルが欲しくて、様々なデパコスブランドのサイトを探しまくっているが、
つづ井さんは、推しが持っていそうなグッズを作ってしまうのだ。

その、行動力の高さにひたすら尊敬する。
もうこの本は、オタクあるあるではなく、
つづ井さんの推しへの(妥協を一切認めない)ストイックな愛の表現方法に、尊敬してひれ伏したくなる。
こんなに愛されている推したちもさぞかし幸せに違いない。

つづ井さんの友人が度々出てくるが、
それぞれの友人も、それぞれのポリシーのもとで、
真剣に、推している。
例え、それが他人から見たら「は?」であっても、
彼女たちは、大真面目で、必死なのだ。

それが絵日記として、コンテンツとして書かれているから、
読者は大笑いして読めるのだろう。
ネタとして。漫画コンテンツとして、
キャラとして、つづ井さんは立派な個性的な2次元でも生きられるキャラクターである。

あるいは、つづ井さんのように推しに日々愛を注ぐ人にはこの漫画を読むと、
自分の存在がつづ井さんとしてキャラクター化し、
絵日記として、自分の(見覚えのある)行動が、可視化して
「あるある!」と昇華して楽しむことができるのである。

私はどちらかというと前者かもしれない。
推しは、2次元にも2.8次元にもたくさんいるが、
推しが出る作品全て揃えてはいない。
推しが出る番組を全て録画したり、
ゲームの最推しが、ガチャで登場しても課金はしない。
まぁ、抱える推しと趣味が多すぎて、万年極貧生活だからなんですけど、
つづ井さんほど、ストイックに推しを推していなく、
ガバガバなので、なんか漫画読んでて推しに申し訳なくなってきた。

あと、つづ井さんは推しカプで受け攻めの重要性を論じているが、
私はどちらでもいいと毎度思う。
R-18同人誌を読んでいないからかな、、うーん、脳内で推しカプをセッ●スしたことない。

まぁ、推しをどう推すかは人それぞれだろう。

つづ井さんが、推しに囲まれ、推しを推す生活が幸せそうで、
こちらも幸せになる、そういう本でした。

長々と語りすぎた節があります。

今回はここで筆を置きます。(筆は用いてない)

画像1

『まるごと 腐女子のつづ井さん』
文春文庫 ¥900+tax
公式ページ

追記

筆を置いてから、お風呂に入りながら思いついたことがあるので補足しておく。
なんでつづ井さんの漫画はこんなにも流行るのか。

オタ活をオープンに表現できたからじゃないのか。

オタ活は本来、隠している。つづ井さんもリア友(オタ除く)にはオタクを隠している描写があった。なぜ隠すって、恥ずかしいから。性癖とかバレたり、度を超えた好きの表現を相手に見せると引かれてしまう。それが怖いから。
リア友と仲良くなりたいけど、オタ活で引かれたくない。他人には理解できないことをやっていること承知だから・・・罪の意識がある。
だから隠している。

ヲタクに恋は難しい』(ヲタ恋)にも関連する。主人公の成海はヲタクであることが社内でバレてしまい、居づらくなり転職していた(確か・・ずっと前に読んだから記憶薄いけど)

通常、隠しているオタ活。だけど、オタクは、理解、共感を得られると嬉しい。
だから、ツイッターで、 # 〇〇クラスタと繋がりたい タグがわんさかしているんだけど。匿名で、身元がバレない状態で、自分のオタ活をネット上で表現している。共感する神絵や推しカプ漫画には身悶えしながらハートを押す。時には、連打しすぎて、神絵師様に申し訳ない気持ちになる。

「つづ井さん」「ヲタ恋」は、それらの隠しながらひっそりこってり生息するオタクたちの生態系を忠実に再現するからこそ、オタクたちに共感を得て売れまくっているんだろう。ウンウン、そう思う。

現実世界で、こんなにおおっぴらげに推し活を満喫したい、、それが認められる世界でありたい、と「オタク主人公系漫画(命名)」で夢見ているのかもしれない。

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