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子供の時は苦手だったのに(マンゴー編)


弟から「結婚式に流すスライド用の写真をみつくろってくれ」と言われて、家族写真を物色していて、気が付いたことがあります。

私、ことごとく、

笑っていない。


誕生日のケーキを目の前に、ねめつける5歳。
弟を三輪車に乗せて、射るような視線を向ける4歳。
ぬいぐるみを抱えて迷惑そうに見返す3歳。

総じて昭和の体育教師に「なんだ、その目は!?オマエ何か、言いたいことがあるのか!」とぶっ飛ばされそうなツラをしています。


でも私マンゴーは、写真を見ながら思い出したのです。

あれは海に行ったとき、
「お母さん、なにはしゃいで写真撮ってんだか。笑えだと?まぶしくて目があかないっつーの」と思っていたことを。


あれは浴衣を着ているとき、
「お母さんが撮りたいのであって、私は撮られたくない。だから笑う義務はない」と思っていたことを。
※お伝えやすくするため、当時知らなかった言葉を使っています。


わたしは子どものころ、写真のために笑顔になることが苦手だったのです。



こんな経験はありませんか。

「はい、みんな撮るよ~」とカメラを向けられた瞬間、女子たちは自分史上最上のキメ顔を固定。
その後訪れる0.5秒の静寂。

シャッターが押されるのは、まだかまだかと待っていたら、
「あっ、ごっめーん、動画になってた~」

緊張が切れた瞬間、弛緩する顔、顔、顔。
「やだ~」なんつって、本当の笑顔が現れる愛すべき瞬間です。

このようなキメ顔を張り付け+固定できる女子を「かわいいなぁ」と思える程度には、清濁併せのんできたアラフォーです。


でも当時の私(例えば5歳)は、上記の現場を見たらきっとこう思ったでしょう。

「バ、バケモノ集団……」。


心から楽しんでいる、いないに関わらず、コントロールできる顔面。
それは、ある種の偽造。
それは、ある種の詐欺。

そして完全な条件反射です。
この条件反射を身に着けるまで、どんな道のりがあったのでしょうか。


修行です。


鏡の前で、どの角度がかわいく見えるかの研究にいそしみ、カメラを向けられると、瞬時にニカッ、ニコッ、ウルッを発動して撮られ、紙焼きまたは現場で確認する、という高速PDCAを回す。

その修行の集大成が「顔」というスクリーンに一瞬で映し出されるのです。
もはや芸能


そもそも「笑顔」は人間のコミュニケーションを円滑にするための身体言語だといいます。「私はあなたの敵ではありません」「あなたが好きです」を伝えるメッセージであったというから、自分以外のだれかに向けられるものだったのでしょう。

しかし、キメ笑顔を向けられているのは、撮る人ではありません。
主に、近い未来の自分です。


その小さなねじれが小骨のようにひっかかって、眉間にシワを寄せてしまう5歳の私。

小骨の痛さを感じなくなる鈍感力を身に着けて、笑顔、ヘン顔、キメ顔と対応できるバケモノ化した今の私。


得たものと失ったものを経て、私は生きやすくなったのでしょうか。
生きにくくなったのでしょうか………。
ここ数日考えているのですが答えが出ません。どなたか教えてください。


え、じゃあモリモリの自撮りにいそしむ女子を5歳の私がどう思うかって?

う~ん、

セミプロ聖子ちゃん

ですかねえ。

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