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【雑記】町田ゼルビアアンチにみる、ジャンル古参ファンの振る舞いに隠れているもの

町田ゼルビアというチームが、J1昇格したばかりで、首位を独走していろいろと注目を集めています。

勝ちにこだわったサッカースタイルで、選手もスタッフも一丸となって突き進み、結果を勝ち取っている姿は素晴らしいもんがあります。

戦術的にはみんな大好きポゼッションではなく、ロングボールを多様し、セカンドボール奪取に重きをおいた堅守速攻のスタイル。

ロングスローをつかい、ラフプレーも辞さない、J1の古参チームに比べて潤沢ではないリソースを駆使しつつ、どうにか勝ち切ることを念頭に置いた泥臭〜いサッカーをやっています。

その結果「おもんないサッカー」「アンチフットボール」と言われて、地味に叩かれる始末。でもね、その文句の本質って、実はちょっと別のところにあると思うんですよね。

この手の「おもんない」という話は、同チーム内に現役代表クラスのスター選手がでてくると、ガラッと印象が変わるものでしかないと思っているんですよね。

結局今町田が叩かれているのは、J古参ファン的には──

「知らない選手が地味なサッカーをして勝ちを奪ってく。俺等的におもんないチームやで!」

という印象によるものでしかなくて、これがもし同チームに代表クラスのスター選手が数名いて、年月を経てJ1にチームが定着すると──

「スター選手ですら勝ちにこだわって泥臭く戦う。さすが伝統と格式ある強豪チームやで!」

になる。

で、どのジャンルでもそうなんだけど、この手の文句の本質は実はそいつのスタイルじゃなくて、自分ら情報と親密度にもとづいた印象の話なんですよね。

彼らがおもんないといっているのは「誰が何をしているか自分にはわからんからつまらん」「おれの知ってるやりかたと違うから楽しみ方がわからない」っていう話であって、あの町田のスタイルを自分の推し選手やチームがやっていたり、それを理解して楽しめていたら、簡単に意見はひっくり返るんですよね。

もちろん細かくは、その「おもんない」というのは「突き詰めるとスター選手のいないギリギリの状態でやりくりをした結果、あの戦術チョイスをしたゼルビア」という構図はあるんだけど、まあまあ、とにもかくにも、その中に応援できる魅力的な選手が2〜3人でてきたら、そこを軸にしてチームへの印象はガラッとかわる。

代表クラスのスター選手がいたら〜というのはそういう話であり、サッカーというエンタメは、戦術以上にそういう携わる人の魅力にからむ構造があっての話だってことなんだよね。

で、この「よくわからんからおもんない」は、サッカーやスポーツにかぎらずどのジャンルでもけっこう起こる。

新興産業や新しいメディア、新しいカルチャー、コンテンツのムーブメントが文句を言われるのもすべてこの構図。

すべては「自分の良く知らない連中が楽しそうに活躍しているのがおもんない」でしかなく、理解したら普通に「オラが推し軍団だ!楽し〜!」と応援を始める。

それは時代によって移り変わるものだし、ファン側のライフステージや、年齢域によっても異なるものでもありますし、さらにいうと、自分の目線が永遠に楽しいのメインストリームでありつづけることなんてないんですよね。

別にそこまで考える必要はないのかも知れませんが、気づくとジャンルを俯瞰できて、いろいろと理解がふかまってそれはそれで楽しい、という話はちょっと言いたい。

「ボール」絵:かのえの

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