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認めたくないものだな

モテたい。あなたはこの願望をもっているだろうか。もしくはもっていただろうか。もしくはもったことすらないだろうか。
私は大学2年生にして初めて、この願望の芽のようなものが心のなかにあることを実感している。なぜなら、現在の私は今までで1番恋愛に興味をもっているからだ。恋愛ドラマ・映画・バラエティーを見ることが増え、友達の恋愛話を何時間でも聞けるようになった。過去の私は現在と真逆で、テレビで恋愛を取り扱った内容の映像が流れるだけで拒否していたし、友達の恋愛話が始まると聞いているふりをして魂をどこかに投げていた。
人間は変わるものだなーと常々実感しているのだが、恋愛に興味をもち知識をつけていくうえで明らかになってしまったことがある。

それは、”私は異性にモテない”という事実だ。

中高女子校という環境で日々を過ごしていると、異性にモテる・モテないの事実は浮き彫りになりにくい。もちろん同じクラスの子で他校の男子と付き合ったり塾の先生に片思いをしていたりと、色恋の話題を持ち出すことはあったがそれは少数派だった。だからこそ、自分が色恋のエピソードをもっていないところで”モテない”という烙印を押すにはまだはやいと言い訳ができ、気にもしていなかった。
しかし大学に入って早2年。中高共学で過ごしてきた子は山のように色恋のエピソードをもっていることを知る。そしてもっと驚きなことに、中高女子校で共に過ごしてきた同志達でさえも色恋のエピソードを1個や2個もっている状態であることを知った。だからここで1つ、過去の自分の人生を振り返り色恋エピソードを探してみた。
”全くない”
このことが明らかになった以上さすがにあの烙印を押さなけらばならない。
が、とても認めたくない。
なぜなら割とプライドが高い方であるからだ。そして心のどこかで男の子のいる場にいけば自分は少しはモテるのではないかという期待があったからだ。それが見事に打ち砕かれた20歳。私はこれからどうしていこう。
外見を磨いたりモテる仕草や言動の研究をしたり努力はいかようにもできるが、私の致命的な欠点は”自分をつくることが出来ないこと”だ。
目上の人には敬語とか相手の顔色をうかがったうえでの言動とか礼儀という分野で”つくる”ことはできるのだが、異性に対してこれを言えばまたはやればモテるのではないかという予想はできても”つくる”ことはできない。もともとの性格が愛嬌があるほうではないので、愛嬌があるように見せるには自分をつくるしかないのだがそれがどうも恥ずかしさなのか逆張りなのかできない。
だからもう、ありのままで生きるしかないのだ。
映画”アナと雪の女王”ではそんな生き方が推奨されていたけれど、モテという分野においては私のありのままは通用しない。
”モテない”自分を認めたうえで今後私の人生がどうなっていくのか自分事ながら楽しみである。
                                      はなり


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