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卒業シーズンを迎えて大学生の私が考えること

3月。まだまだ寒さは残っているけれど窓に反射する日差しや前髪を揺らす風に少しの春を感じる季節になった。そして私が毎日のように利用するラインミュージックでは早くも”卒業ソング特集”が組まれようやく気がついた。
そうか、卒業シーズンが始まるのか。

大学生の私は過去に、幼稚園・小学校・中学校・高校と4回ほど卒業を経験している。その全ての卒業式において自分の記憶上だと1度も涙を流していない。理由は簡単だ。
別に悲しくなかったから。
こんな風に文字に書きあらわすと、なんだかものすごく寂しい学生時代をすごしたのかと思う人もいそうだが決してそういうわけではない。
幼稚園・小学校は地元の共学でそれなりに楽しんでいたし、中学校・高校は女子校にどっぷりつかり自由気ままな学生Lifeを送っていたと思う。
ではなぜ学校に1mmも未練なくむしろ卒業できてすがすがしいとさえ思ったのか。それはおそらく、本気で何かに打ち込んだり本気で誰かを好きなったりしていないからだ。卒業式で涙を流していた人の多くが、部活に打ち込んでいたり大好きな友達がいたり先生に恋をした経験をもっていた。このように学生生活で1つでも自分の心が大きく動くような出来事があった生徒はその学校に良くも悪くも愛着をもち、その場から旅立つことに後悔や達成感など色々な感情が溢れだし涙する。一方で私は、部活はしていたもののお気楽な活動内容であったし行動を共にしていた友達も今では連絡すらとっていないくらい薄い関係性であった。ましてや恋なんてする相手も興味もなかった。こんな空っぽな人間が卒業式だけ涙していたら逆に恐怖である。

4回経験した卒業のなかで一番心に残っているのは高校である。
卒業式が終わってクラスの友達と様々なアングルで散々写真をとった後ようやく下校時間になり、いつもの友達と待ち合わせて帰った。途中駅で友達と別れ1人でいつもの帰り道を歩いているときふと思った気持ちを今でも忘れない。
”ああ、やっと解放された”
これはどういう意味の解放だったのかは思い出せないが、多分たくさんの”しがらみ”からの解放を意味していたと思う。
まずは教室における”友達”からの解放。いくら気楽な女子高とはいってもやっぱり女子特有のグループは存在して、周りに合わせて愛想笑いなんてのは日常茶飯事だった。当時の自分にとってはそれは当たり前のことだったし特に苦とは思っていなかったはずだが、いざ卒業を迎えこれから一生あの教室に行かなくていいと実感できた瞬間、目の前がぱあっと明るくなるような思いだったことを覚えている。
そうか、これからは周りに合わせなくていいんだ。好きな友達とだけ付き合っていけばいいんだ。
そんな”教室の友達”からの解放は私を生きやすくさせてくれた。
次に意味する解放は、”女子高生からの解放”だ。
女子高生というとその名称だけでブランドであり、JKなどと呼ばれて一般的にははやし立てられる存在だ。しかし私はその”女子高生”というブランドが好きではなかった。制服を着てミニスカートを履いて生足をだしてきらきらとはしゃぐ、そんな存在を世間は美しく見がちだけど実際はそうじゃない。
その”女子高生”というブランドによって怖い思い・辛い思いをしている子がたくさんいる。私も実際高校1年生のとき、電車で男の人にあとをつけられたり急に隣に座られたり怖い思いをしたことがあった。別にその人に触られたり性的な被害は受けていないが、その出来事があってから2.3か月は電車や駅がとても怖くなってでも学校は休めないからその駅を通る時は猛ダッシュをしたり挙動不審と思われるくらいその人がいないかキョロキョロしたりした。それからミニスカートを履いている自分が急に気持ち悪くなって、スカートの下にショートパンツを履いて卒業まで過ごした。生足も出来るだけ出したくなくて短い靴下からハイソックスに変えた。
ニュースで流れる事件ほど悪質ではない。
大したことじゃない、自意識過剰だって思う人がいるかもしれない。
でもそんなことでも、1日にして人の生き方・考え方を変えてしまうくらいの悪質さをもっている。
女子高生の美しくない部分を知った私は卒業を迎えたあの日、
”ああ、これからは女子高生として生きなくていいんだ”って
心の底から安心したことを今でも覚えている。

卒業は解放。こんな価値観をもつ私を可哀そうと思う人はいるだろう。
でもそれでいい。あの名曲の歌詞にだって書いてあるじゃないか。
「ああ、卒業式で泣かないと冷たい人と言われそう
          でももっと悲しい瞬間に涙はとっておきたいの」

今年の3月に卒業を迎える方々、解放おめでとうございます。笑
                                     はなり
  

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