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大臺神楽闇夜 1章 倭 3高天原の惨劇10

 お日様が天高く。普段ならお昼ご飯を食べる刻。李禹は今日のご飯はナンジャラホイとウキウキしている刻。真逆今日この日、自分が其のご飯になるとは考えてもいなかった。
「何故じゃ…。何故我が死なねばならぬ…。」
 と、涙は枯れる事なく溢れ出てくる。項雲も麃公も楊も王嘉も司も誰も嘆願すらしてくれなかった。
「諦めるな…。必ず三佳貞が助けに来る。」
 と、王嘉は希望を持たせてくれたが、三佳貞が助けに来る保証など何処にも無い。無いどころか迂駕耶に帰った何て話が聞こえて来るしまつ…。李禹は地面に突き刺した長い棒に縛り付けられシクシク泣いている。
 民が憐れみの目で李禹の周りに藁を敷き詰めて行く…。
 李禹は自分が焼かれて行く姿を想像して更にシクシクと泣く。
「助けてやれないの ?」
 其の様子を見やり項雲の妻である項蕉(こうしょう)が言った。
「無理だな。下手に動けば怪しまれる。」
 項雲が答える。
「でも…。」
「三佳貞が助けに来る事を願うしかないだろうな。」
 と、項雲は曇った表情を浮かべた。
「そう…。でも帥升はどうしてこんな周りくどい事を…。三佳貞を殺したいならいつでも殺せたはず…。」
「試しているのだ。」
「試して ? 三佳貞を ? 其れとも三子族を ?」
「否、我等が真に三佳貞と通じていたか否かだ。帥升は賢い娘だ。真逆昨日今日あっただけの娘を真に助けに来るなどとは思ってはいない。」
「つまり…。」
「三佳貞が助けに来たら我等は終わりだ。」
「李禹を見殺しにするしかない…。そう言う事なのね。」
「さて、其れは三佳貞しだいだ。」
 と、項雲は帥升の元へ歩いて行った。
 李禹はありったけの声を上げシクシクと泣いている。泓穎は其れが煩わしかったので李禹の口を縛らせた。其れでも李禹は声を上げようと必死にもがく。
「諦めの悪い娘だ…。」
 木陰から李禹を見やり泓穎が言う。
「三佳貞が迂駕耶に帰ったと言う話を聞いたみたいですから仕方ありません。」
 泓穎の元に来た項雲が言った。
「帰った振りであろう。」
「真に帰ったのかもしれんぞ。」
 陽が言う。
「許してやってはどうです ? 李禹も少しは懲りたでしょう。」
 其れと無く項雲はお願いしてみた。
「帥升があれこれ考えを変えるは不義であろぅ。」
 と、泓穎はクスリと笑う。
「確かに…。」
 項雲は潔く諦めた。
 処刑の準備は着々と進められ気がつけば、藁の高さは李禹の下半身を覆い隠す程に積み重ねられていた。
 流れ出る涙はポロポロと…。既に諦めたのか李禹は静かである。ただ静かにポロポロと涙がこぼれ落ちるだけである。
 李禹が正面に見える様に壇上が置かれ樽に入った酒が運ばれる。倭人にとっても秦人にとっても処刑は余興に過ぎない。飯を食い、酒を飲みながら眺めるのである。だが、同じ志を持つ李禹の処刑を余興として楽しむには辛いものがあった。と、言って悲しめば疑われる。何せ李禹は裏切り者とらして処刑されるのだから当たり前である。
 そんなザワザワと騒めく中に不細工な娘が二人。三佳貞と日美嘉である。二人は秦国の衣を奪い此の騒めきの中に紛れていた。
「本気で焼き殺す気じゃか…。」
 縛りつけられた李禹を見やり日美嘉が言った。
「嘘か思いよったんじゃが…。」
「来て正解じゃったぞ。」
「じゃ…。此れは好機じゃか。」
 と、三佳貞はチロリと泓穎を見やる。
「問題はいつ殺すかじゃよ。」
 と、準備の手伝いをし乍日美嘉はご飯を摘んでパクリ。
「火が焚べられてからの方がええかもじゃ。」
 と、三佳貞は何か良い方法がないか探索しに行った。
