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拝啓、一年前の夏の私へ

本当は夏至の日に日記のようなお手紙を書きたかったけれど、その頃は原稿に追われていて、今日になってしまいました。夏至を迎える前後の夏がいちばん好きだと思えるような、光のきれいな日でした。

今日は、三連休の日曜日です。なんだかやけに火曜日〆切が多いなぁと考えるうちに、やっと連休の存在に気付いたわけで、特別な予定も計画も立てずに迎えてしまいました。相変わらずですね。

このまちで暮らし始めてから、最初の夏です。一年前の夏至の日に、このまちで暮らしてみたいなと思って、ちょうど7月の連休が過ぎた頃に今のおうちで暮らすことを決めました。秋の校了明け、ほぼ一日で荷物を詰め込んだ引っ越しが懐かしいです。

あれから、何度も何度も「どうしてわざわざこのまちに?」と聞かれているのですが、今ひとつうまく答えられないままいます。言ってしまえば「好きだから」のひと言なのですが、そう答えてもみんな腑に落ちないような表情をしています。

時々自分でも、「どうしてわざわざここにいるんだろう」と思うときがあります。特に〆切前になると、往復の通勤時間で短い原稿一本書けてしまうのになぁとあくせくしながら長閑な一本道をひた走っています。だけどそういうとき、決まって思うのです。「周りから見たら変でも、ちょっぴり不便な暮らし方だとしても、自分の中ではしっくりきているんだよなぁ」って。

本当のほんとうの理想はまた別のところにあるし、迷いや悩みが減ったわけではありません。でも少なくとも、一年前と今日の私が選べる範囲の中では、いちばんの大正解を見つけていると思っています。これくらい自信たっぷりに、いつも答えらえたらいいのにね。

「小さなまちと大きなまちの違いは、人と人、人と自然の距離だと思う」と、いつか原稿に書きました。前に住んでいた小さなまちと、そのあとに住んだ大きなまちでの暮らしを経て思ったことでしたが、今のまちで人と人の近さを感じる機会はそう多くありません。そのまちの風土もあるでしょうけれど、自分の関わり方みたいなところも大きいんだと思います。

近所に友だちと呼べるような人はいないし、世間話をできるのはパン屋さんと美容師さんと、仕事でお世話になっている方、近所に住んでいるおじいちゃんくらいです。それは寂しいことだと思っていたけれど、最近になって悪くないかもなと思い始めました。誰ひとり知らないわけじゃないし、知りたいと思う気持ちがある限りは、大丈夫なんじゃないか、今のところは十分なんじゃないか、そんな風に思います。ひとりかふたり、散歩ができるくらいの友だちができたらとってもうれしいけど。

このまちに来てからのいちばん大きな出来事は、畑を始めたことです。町民農園のようなところで、最近はそこに来ている人たちと挨拶したり、ちょっとずつ野菜談義ができるようになってきました。年齢的にはかなりいい大人ですがそこではおそらく一番下っ端で、「若いのにこういうことが好きなのね」とか「若いのにがんばってるねえ」とか、そんな感じです。

こんなに忙しかったら畑のお世話なんてとてもできないと思っていたけど、なんとかやっています。朝起きて晴れていたらちょっと様子を見に行きたくなるし、雨上がりの草や野菜の勢いには毎回圧倒されます。文字どおり、草取りには追われています。今日はズッキーニとナスが採れて、モリモリ育つバジルを積んでバジルソースを作りました。

道沿いの畑で、野菜の育ち具合や支柱の立て方を勉強できるようになったので、あの長い通勤路にもまた楽しみが増えました。畑の話は書きたいことがありすぎるので、また別に日記を書こうと思います。

これからもっと暑い夏がやって来ますね。もちろんエアコンはないので猛暑の日が心配だけど、この前近所の人が「どうしようもなく暑い日は階段のところに座るのがいいよ」と教えてくれました。あらゆる窓を開けて、風を通していこうと思います。

拝啓、一年前の夏の私へ。私にとっての大正解を決めたことで、忙しくなったり、気持ちがざわついたり、それなりに大変な夏と秋がやって来るかと思います。冬も、ほどほどくるしい時期があります。でも、冬至が過ぎて、暦の上で春を迎える頃にはちゃんと抜け出せます。その先に、光いっぱいの夏至がやって来ます。できるだけ安心して、ここまで来てください。その選択の先で、健やかに生きている私がいます。

2023年7月16日の夜、押し入れデスクより。弱い弱い雨が降って来ました。

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