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深夜に出歩くのは好きではないけど月は綺麗だなと思う

 男女の友情は成立するのか。しばしば討論されるが、結果として人それぞれなんて意見に収まる。そりゃあそうだろうが、あまりにも簡単すぎて面白味に欠ける。一見考えなくてもいいことにこそ物事の本質があると信じている私は、男女の友情について考えてみたい。
 このテーマについて深く考えるようになったきっかけは、ドラマ「いちばんすきな花」を見たことである。1週間のうち1番木曜日が好きになるほど好みのドラマだった。特に印象的だったのは、多部未華子さん演じる"ゆくえ"と仲野太賀さん演じる"赤田"の関係性だ。2人は性別は違うがしっかりとした友情で繋がっている。とは言いつつもドラマを見ている最中の私は、"どうせ7話くらいでどちらかが恋心に気づいて告白するんだろ!"と思っていたのだが、最後まで本当に友情だった。
ではなぜ2人において男女の友情が成立したのだろう。そもそも私の考える友達の定義とは、その人と心から話したいと思うかどうかだ。会いたいとか遊びに行きたいとかよりも、話したい。この出来事を話したらあの人は何て言うだろうか、今あの人は何を考えているのだろうか、そんなことを考えて話したいと思う相手を私は友達だと思っている。もちろん恋心をもつ相手にだって話したいという願望はあるだろうが、それよりも会いたいが強い気がする。まあ恋愛をしたことがない私にとっては全て憶測であるが、恋愛がお盛んな友達にあることを聞いてからそう思うようになった。彼女曰く、好きな相手との会話には中身がないらしい。お互いが好き故にふわふわしているからこそ深い話はできない、だが楽しい。それが恋心みたいだ。そう考えると「いちばんすきな花」のゆくえと赤田のコミュニケーションは全くふわふわしていないうえに、思ったことを素直に伝え合う関係性だった。もちろん2人の性格も影響していると思うが、それでもお互いが繕わずそのままで接している姿は紛れもない友情だった。好きな相手だったらもうちょっといい格好をしてしまう気がした。申し訳ないが根拠はない、憶測だ。
 男女の友情。このテーマは沼である。考えれば考えるほど抜け出せなくなる。それでも1つだけわかったことは、私は男女の友情に憧れているということだ。違う星で生きているかのように異なる特性を持つ男女が恋心とか肉体関係とかを越えて、素のまま話したいと思える間柄になる。そんな関係性が確かに存在する社会で私は生きたいと思った。
                 はなり  
 

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