 テクテクと第二砦の中をくまなく歩く。高天原に既に敵はいない。迂駕耶から増援が来るとも考えていないのだろう。鎧を着た兵士はおろか剣をぶら下げている者もいなかった。倭人と秦人で溢れかえる第二砦はワイワイガヤガヤと既に以前の面影は無い。あった筈の建物は全て焼かれ既に撤去されている。代わりに簡素な布製の寝床が作られていた。漂う匂いも話す言葉も違う此処は既に異国なのだ。
「此れが…。侵略じゃか。」
 三佳貞は周りを見やり空を見やる。見上げる空はいつもの空である。流れる雲も日も何も変わらない。其れは空を飛ぶ鳥でさへ同じである。だが、此の空も雲も鳥でさへも既に自分達の物ではない。奪われたのだ。三佳貞はグッと拳を握り込み上げる怒りを抑え込んだ。
 其れからも何か良い方法が無いかと三佳貞がブラブラしていると、高そうな膳に酒と料理を乗せている女達を見つけた。
「これこれ…。其方らは何をしておる ?」
 と、三佳貞が問いかけると女達はジロリと三佳貞を睨め付けた。
「其方…。誰に物を言うておる。」
 内一人の女が何ともな剣幕で言った。
「構わぬ…。」
 と言ったのは項蕉である。
「しかし…。」
「良い…。此の娘は我を知らぬ。」
「知らぬ…ですか ? 大将軍の奥方を知らぬ者はいませぬ。」
「フフフ…。此処にいるではないか。のぅ、三子の娘。」
「三子…。此の不細工な娘がですか ?」
 と、女達はマジマジと三佳貞を見やる。
「これこれ…。可愛らしい娘ではありませぬか。して、李禹を助けに来たのですね。」
「何の話か分からぬぞ。」
「心配はいりませぬ。我等は敵では無い。我名は項蕉。秦国大将軍の妻です。」
「項蕉…。じゃかぁ…。我は三佳貞だ。」
「して、三佳貞。李禹を助けに来たのではないのなら何をしに ?」
「決まっておるであろぅ…。」
 と、三佳貞は離れた場所にいる泓穎をチラリと見やった。
「其れが其方が望み…。なら手を貸しましょう。」
 そう言って項蕉はニヤリと笑みを浮かべた。
 そして日が真上に来た頃、皆に酒が配られた。豪勢な食事が用意され松明に火が灯される。泓穎は壇上に上がり皆を見やる。松明を持った者達が李禹を囲み点火の合図を待つ。
「皆よ…。其処にいるは我等に逆らいし者である。その者は我等に敵対せし八重国に内通していた事が発覚した。よって此処に処刑を言い渡す。火を焚べよ。」
 泓穎がそう言うと合図を待っていた者達が一斉に火を焚べた。藁は緩やかに燃え広がり李禹は何とも表現し難い声を出し人生に別れを告げる事にした。
 火はパチパチと藁を燃やし煙を登らせる。徐々に燃え広がって行く炎は李禹を一気に焼き殺す事はしない。先ずは日の熱と炎の熱が李禹を苦しめる。其の後ジワリジワリと足を焼き衣を焼き肌を焼いて行く。勿論其の程度で人は死なない。ただ地獄の苦しみが続くのである。立ち昇る煙で窒息するかもしれないが、其れがいつどの状態の時かは運しだいである。兎に角今は藁を焼き李禹は熱さの中で苦しんでいる。
 其の姿を見やり泓穎はクスクスと笑っている。倭人達も酒を飲み飯を食いワイワイガヤガヤである。項雲達は何ともな気持ちではあるが、楽しんでいる振りをする。泓穎は壇上に置かれた椅子に腰を下ろし周りを見やる。
 三佳貞が来ると考えていたからだ。だが、その様な様子は無かった。本当に帰ったのだろうかと李禹を見やる。本当に帰ったのなら少し李禹には悪い事をした。泓穎は少しだけ気が引けた。そんな中泓穎に酒とご飯が運ばれて来る。
 其の役を担うのは秦国の女である。数人の女が順番づつ盆に乗せた酒や料理を泓穎の前に置いて行くのである。
 其の中に三佳貞と日美嘉がいた。項蕉の計らいである。二人は順番が来るのをジッと待つ。一人、又一人…。泓穎の机に料理が置かれて行く。
 やがて、日美嘉の番が回って来た。
