見出し画像

横着者

人間、「横着」に生きれば、必ず当てが外れる。


自分の身の回りのこと、人との関わり方、そして人生に対して「横着」であれば、実りはたかが知れている。


周囲を見てみよ。


横着者は、一見、自由そうに見え、その人の特性だとしながらも、結局はその不始末を自分で負うことになっている。


見えるところで恰好付けていても、視えないところで横着をしていれば同じこと。


人知らずともお天道様は全て見ている。これ真実。


己は如何に。


もし思い当たることがあれば、今直ぐ修正せよ。


横着が横着を呼び、逝く時になって後悔したとしても時既に遅し。


生活一つひとつの小さな不始末が重なり、やがては己の身に確実に降りかかる。


「横着」とは、人間の辞書にもよう書いてある。


“横着とは、すべきことを故意に怠けること。


できるだけ楽をしてすまそうとすること。


わがままで、ずうずうしいこと。


ずるいこと”。



「いやあ、自分は大丈夫っす。ちゃんとやってる方だと思いますよ。時々、約束をすっぽかすとか、ゴミをつい道に捨ててしまうこともあるけど、みんなやってることだし、それくらいは大丈夫でしょ!だって、人間だもの(笑)」…。



自分自身への横着が、既に他人や環境に対し、ご迷惑様になっていることすらも気付けぬこの始末。身の程を弁えた方がいい。


よいか、人間絶対に正しく、絶対に間違っていない者はこの世には一人もいないことを推して知るべし。


しからば、己も横着者の一人だという自覚を持って生きよ。


そうすれば、少しはましな人生が送れるようになるやもしれぬ。





そのことを肝に銘じ、自分自身の生き様、所作、性根、心根を全て見直し、横着なく生きます。




有難う御座います。

幸せを呼ぶそよ風チャリダー/サステナビリティイノベーティブコンサルタント。「感謝感動を世界に地球に」のカングロ代表、ザッポス研究会、イノベーションサロンZ、システムD研究会、サステナ塾、セブメディ創設者