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やっぱり私は共感したい

 私が文章を書きたくなるときは決まって、気分が落ち込んでいるか怒っているか切なくなっているときだ。つまり、ネガティブな感情になればなるほど創作意欲が湧き上がってくる。逆にいうと、休みが続いて家にいられる時間が長かったり素敵な喫茶店に行っておいしいカフェラテを飲んだり音楽を聴きながら心置きなく散歩していられるような幸せな時間が続くと、ぱたりと創作意欲がなくなる。そんなものなのだろうか。
私はここ数日、ありがたいことに穏やかな感情の日々が続いていて幸せだ。
きっとそれは予定が少ないからだ。寝る時は朝起きる時間を考えずにぐっすり寝られるし朝起きてからもその日を何に使うかは自分次第。ああ、素敵だ。とっても素敵だ。誰からも何からも縛られない貴重な1日。
家でだらだらドラマなり映画なり見て物語に入り込んで主人公の気持ちに浸ってもいい。紅茶を飲みながら小説を読んで涙してもいい。はたまた、ちょっとメイクをして最近買った薄緑色のカーディガンを着て近所を散歩してもいい。全部自分次第。全部自分の好きを優先していい。私はこんな日常が好きだ。
もちろん、いつまでもそんな生活が出来ないこともわかっている。そしてもっとした方がいいことがあることもわかっている。自分を高める勉強をしたりもっと他人とコミュニケーションをとって人脈をつくったり友達と大学生っぽい遊びをしたり異性と出かけてキュンキュンきゃっきゃしたり。
知ってる。”大学生”という一見自由にみえてほんとはみんなが勝手につくった大学生像に縛られている大枠のなかで私は生きている。
周りの友達とか大人が考える幸せと私の幸せは少しずれていて、みんなが笑顔で楽しそうにしているイベント達には心惹かれず、1人での楽しみを選んでしまう。ただそれだけだ。
楽しいならそれでいいんじゃない?と思う人もきっといるはず。
確かにそう。そう思ってたけど。
たまに、少し寂しくなる。切なくなる。
それは1人でいるからではなくて、この世界に私に共感してくれる人はいないかもしれないなんて思ってしまうからだ。
違うことは素晴らしい。違う価値観を受け入れ合うことは素敵なことだ。
だけどやっぱり私は、共感して笑い合いたい。
共感して近づき合いたい。
共感して愛し合いたい。

何かから帰る夜道。今日あったムカつくこと、好きなもののこと、ちょっと深い人間関係のこと。色々な話を笑い合いながらして夜風にあたって歩いて帰る。もしそんなことをできる相手に出会うことができたら、私はもう何もいらないかもしれない。
                                     はなり

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