「帥升…。御神酒で御座います。」
「良い…。机の上に置かれよ。」
「応…。」
 と、言うや否や日美嘉は帥升の喉を目掛け合口を突き出した。勿論泓穎は其れを交わし机ごと日美嘉を蹴り飛ばす。
「死ね泓穎 !」
 その隙を狙って後ろにいた三佳貞が泓穎を狙う。が、矢張り泓穎はヒラリと避けるとその三佳貞を蹴り飛ばした。
「ほぅほぅ…。上手く化けたではないか。」
 二人を見やり泓穎が言った。
「何故バレたんじゃ ?」
 日美嘉が言った。
「動きが遅い。それだけだ。」
「おかしいのぅ…。必殺二段構えじゃったのに。」
 三佳貞が言う。
「否、見事であったぞ。処刑の日を狙い妾を殺しに来るとはのぅ…。李禹を助けず妾を殺すか…。」
「李禹 ? 誰の事だ。」
 日美嘉が問う。
「知らぬのか ?」
「知らん。」
「まぁ良い。其れより其の衣はどうしたのだ ?」
「其処の女から貰った。」
 と、日美嘉は言ったが正確には剥ぎ取ったのである。
「ほぅ…。しかし、真に帰ったのかとガッカリしていたぞ。」
「好機は逃さぬ。」
 と、三佳貞は泓穎に襲い掛かる。泓穎は相手にもならぬと三佳貞をバチン。次いで仕掛けて来る日美嘉を軽々と投げ飛ばす。そんな事をしている間にも火はメラメラと燃え続ける。李禹は三佳貞が助けに来たと一瞬喜んだが三佳貞は見向きもしない。
「ふー ! ふー ! ふー !」
 と、李禹は必死にもがく。が、皆の視線は既に李禹から三佳貞達に移っている。火はメラメラと藁を焼く。
「ふー ! ふー ! ふっふーーー !」
「少し静かにしろ。」
 燃える藁を掻き出し乍ら麃煎が言った。
「ふっふー。ふー。」
「心配するな。今助けてやる。」
 と、麃煎は縄を解く。だが、倭兵は其れに気づかない。倭兵は泓穎と三佳貞達の戦いをジッと見やっている。ただ此れは泓穎が勝つのか三佳貞達が勝つのかでは無く三佳貞達がいつ諦めるのかを見ているのだ。
「さぁ、今の内だ。」
 と、燃える藁の中から李禹を助け出し口に巻かれていた布を解いてやった。
「ぐっはぁぁぁぁ…。助かったぁ。助かったぁ。」
 と、言って李禹は大声で泣き出した。だが、大声でシクシク泣いても誰も気に留めない。李禹の処刑は其の程度だったのである。
 皆はジッと見やる。殴られ、蹴られ、投げ飛ばされても向かって行く二人にワクワクしているのだ。然れど泓穎は強い。二人を相手にまだ本気を出していないのだ。其れに比べ二人は既にヘロヘロである。泓穎の繰り出す一撃、一撃が重いのである。
「しかし…。話にもならぬ。」
 ヘロヘロな二人を見やり泓穎が言った。
「ぬかすでない。そなたもヘロヘロであろう。」
 日美嘉が言った。
「其方らが相手。汗もかかぬわ。」
「フ…。汗だくではないか。」
 泓穎から滝の様に流れ出る汗を見やり三佳貞が言った。
「こ、此れは暑いからだ。」
「何でも良い。死ね。」
 と、日美嘉が攻撃を仕掛ける。泓穎は其れを交わし日美嘉を燃え盛る藁の中に投げ飛ばした。火の粉が周囲に舞う。燃え盛る炎が日美嘉を焼く。
「うぎゃぎゃ ! 熱いじゃか !」
 慌ててその場から抜け出すと、体についた火を消す為に日美嘉はゴロゴロと地面を転がった。
「熱いじゃか ! 燃えてしまいよる ! 熱いじゃか ! 体が火事じゃ !」
「日美嘉 !」
「三佳貞…。我はもう駄目じゃ。燃えてしまいよる。」
「大丈夫じゃ。火はついておらん。」
「ついておらん ?」
 と、日美嘉は転がるのをやめた。
「ついておらん。」
「じゃかぁ…。」
 と、日美嘉は泓穎を睨め付け乍らゆっくりと立ち上がる。が、一瞬体の力が抜けた。ガクリと日美嘉は膝をつく。
「終わりの様だな。」
 其れを見やり泓穎が言った。
「まだじゃ !」
