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肉まんバレンタインのゆくえ

2月ですね。
かんもくの声からは、本年以降、「肉まんバレンタイン」の呼びかけは控えようと思います。

理由のひとつとして、年々拡散や呼びかけの負担がしんどくなっていたことがあります(何とか5年続けました)。「大きな声でたくさんの人に呼びかける」ことは、私の緘黙の部分と真っ向ぶつかる行為でもありました。

また、場面緘黙界隈の啓発の現状は、「肉まんバレンタイン」を始めた5年前とはずいぶん変わりました。先人たちの努力や新たな活動によって、社会的な認知度も以前より上がっています。近年は、多様なジャンルや方法で啓発をする人たちが増えてきた印象もありますし、私自身の活動も変化してきました。何だか、ひとつの役目を終えたように感じています。

「肉まんバレンタイン」がよき啓発になっていたかどうかは、正直わかりません。きっと、正解もありません。今後は新たな段階での、新たな啓発のかたちを見出していけたらと思っています。是非皆さんと一緒に考えていきたいですし、一緒に何かできたら嬉しいです。

さて、これまでの「肉まんバレンタイン」継続には悩ましい試行錯誤がありました。例えば、「当事者への買い物の強制」や、「チャレンジによる失敗体験」のリスクです。肉まんバレンタインを始めた当初は、呼びかけに(当事者の)「チャレンジ」要素を盛り込んでいました。ですが、各人がさまざまな段階にいる状況で、当事者に特定のチャレンジを促すことにはリスクもあります。ですので、年々、呼びかけからチャレンジ要素を排していきました。当事者のまわりの人が強制するようなこともないように、とも記してきました。気が付くと私は、「非当事者への啓発が、当事者へのリスクより優先されてはならない」という葛藤・懸念を抱えていました。

また、非当事者に向けては「啓発的なイベント」であり、当事者に向けては「ささやかな一体感を得る交流の機会、あるいはチャレンジの機会」でもあったと思います。とくに、初期は非当事者の方たちが話題にしてくださってきた反面、昨年は想像以上に多くの当事者・経験者の方たちが参加してくださっていて、そんな変遷がありながら、受け入れられてきました。

多くの当事者・経験者が参加してくれるようになった理由のひとつには、5年続けたことで参加者が徐々に増えていき、「皆が参加している様子を見られるようになった」ことで、「自分が参加しても大丈夫」といった安心感が醸成されていったからなのではないでしょうか。それは、未知の度合いが下がり、「見通しが立つ」ことと近い気がします。この点は、長く続けてきたからこその気付きであり、続けてきてよかったと思えた点です。地道に続けることの大切さも実感しました。

この5年、試行錯誤しながら呼びかけを続けたことで、場面緘黙について、障害について、啓発について、社会について、ここには書き切れないほど様々なことを考えました。多くの人が参加してくれたり、「良い企画だね」と声をかけてくれたりといった喜びもありました。呼びかけを始めるときも相当逡巡しましたし、決行自体、さしちがえる覚悟で譲歩した結果でもありました(過去のかんもくの声のFacebookに、毎年の変遷や葛藤がありました)。

かんもくの声からはもう呼びかけはしませんが、肉まんは、欲求(日常の小さな欲求は、それを叶えるための原動力を引き出してくれる)と安心(心地よさを感じさせてくれる存在の大切さ。あたたかい、やわらかい、ほっとする肉まんの存在感)を想起させる場面緘黙にとって大切なアイコンである。そのことは、私のなかで変わってはいません。

「緘黙でない人」にとって当たり前の日常を「緘黙の人」が行うことで、それ自体が社会への異議申し立てに変容する。あるいは、「緘黙の人たちが送っている日常」を少しだけ体感し、想像してもらう。「肉まんバレンタイン」には、そんな「日常を異化する」イメージを重ねてもいました。

今まで応援してくださった皆さん、5年間本当にありがとうございました。「肉まんバレンタイン」の存在が、今後の場面緘黙全体の啓発や活動のアップデートへと、つながっていきますように。
またいつか、どこかで、ふと思い出してくれたなら幸いです。

*2021年以降の肉まんバレンタインを楽しみにしてくださっていた方がもしいらっしゃったら。。。今後私からは呼びかけませんが、個人のご判断で行っていただく分には構いません。突然の終了で申し訳ありませんが、ご了承ください。

#場面緘黙  
#場面緘黙症  
#肉まんバレンタイン  
#肉まんバレンタイン2021




▼場面緘黙の啓発について考えたことも書いています。


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