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タイミングの神様

タイミングが悪い日って結構ある。
家で、漏れる!と思ってトイレに駆け込もうとするとタッチの差で父か兄に先を越される。
そして何が嫌かってめちゃくちゃ中にいる時間が長い。中で何やってんだ?!どうせスマホでも見たんだろ?!って思うけど喧嘩になるのも面倒くさいからあえてうるさくしない。じっと耐える。
ああ、ついてない
バイトの休憩時間、被りたい人とはすれ違い、被りたくない人とはがっつり一緒。
気まずいな、なんか話した方がいいかななんて考えていたら無言の時間が続いて、今更話しかけるのも躊躇われて結局無言、、、
こんなんだから好かれないんだよな
もっと何も考えず気軽に話しかけられれば、もっと相手も心を開いてくれるのにな
でもここで1つ私が考えてしまうのが、私達人間には話したい人と話したくない人がいると思う。
自分が話してて楽しいな心地いいなと思う相手と気まずいなつまらないなと思う相手がいる。これは人間の相性であって、どっちが悪いとかではない。ただ1つ問題が、社会で生きる中で話したくない人とも話さざるおえない瞬間が幾度もある。今私の身の回りの社会といったらバイト。たくさんのバイト・パートさんがいて社員さんもいる。あとはお客さんもいる。老若男女、それぞれ違う価値観をもった人々が一堂に会する社会だ。そんな社会で働くとなったら、相性が悪い人ともコミュニケーションをとる必要は大いにある。わかってる。でも私はまだ割り切れない。こんな時まだまだお子ちゃまな自分を自覚する。
相性が悪い人とは話したくない。気まずくなることがわかっているなら初めから話したくない。話して不快になるくらいなら、話さず無言を貫いた方が楽だ。そして話したい人と話したい。タイミングよく休憩が被って話したい。そう思うのに毎週タイミングが悪い。これは私のスタンスのせいだろうか。もしもタイミングの神様がいるならば聞いてみたい。
良い偶然よりも悪い偶然が多いのはなぜですか?
                はなり

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