 と、三佳貞が食いつくがアッサリと泓穎にはがいじめにされ、合口を持つ手をギュッと握られそのまま三佳貞の喉に突きつけた。
「終わりだ。」
 と、泓穎が言うと剣を持った倭兵が日美嘉を取り囲んだ。
「なんじゃか…。我は未だ負けておらん。」
 と、言うが体は言う事を効かない。
「ひ、日美嘉…。」
 と、なんとか抜け出そうとするがウントもすんとも言わない。
「終わりだと言うておる。」
 と、泓穎は三佳貞から合口を取り上げそのまま三佳貞を陽に渡した。今度は陽が三佳貞を抑えた。
 泓穎はテクテクと日美嘉の元に歩いて行き、近くの倭兵から剣を貰いそのまま日美嘉の太腿を突き刺した。
「うぐ…。」
 日美嘉は声が出そうになるのを堪えた。
「日美嘉 !」
 三佳貞が叫ぶ。
「叫かぬか…。」
 と、泓穎は突き刺した剣をグニグニと動かす。日美嘉の太腿からジンワリと血が滲み出てくる。
 グニグニ、グニグニと…。
 グニグニ、グニグニと剣を動かす。
「う、ぐ…。く…。なんじゃ…。さっさと殺せ。」
 日美嘉は泓穎を睨め付けながら歯を食いしばる。
「反撃も出来ぬか ?」
「ち、力を貯めておる。」
「良い…。」
 と、泓穎は剣を抜くと倭兵に日美嘉の両腕を伸ばす様に指示を出した。
「なんじゃ…。我を蹂躙する気じゃか。」
「誰がそんな不細工を蹂躙したがる ?」
「我はカワユイで有名じゃ。」
「好みの違いか。さて、其れはさておき。妾が剣を振り下ろす迄に力を溜め腕を引っ張る手を振り解け。」
「泓穎 ! やめろ !」
 三佳貞が更に叫ぶが泓穎は躊躇う事無く剣を振り下ろす。ボトリと日美嘉の左腕が地面に落ちる。
「うぎ ! うぐぐぐ…。」
 日美嘉の顔が一瞬で蒼白となり、冷や汗が身体中から吹き出した。其れでも日美嘉は歯を食いしばりわめかなかった。
「見上げたものだ。流石は三子の娘。」
「泓穎…。止めよ。殺すならひと思いに殺せ !」
 と、三佳貞は陽の中で力一杯暴れようとするが矢張りうんともすんとも言わない。
「さて、次は右腕だ。早く力を溜めねば無くなってしまうぞ。」
 と、剣を振り上げ…。
 そして振り下ろした。
「あ、が…。がぁぁぁぁ…。くぅぅぅ…。う、う…。」
 日美嘉は唇を力一杯噛み必死に声を抑える。
「未だ叫ばぬか…。」
 と、言う泓穎を日美嘉は力を振り絞り睨め付ける。
「ほぅ…。其の目か…。其の目が元凶か…。」
 と、泓穎は剣を地面に突き刺すと両の親指を目の隙間に突っ込みそのまま日美嘉の両眼をくり抜いた。
「うぎやぁぁぁぁぁぁぁぁ !」
 流石に此の激痛には耐えられなかったのか日美嘉は叫きながら地面を転がった。
「うがぁぁぁぁぁぁ ! はぁぁぁぁ ! 」
 ゴロゴロ、ゴロゴロと日美嘉は転がる。其れを見やり泓穎は次はどこを切り落とすかを考えている。
「日美嘉 ! 日美嘉 !」
 三佳貞が叫ぶ。
「うが…。うが…。あ、あ…。」
「日美嘉…。」
「み、三佳貞…。わ、我はここ迄の様じゃ…。」
「日美嘉…。」
「後は頼んだじゃか…。」
 そう言って日美嘉は舌を噛み切った。
「日美嘉ぁぁぁ…。」
 三佳貞の体からフッと力が抜けた。日美嘉はピタリと動かなくなった。
「はて ? 何故動かぬ…。」
 と、泓穎は日美嘉の骸をマジマジと見やる。
「なんと…。死んでおるのか。」
 とても残酷な顔で泓穎が言った。
「舌を噛んだんじゃ…。」
 ボソリと三佳貞が言った。
「舌を…。痛みに耐えられず死を選んだか…。」
「違う…。用済みになったから死んだ。」
「用済み ?」
 と、泓穎は首を傾げる。
「我等が役目を全う出来ぬ様になったから…。お荷物になるぐらいなら我等は死を選ぶ。」
「フーン…。まぁ、良い。大将軍…。三佳貞を離してやれ。」
「応。」
 と、陽は三佳貞を離してやった。
「其方は帰ると良い。」
 そしてなんとも詰まらぬ顔で泓穎が言った。
