ばいばい👋お母さん!毒親育ちのHappy life♪

ばいばい お母さん 〜毒親と毒妹から距離を置くことになった 2022.夏…

ばいばい👋お母さん!毒親育ちのHappy life♪

ばいばい お母さん 〜毒親と毒妹から距離を置くことになった 2022.夏〜 これまでの長かった自分との戦いの日々を 綴ります。 自分の心を守る為に毒親と距離を取ることは 何も悪くない!しっかりと離れる…訣別する以外 毒親から受けた心のキズを治す解毒剤はないのです。

最近の記事

幼い頃からの母との関係について投稿するつもりが久しぶりの投稿すぎて近況報告になってしまいました(´ω`٥)

このまま母との現在の事を書き続ける前に 幼い頃からの母との関係に 遡っていきたいと思います。 私の記憶に残る3才の頃からの エピソードからスタートして 今iPhoneのメモに30個程 記憶からつまみ出した エピソードがあるので少しずつ まとめていきたいと考えてます。 …が… 正直noteに母への思いを投稿する作業に 思いの外…精神的なダメージを受けてしまって 現在かなり(1ヶ月位かな?) 投稿が滞ってしまっています。 気分転換にインスタで キラ

    • 違和感が確信に変わった瞬間⑦母への反撃!

      その日は みんな同じタイミングで 実家を出たので母には言いたい事を 何も言い返せないまま帰宅した。 翌日の午前中… 母が実家に1人でいる時間を見計らって 電話をした。 完全に戦闘モードである。 私は母と話すときのスイッチを入れた。 スイッチを入れずに話すと 昨日のように母のペースに 完全に巻き込まれてしまうからだ。 『昨日の事で話があるねんけど…』 と言うと悪びれもせず 『どうしたん?』と聞く母。 私は意識して声に怒りを込めて 『言いたい事はいっぱいあるけど 最初

      • 違和感が確信に変わった瞬間⑥法事の前の母の暴言。流産は私のせい?

        実は… 母はみんなの前で 暴言を吐く前に 私と2人でいる時にも 酷い言葉を投げかけてきていた。 法事があったその日… 実家に着くとすぐに祖母が私に駆け寄ってきた。 そして心配そうにのぞき込んで 『〇〇ちゃん大丈夫?痩せたんちゃう? ちゃんと食べれてる?』と 優しく背中を擦ってくれた。 その様子をじっと見ていた母は 祖母が法事の準備の為にその場を 離れるとすぐにこちらにやってきた。 何を思ったか私は 母に何か言われる前に 父から手紙を貰ったことを伝えた。 その手紙には

        • 違和感が確信に変わった瞬間⑤法事の席での母の許せない暴言

          それから1ヶ月ほど経った夏のある日 私達夫婦は実家へと出向いた。 その日は法事があり 父方の叔母夫婦2組と祖母、 従兄弟、妹家族の合わせて総勢18人の親戚が 集まっていた。 もちろんそこにいる全員が 私が2度の流産をしたことは知っている。 母がいいネタが出来たと言わんばかりに 嬉々として叔母達に電話していたことを 妹から聞いていたので 実はかなりの覚悟を持って この法事に来ていた。 慰められるのも 暗い空気になるのもイヤだったので 私はもう気持ちを切り替えてこんなに

        幼い頃からの母との関係について投稿するつもりが久しぶりの投稿すぎて近況報告になってしまいました(´ω`٥)

          違和感が確信に変わった瞬間④2度目の流産

          1週間後の診察の結果は けい留流産。 前回の診察で エコーを見た瞬間から、覚悟していたとはいえ 2度目の流産の現実を受け止めるのは あまりにも辛い出来事だった。 1週間後に子宮内容物除去術をするまでの

          違和感が確信に変わった瞬間④2度目の流産

          違和感が確信に変わった瞬間③2度目の妊娠

          流産から3ヶ月経った頃に 2度目の妊娠… 前回のことがあったので 不安な日々を過ごしていたが 妊娠3ヶ月にさしかかったところで 検診の時に 先生から 『心拍も確認出来て 大丈夫そうだから そろそろ母子手帳もらってきといてね。』 と言われ

          違和感が確信に変わった瞬間③2度目の妊娠

          違和感が確信に変わった瞬間②初めての妊娠と流産

          陣痛室のような部屋のベッドで不安な気持ちで 横になっていたら、助産師さんが 「しんどいね💦痛み止めの注射するね〜。」 と言いながら入って来られた。 その時点で、大量に出血して冷や汗が出る程の 強い痛みが続いているのに 私はまだ希望を捨てられずにいて もしかしたら赤ちゃん助かるかも?と思って

          違和感が確信に変わった瞬間②初めての妊娠と流産

          違和感が確信に変わった瞬間①流産をきっかけに自分の母が毒親だと確信!ここまでの戦いの日々が長かった( ˃ ˂ഃ )

          幼い頃は、もちろん母が毒親だなんて理解出来る訳もなく少しでも母に認めてもらいたくて どんなに理不尽な扱いを受けても、ただひたすら 毒母の言いなりになっていた日々でした。 思春期の頃には、話し合えば分かり合えると何度も 正面からぶつかり、意見をするようになりました。 でもその度に神経を逆撫でするような ひどい暴言を返され 更に不信感が募るだけで終わりました。 大人になってもまだ、私は救いようもなく 話し合えばいつか分かり合えると バカみたいに信じて使う必要のない所に 神経と

          違和感が確信に変わった瞬間①流産をきっかけに自分の母が毒親だと確信!ここまでの戦いの日々が長かった( ˃ ˂ഃ )

          初めに…

          毒親という言葉の持つ強烈なイメージから 毒親育ちの人は 永遠に失望と悲しみを引きずっているような イメージがありますが 毒親に育てられた人がみんな ずっと不幸であり続ける訳ではありません。 現在私は優しい家族と仲良く幸せに 暮らしております。 むしろ毒親に育てられたからこそ その言葉の持つ重要性、危険性を理解し より慎重に人と向き合うように 意識する事が出来ていると思います。 言葉の持つ魔力… 優しい言葉、愛溢れる言葉は生きる力となり その後の人生においても何度も自分を助