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厳しい咎め

人間、二度裁かれる。実相の判別に基づいた悪事に対する「罪」は、受け入れようが受け入れまいが、この世とあの世で二度裁かれることになる。やったらやられるの真理。大きい小さいは関係ない。微悪も大罪もだ。従って、悪事は働かない方がいい。それは己が自覚していようが自覚していまいが、隠そうが隠すまいが裁かれる。即ち、全て見られているということだ。もし、罪を隠し通せた、逃れられたと思っていても、そうは問屋が卸さない。この世で咎めを受けずに済んだとしても、あの世では倍返しだ。特に、国や国際政府、組織における不祥事や隠蔽工作、失態による破綻によって、多くの地球市民や国民や働き手を苦しめた当事者は「全員」厳しい咎めに合う。それは、当人に悪意があるなしに関わらず、関係者の声や思いを蔑ろにし、僅かばかりの経験値を基にした自説への固執、言い訳、他責、適当いい加減な仕事ぶり、事が起こった後への心ない対応など、一挙手一投足を見られている。その場に及んで、ひれ伏して言い訳をしたところで、その罪への相当の償いを受けざるを得ない。今この時、心当たりのある者は、今世のうちに全て償っておいた方が身の為よ。あの世の咎めは、己の想像を絶し、卒倒するものとなる。「いやあ、お上よ。それ冗談だろ?そんなこと言われたら、今のわたしゃあ死にたくとも死に切れん。どうか勘弁しておくんなせい。」残念ながら勘弁ならんのが実相。そのことを今知ったことをまだ幸運と思うべし。



そのことを肝に銘じ、自分自身の罪、微悪の数々を思い出し、今生きているうちに償い、全て清算できるよう生きます。



有難う御座います。

幸せを呼ぶそよ風チャリダー/サステナビリティイノベーティブコンサルタント。「感謝感動を世界に地球に」のカングロ代表、ザッポス研究会、イノベーションサロンZ、システムD研究会、サステナ塾、セブメディ創設者