「ふざけておるのか ?」
「ふざけて等おらぬ。さっさと迂駕耶に行くと良い。」
「我を…。我をなめるな !」
 と、三佳貞は泓穎に襲い掛かるが泓穎は三佳貞の腕を掴み其の動きを止めた。
「三佳貞…。其方にはすべき事があるであろう。其れを全うするが良い。」
 と言って泓穎は三佳貞を軽く突きはなす。三佳貞は泓穎を睨め付ける。
「三佳貞…。我等は今より十日と十日と十日後迂駕耶に侵攻を開始する。」
「十日と十日と十日後 ? つまり三十日後か…。」
「そうなのか ?」
 と、泓穎は王嘉を見やる。
「応…。三佳貞の言う通り三十日後です。」
「だそうだ。迂駕耶に戻り伝えると良い。」
 と、泓穎が言った。この時三佳貞はピンと来た。泓穎は馬鹿みたいに強いが実は阿保なのではないかと…。
 なら、使える。
 三佳貞は確信していた。
 岐頭術の封印されし技…。坂耳帆梁蛾(さかみみぼやんが)が使えるのでは無いかと…。
「真に良いのか。迂駕耶には我等正規軍が今正に集結しておるんじゃぞ。」
「構わぬ…。」
「しかも、迂駕耶を守る怪獣が其方らを食い尽くしよる。」
「怪獣 ? 鬼の次は怪獣か…。其方の国は異形の宝庫だな。」
「坂耳帆梁蛾をなめるでないぞ。既に此処に来ておるかもじゃ。」
「さかみみぶやがぁぁぁ ? なんだ其れは ?」
「耳が五つ、口が八つ、腕が十本じゃ。」
「ほぅ…。其れは見て…。」
「あっ ! 坂耳帆梁蛾じゃ !」
 と、三佳貞はあらぬ方向を指差し叫んだ。と、泓穎は思わず其の方向を見やる。三佳貞の目がキラリと光り左腕に隠し持っていた合口で泓穎の喉を突く…。
 其の刹那…。
 陽が三佳貞の左手首を切り落とした。
「う、ぎやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ !」
 大量の血を撒き散らし三佳貞は叫き乍ら転げ回った。泓穎は何事かと慌てて三佳貞を見やった。
「帥升…。油断はするなと言うたであろう。」
 陽が嗜め言う。
「あ…。いや…。妾はサカミミビヤンカが…。」
 顔を真っ赤に染め上げ泓穎が言った。
「其の様な物…。いるわけないだろうが。」
 と、陽は三佳貞を見やる。
 三佳貞は日美嘉と違いやたらに叫きゴロゴロとのたうち回っている。その姿が余りにも不憫だったので手当をしてやる様に部下に告げた。冷酷な泓穎も何故かそれには反対しなかった。
 腕に薬を塗り包帯を巻いた後、痛み止めの煎じ汁を飲ませてやると三佳貞は気を失ったかの様に眠りについた。
 其れから数刻の刻が流れ、痛み止めの効力が無くなり、三佳貞は強烈な腕の痛みで目を覚ました。辺りは日が沈み既に夜である。三佳貞はキョロキョロと周りを見やる。どうやら倭人の寝床の様である。外からは賑やかな声が響き宴会でもしているかのようであった。三佳貞はテントから出ると焚き火を囲む倭人と秦人がいた。
「うげ…。痛いじゃか…。」
 と、三佳貞は腕を抑えた。
「おぅ…。気がついたのか ?」
 三佳貞を見やり見張りの倭兵が言った。
「あ…。」
「どうした。まだ寝てた方が良いのではないか ?」
 と、倭兵は酒を飲みながら肉を食っている。
「其方…。日美嘉を食うておるじゃか !」
 と、突然三佳貞は倭兵に襲い掛かった。
「おい…。やめろ。お前はまだ腕が…。」
 と、倭兵は言うが三佳貞はお構いなしに襲い掛かる。止まっていた血がまた吹き出し始める。
「日美嘉を愚弄するな !」
 と、叫き乍ら三佳貞は暴れ倒す。其れから又力尽きた様に三佳貞はパタリと気を失った。
 次に三佳貞が目を覚ましたのは朝になってからだった。心なしか腕の痛みはかなり良くなっていた。テントを出て周りを見やる。矢張り此処は異国であった。
「おー。三佳貞。」
