見出し画像

『清張さん』からの、太宰さんとサザエさん

私には何かと「こじつけたがり」なところがあります。
こじつけたがりのこじつけるとは、関係のない物事を無理に理由をつけ関係づけることの意で、今回の記事は思いっきり「私のこじつけモード全開」となっています。

そもそも当初は「松本清張の俳句を探して」と題する予定だったところが「太宰さんとサザエさん」です。

どうこじつけたらそのような展開になるのか、とくとご一読ください。

今日、2月12日に向けて

こじつけたがりな私は、大好きな清張さんの記事を投稿する日は、清張さん所縁ゆかりの日にしよう。――そう決めていました。

では、なぜ、2月12日なのか?
それは、今日、2月12日が清張さんの本当の誕生日であるともいわれているからです。

自伝「半生の記」は、あとがきで本人自らが「本にするため、連載のものに手を入れてみたが、結局、短くするだけの作業に終った」と語っているほどにコンパクトですが、ここでは「明治42年12月21日に私が生れている」とあります。

しかし、現存する幼少期の写真の裏書きなどから、実際の誕生日は明治42年2月12日であり、明治42年12月21日は出生届が受理された戸籍上の誕生日である可能性が高いとのことです。

こじつけたがりの私にとって「本当の誕生日」よりも「そろそろ清張さんのことを記事にしよう」と思い立ったのが2月12日間近だったところに特別な意味があります。

そのうえ、その日はゆっくりできる日曜日です。
私は来たる2月12日に向けて記事の準備にとりかかりました。

どうして清張さんの俳句なのか

現在、私の俳句に関する主な記事は下記2つですが、いつかは俳句の記事をマガジンにまとめたいと思っています。

そのマガジンでは、自分の俳句だけでなく俳句とは縁遠そうな方々の俳句も紹介していきたいのですが、その一環として真っ先に思い浮かんだのが清張さんでした。

理由は、清張さんが歴史に造詣が深いだけでなく、俳句の世界に興味があったと推測されるからです。

松本清張記念館の館報の中に、松本清張『時間の習俗』と俳句という記事があり、そこで清張さんの俳句に対する知識についてこう述べられています。

とにかく、「時間の習俗」には、俳句の雑誌もいっぱい出てくるけど、これも知らない人には書けない。ほかにも俳句や俳人が登場する作品はたくさんある。作中の句はほとんど清張さんの作品のようだけど、これから考えると清張さんは相当、俳句の素養がある。

松本清張記念館:館報第2号より

清張さんの句を確かめてみよう

清張さんが俳句にも精通していたことが分かったところで、いざ、作中の句をこの目で確かめるべく、私は意気揚々と図書館へと向かいました。

向かったのは市内のN図書館。先週の土曜日のことです。
お目当ての本は「巻頭句の女」が収録されている本で、事前にネット検索して「駅路」か「危険な斜面」に絞り込んでいました。

ところが、Ǹ図書館には「駅路」の方があったものの、それには「巻頭句の女」が収録されておらず、T図書館の参考図書室ならば「危険な斜面」が所蔵されていると判明。

ただし、参考図書室の本は持ち出し禁止とのことで、閲覧の準備と心づもりのために日を改めた私は、1週間後の昨日、ついに「巻頭句の女」に辿りついたというわけです。

しかも、参考図書室受付の女性スタッフの方が、私の目的が「巻頭句の女」であることを聴き取ってくださったおかげで、「巻頭句の女」が収録されている貸し出し可能な本を借りることができました。

それが、1993年発行の「松本清張傑作総集Ⅰ」(新潮社)です。
辞典並の大きさで、家に帰って厚みを測ってみたら6センチもありました。

かなりの本を読んできましたが、こんなに厚い本を読むのは初めてです。
ドキドキしながら目次を開き、その収録数に目を見張りました。

なんと、30篇の短編と2編の長編が収められているではありませんか!
その早々たる作品に、悦びで胸がバクバクと高鳴りました。

なぜ「巻頭句の女」なのか

こうして紆余曲折、「巻頭句の女」に辿りついたわけですが、そもそもなぜ「巻頭句の女」でなければならなかったのか。

それは、ひとえに、「巻頭句の女」が私の記憶に深く残っていたからです。

あらすじや感想は省略しますが、一人の女性の悲しい末路が淡々と描かれる一方、そのような境遇の女性に対する清張さんの思いがそこはかとなく込められています。

身の詫びは掌に蓑虫をころがしつ

作中に出てくるこの句を念頭に置いて本編を再読してみたい。
その一心が「巻頭句の女」を選んだきっかけです。

なのにどうして「太宰さんとサザエさん」なのか

それはもう、私の思考回路というしかないのですが、急にふっと、清張さんと「さん」づけするのはいかがなものだろう?と思うにいたりました。

前ぶれは、松本清張記念館の館報を引用した辺りです。

近しい関係の人が公で清張さんと呼ぶのは有りだけど、私が記事の中で清張さんと呼ぶのはどうなのかな?
親しみを込めての清張さんは有りでも、記事にする場合は松本清張や清張なのではないかな?

最初は、そんなたぐいの戸惑いめいた疑問でした。

それがズンズン別の方向に向かっていって、じゃぁ、私の中で「さん」づけとならない作家は誰だろう?となりました。

そしてピンときたのが太宰治です。

私は自分のその発見をすぐに誰かに伝えたくて、まずは手っ取り早く、同じ部屋でくつろいでいた同居人に意見を求めました。

「松本清張は清張さんとなるのに、太宰治が太宰さんとならないのはどうしてだろう?どうして太宰治はダザイなんだろう?」と。

パソコンのキーボードを打つ手を止めた私から、突然そんなことを問われた同居人がしばし考えたあとの答えはいたって簡潔。

「ダザイさんだとサザエさんみたいな響きになってしまうからじゃない?」

「ほんとだ!なるほど!」
私は思わず歓喜の声をあげました。

しかも、こじつけたがりな私は、松本清張と太宰治が同い年だという豆知識を持っていました。

「すごい、すごい!」
これは重大発見とばかりに、私は二人の同い年に言い知れぬ繋がりを見出したのです。

明治生まれでありながら、今も多くの人に読み継がれている二人の文豪。
貧しい生活にもがいた清張と裕福な家庭に生まれ育った太宰治。

二人に接点はあったのかな?と、興味がわいて検索したところ、二人の間に接点はなく、清張さんが遅咲きの小説デビューを果たしたのは、太宰がこの世を去った後のことでした。

おわりに

まるで大発見をしたかの気分な私でしたが、冷静によくよく考えると、太宰のほかに「さん」づけとならい文豪の存在に気づいてしまいました。

その代表が夏目漱石と森鴎外。

もっと突きつめれば、「さん」づけとならない作家は多数にのぼっていくでしょう。

でも、こじつけたがりな私は、最後まで自分のこじつけを通します。
同じ明治42年に生まれた松本清張と太宰治だからこそ意味があるのだと。


この記事が参加している募集

noteのつづけ方

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?