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心もとなく白い雪

「忘れる」けれども「忘れない」
この相矛盾する心情の積み重ねこそが
複雑で奥深い日本の文化を形づくってきたのではないでしょうか。
二つの概念を両立させるカギとなるのが
「思い出す」という心の働きです。

2019年12月10日朝日新聞
「年忘れ」の効用(玄侑宗久さん分)より抜粋

メモ魔のわたしが言うのもなんですが、深く共感しました。そしてこれも、忘れないようにと青い手帳に記録していたもので、上記のみを上記順番で記していました。わたしは新聞をとっていないので、どこかでこの記事を目にしたのですが、それがどこであったのかは思い出せません。

理由は、メモをとるときに補足として残すのが”日付”と”参照元”だけだからなのですが、「これをメモしたい」と思った気持ちはメモしていなくても、ちゃんと思い出せます。
このときは、ちょうど「自分がメモしないこと」についてあれこれ考えていたときで、なんてタイムリーなことかと驚きながらメモをとりました。

「思い出す」という心の働き。
これこそわたしのメモ基準だと。
――そう思いました。

「これはあとで思い出せるからメモしなくても大丈夫」
きっと懐かしく思い出すだろうと判断したことは見事に的中し、今のわたしを形づくっています。そしてそれは、出会いの中で知ったことばかり。

先だって、何年ぶりかのカラオケで、わたしが熱唱したケツメイシの『出会いのかけら』の歌詞にもあったとおり、
「人と人が繋がってやがてそれが形になって
決して良い事が起きなくても出会いとは不思議なもんで」
です。


わたしの場合、これまで2回、12月に大きな転機をむかえたせいか、12月はこれまでを振り返る節目の月となっていて、そんな12月に真っ白な雪が降ると、わたしはとても心もとない気持ちになります。
出会いと別れをくりかえし、今はこうしてここで雪を見ている自分がなんだか頼りない生きもののような気がして胸が”しゅん”となるのです。

もしかしたらその胸の”しゅん”は、わびさびの”さび”かもしれないと思うことがあり、「さび」って、こういうことかと分かったようなつもりになったりもします。

そんなことを思っていた矢先、寒波で大雪となった仕事帰りのバス停。
心もとなくて、やっぱり胸が”しゅん”となりました。
それでも、目を見張るようなしんしんと美しい景色で、バスを待つ数人の人たちの中にいながら、なんとかこの景色をスマホで撮りたいと思っていると、そのチャンスがやってきて、バスに乗り込む際、最後尾となったのを機に急いでパチリ。心もとなく白い雪景色を撮ることができました。

雪がしんしん、静かな夜。
夜といっても17時半。
冬至の日。

人との出会いにかぎらず、心ひかれる風景との出会いもまた一期一会だと思うようになった今日このごろのわたしです。


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