 と、ボーッと周りを見やっている三佳貞に李禹が声を掛けて来た。
「李禹…。」
「やっと目を覚ましたかぁ。三日も寝ておったから死んだかと思うたぞ。」
「三日…。」
「そうだよ。さぁ、薬と包帯を変えねば。ほれ、中に入れ。」
 と、三佳貞は李禹が言うがままに中に入った。中に入ると李禹は包帯を取り薬を塗る。
「ずっと李禹が ?」
「まぁ、大体は…。偶に項蕉様がやりに…。」
「大将軍の ?」
「そう…。」
 と、李禹は新しい包帯で腕を巻く。
「じゃかぁ…。」
「まぁ、生きていて良かったよ。」
「それじゃ…。何故我は未だ生きておる ?」
「さぁ…。帥升の気まぐれか。其れとも何か特別な用があるのかも。」
「矢張り…。我の体じゃか…。」
 不安な表情で三佳貞が言った。
「あ、其れは無い。」
 李禹は即答した。
「フン…。」
「冗談だ。拗ねるな。何にしても助かった。三佳貞が我で無く帥升の首を狙ってくれたお陰で少なからずの疑いは晴れたみたいだからな。」
「勘違いするで無い。我は泓穎の首を取りに来ただけだ。」
「だな…。まぁ、何でも良い。其れより後で陽大将軍に会いに行け。話があるみたいだ。」
「陽…?」
「倭族の大将軍だ。恐らく帥升と一緒にいるばずだ。」
 と、言って李禹はテントから出て行った。其れから暫く三佳貞はボーッとしていた。テントの中は異国の品で一杯である。敵陣の寝床で目を覚ますと言うのは何とも不思議な気分である。三佳貞はボーッとした後ようやくお腹が空いている事に気がついた。何か食べ物がないかと周りを物色すると見慣れぬ食べ物があった。さて、食べようかどうしようかと迷った挙句三佳貞は食べる事にした。
 恐る恐る一口口に入れるとビックリするぐらい美味しかったので、三佳貞はガツガツと其れ等を食べ始めた。たが、一緒に置いてあった肉には手をつけなかった。日美嘉かもしれないからだ。そしてある程度腹が膨れると三佳貞は外に出て大きな伸びをした。伸びをしただけで体が鈍っている事が分かる。三佳貞は体をゆっくりと解し久しぶりに舞を舞った。
 別に誰かに見せるつもりは無かったのだが、気がつけば倭人、秦人問わず皆が三佳貞の舞を見に来ていた。此処にいるのは皆が敵である。だが、何故か三佳貞は嬉しくなっていつもより長めに舞を待った。舞い終わると多くの人から拍手喝采が飛んでくる。何故だろうか矢張り三佳貞は嬉しかった。
「見事な舞だ。」
 そして、舞を見ていた泓穎が言った。
「泓穎…。」
「痛みは引いた様だな。」
「あ…。応。」
「良い。少し其方に話がある。構わぬか ?」
「我に ?」
「そうだ。」
 と、言って泓穎はお気に入りの場所に三佳貞を案内した。其の場所からは海が良く見えそよ風が心地良い場所だった。その場所に泓穎は腰を下ろし其の横に三佳貞を座らせた。
「此処から見る風景はとても素晴らしい。青い海に空…。そして此の匂いが堪らなく好きになった。」
「我には普通だ。」
「妾の住む場所から海迄は遠く離れておる。実を言うと妾は初めて海を見た。」
「神なのにか ?」
「そう言うものだ…。」
 と、泓穎は笑った。三佳貞も何故かクスリと笑った。
「三佳貞…。率直に言う。八重王の首以下臣下の首を差し出せ。そうすれば今回の事無かった事にしてやる。此れは其方ら三子の娘の功績と思えば良い。」
 と、泓穎は三佳貞に告げた。此の話は陽がする筈だったのたがどうやら泓穎の気が変わったらしい。
「お…。否、帥升。其れは出来ぬ。侵略者を前に一方的な降伏は無い。」
「何故だ ? 何故妾等が侵略者になる ? 」
「侵略しに来ているではないか。」
「三佳貞…。西南での事、知らぬとは言わせぬぞ。」
「西南 ? 」
 と、三佳貞は首を傾げる。
「そうだ。」
「西南がどうしたのだ ? 西南で何かあったと ? 我等は秦に間者を送るが西南には送ったりはせぬ。」
