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どっちも好きでいたい

 晴耕雨読。これは、私が小学生か中学生頃から座右の銘としている言葉だ。きっかけは学校の授業で四字熟語を扱い、教科書をパラパラとめくっているとなぜか目につき、意味と語感をとても気に入ってしまった。意味は、晴れの日は田畑を耕し雨の日は家で読書をするなどして悠々自適に過ごすことである。しかし私は本来の意味とは別の捉え方をして自らの座右の銘とした。
 天気予報を見ていると、"明日は晴れみたいでよかったね"とか"明日は雨だからやだね"なんて呟きが聞こえてくる。その度に私は、どうして天気で一喜一憂するのだろう晴れでも雨でも楽しいことは楽しいままでめんどくさいことはめんどくさいままなのにと思っていた。もちろん雨が嫌だと思う理由はわかるけれど、私は雨の素敵なところも知っている。まず、いつもより街がちょっとだけ静かになるところだ。外に出る人が少し減るせいか、人混みが苦手な私にとっては快適な道がそこに広がっている。またお気に入りの傘を持つと雨の日がもっと嬉しくなる。基本、傘は雨の日にしかさせないから晴れの日が続くとせっかくお気に入りの傘を買っても出番がない。だから、久しぶりに雨が降っているのを見るとやっとさせる!とルンルン気分になる。私が今持っている傘は、さすだけでどんよりとした空もパッ!っと華やぐくらい素敵なデザインでビニール傘をさしている人に貸したいくらいだ。きっとその眉間に入った力がスッと抜けてくだろう。あともう1つ雨の素敵なところを挙げるとしたら、傘をさしているからこそ歩いている人の顔をみないですむところだ。もしかしたらこれは私の少し歪んだ性格故のメリットかもしれないが、私は基本的に外で道を歩いている時、人と目を合わせたくない。何で?と聞かれると難しいが、1人の世界に入りたいというのが理由だろうか。あとは人見知りというのもある。街で偶然知っている人に会って、あ〜!!久しぶり〜!なんて会話をあんまりしたくない。これ以上書くと私の歪みぶりがバレてしまうかもしれないのでやめとくが、まあ雨というのは素敵なものということだけは書き記しておきたい。晴れの素敵さは言わずもがな多くの人が知っているだろうし、多くの人が雨より晴れの方が好きだ。私だって、青空が澄み切ってて綺麗に見える晴れは大好きだ。でも雨だって素敵さでいったら負けてない。どっちも好きでどんな日でも機転をきかせて素敵な日にできる人でいようという想いを込めて、私の座右の銘は晴耕雨読である。 
                 はなり

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