見出し画像

京急の街「追浜」|ホワイトノイズと僕の脳

2024年5月

しばらくnoteを見ていなかった。
見れていなかったのか、見ようとしていなかったのか。
確かに仕事は忙しかったし
仕事は仕事で充実していたから、
それはそれでいいような気もした。

写真はといえば、仕事でたくさん撮っているし、
それもそれでいいような気がした。

でもなにか「違う」という感覚が
この1ヶ月ずっと頭のなかにあった。


昨日金曜ロードショーで「猫の恩返し」を見た。
「自分の時間を生きているか」というのがこの作品のテーマだった。
僕は40手前にもなって、未だにこのテーマに答えをだせないまま
社会を漂っているように感じる。

写真への興味はどこに行ってしまったのか。
僕が仕事に夢中になっている間にも
noteではたくさんの写真を使っていただいている。

その一つ一つが僕のライフワークの積み重ねとして
考える”べき”テーマを与えてくれているはずだった。


おかしい。
なにかがおかしい。

でも、「自分の時間」に戻れない。

GWに入って重い腰を上げてnoteを開く。
書きかけのnote。

追浜の虚しい海の風景が、1ヶ月半の時を経て
僕の感情と重なる。
知らないような、知っているような、
帰ってきたような、どこにも行っていないような

人の時間軸をゆうに超える海の波
昭和、平成、令和と人が残してきた時代の波
このなかでゆらゆらと漂うだけの自分

自分が写っているような感じがした。


2024年3月某日

海を見れる場所はたくさんある。
でもどこから見たいのかは人それぞれだ。
追浜の海が好きだ。

その日、バサバサと耳に風の音がなり続け、長い影を作る夕日が鋭く差し込んでいるが、温かさは感じなかった。


海をゴールにした行き止まりの道路に、ファミリーカーが5,6台路上駐車している。そばにあるグラウンドに少年野球をやりにきている家族だろう。配送用の軽ワゴンのなかにはスマホを見て休憩している青年がいる。僕が横を通ると干渉するなと言わんばかりの目線を食らう。ここでは路上駐車を咎めるものはいなそうだ。僕もその列に混じって自分の車を停めた。

ここに来るまでは工場地帯が続く。追浜といえばNissanの期間工の街、というイメージがある。下請け、関連会社と思われる施設が立ちならぶ。少なくとも土日は人通りが少なく、殺風景な道が続く。

その道路の先、海との境目に、城がそびえ立っている。
実際城ではないのだが、城にしか見えない。
横浜リサイクルプラザ「Aicle」。

http://miura-and-others.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/post-c287.html


僕は追浜を再度訪れた。
「僕は京急線の街を撮りたいのかもしれない」と感じた最初の撮影に訪れたのが2020年。当時の記事はこちら。

このときは駅前の商店街を歩いたが、今回はもっと海の方に車を走らせた。


2024年5月某日

ようやっと自分の活動と向き合うための時間を取ろうとしている。
気合でどうにかなったものではない。
ホワイトノイズの力を借りている。

Apple Musicで「超集中できる自然音 -雨の音-」なるものがあって
それを聞いていると頭の中のごちゃごちゃとしたいろいろが
すーっときれいになっていく。
モヤが晴れていくとはまさにこういう感じだ。

海を見ているときはシャッターを押すのに夢中になる。
波の音もホワイトノイズらしい。
あの場所で聞いた風の音もホワイトノイズだろう。

脳、水や風、ノイズ。
どうやら僕が「自分の時間を生きる」にはこれらのバランスが大切らしい。



この記事が参加している募集

一度は行きたいあの場所

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

ドラマ感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?