「…。其れが真であるなら先代の寝込みを襲ったのは誰だ ? 妾を襲ったのは誰か ? 陽を襲ったのは誰か ?」
「知らぬ。其の様な話は聞いた事がない。我等は国の事は全てにおいて知っている。仮に其の様な話があれば我等の耳に必ず入って来る。」
「否、妾を襲ったのは間違いなく其方が一族だ。其れは三佳貞達と手合い確信した。あれは其方等が技だ。」 
「だとしても我等の預かり知らぬこと…。不明瞭な事に首は渡せぬ。」
「不明瞭であろうと先代を殺した事は事実。本来なら国滅亡が妥当であろぅ。だが、其方等の命を賭けた其の行動は実に見事である。此れは妾の気持ちだと思え。」
「じゃぁ言いよってものぅ…。」
「三佳貞が決断出来ぬ事は分かっておる。だから伝えれば良い。八重王の首以下臣下の首。其れ以上は求めぬ。王太子が王になれば国は存続出来るであろう。」
「じゃな…。じゃが期待に応えるは難しいぞ。」
「良いか三佳貞。妾等は神としてこの地に君臨しておる。其れゆえ秩序が保たれておるのだ。この秩序が崩れれば民は更に苦しみ愚かな神が世界を混乱させるのだ。故妾等は神として存在し続けねばならぬ。じき西南より大軍が八重国に到着する。妾の要求に応じぬのなら八重国は滅亡する事になる。」
「そうか…。」
 と、三佳貞は大きな海を見やる。
「まだ、少し刻はあるゆっくりと決めるが良い。」
「じゃな…。出来るなら我も戦はしとうない。じゃが矢張り首は渡せぬ。例え大神が自ら其れを望んでも我等が其れを許さぬ。帥升…。八重国が滅亡しようと其れは我等にとってどうでも良い事なんじゃ。」
「どう言う事だ ?」
「我等と八重国はそもそもの考え方が違う。」
「違う ?」
「そうだ。八重国は民は国の為に国は大神の為に大神は民の為に…。此れが八重国だ。だが、我等は違う。この地を守る為なら如何なる犠牲もいとわない。大神は民を守る為に兵を率いて戦いにでる。だが、我等は民の為には戦わない。我等が戦うはこの地を守る為…。倭族が神であろうと其処に如何な理由があろうと首を差し出すは我等が負けを意味する事になる。だから大神の首を差し出す事を望む者がいるのなら我等が其の者を殺す。大神が自ら其れを望むなら我等が手で大神を殺す。」
 と、三佳貞が言うと泓穎はにこやかな顔でケラケラと笑い出した。
「な、なんじゃ…。何がおかしい ?」
「良い…。意地を張り滅亡するも又運命よ。命を賭けておる。其方を殺すは実に惜しい事…。だが、其れが望みなら仕方が無い。ーーまぁ、今はゆっくりしていけば良い。三佳貞が此処を出てから十日と十日と十日後に妾等は侵攻を開始する。」
 と、泓穎は腰を上げた。
「良いのかそれで…。」
 と、三佳貞も腰を上げた。
「良い…。」
「そうか…。お…。否、帥升。もしも、仮にだが迂駕耶から青粉が上がっておったら我等の負けだ。だが、赤粉が上がっておったら…。その時は、蘭泓穎。我が其方を殺す。」
「…。」
「…。」
「プッ…。あ、あは、あははははは…。」
 と、泓穎はゲラゲラと笑い出した。
「わ、妾を殺すぅぅ…。ど、どの口が言うておる。む、無理、無理。絶対無理じゃァァァァ…。あは、あははははは…。だ、駄目じゃお腹痛い。あ、あははは…。いかん死んでしまう…。あはあははははあは…。」
 と、泓穎は腹を抱えて笑う。
「…。」
 ゲラゲラと笑う泓穎に対し三佳貞は非常に悔しかった。必ず殺してやると三佳貞は改めて誓った。

        大臺神楽 闇夜 
          1章 倭 
       3 高天原の惨劇 終わり

     次回 ! 灯りが消えた日に続く

次のお話

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