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中島みゆきの歌詞は中国語でも胸に刺さる!

↑↑↑ 前回投稿したこちらの記事の続きです。


中島みゆきの歌詞

中華圏には、コアな中島みゆきファンが沢山います。
彼らは、オリジナルアルバムを通販で購入したり、ネットの動画を視聴したりして、中島みゆきの音楽に触れています。

「网易云音乐」 「bilibili」 などの動画サイトでは、多くの場合、中文字幕が付いています。

日本で、街頭インタビューやアンケートなどで「中島みゆきの何が好き?」と質問すると、大半の人が「歌詞」と答えます。

中島みゆきの歌は、人の心に寄り添い、人の気持ちを代弁し、時には優しく肩を撫で、時には力強く背中を押してくれる、そんな胸に刺さる歌詞が沢山あります。

中華圏の SNS に開設されている中島みゆきのファンサイトを見ると、コアな中島みゆきファンは、やはり「歌詞」に魅了されてファンになった人が多いようです。

中島みゆきの歌詞の外国語訳は、オフィシャルサイトで公式のものが公開されているわけではありません。

ネットの動画の中文字幕は、動画をアップした人たちが、自分で訳して付けたものです。

多くのものは、とても上手く訳しています。中には、少々オリジナルを逸脱してはいますが、素晴らしい漢文調の超訳もあります。

一方で、誤訳も多く、タイトルの「ホームにて」を「在家里」(家にて)と訳すような初歩的な誤りもあります。

ここでは、中島みゆきの全作品の中国語訳を載せているサイト「織歌蟲」に基づいて、名曲の中の「刺さる歌詞」を幾つか取り上げてみます。

「糸」

縦の糸はあなた 横の糸は私
織りなす布は いつか誰かの
傷をかばうかもしれない

縦の糸はあなた 横の糸は私
逢うべき糸に 出逢えることを
人は 仕合わせと呼びます

直的線是你 橫的線是我
交織而成的布匹 也許有一天
能包覆某個人的傷口也說不定

直的線是你 橫的線是我
當註定相逢的兩條線 終於交會之時
人們將之稱為 幸福

この歌の歌詞は、最後の一語「しあわせ」を「仕合わせ」と表記している点がミソです。

「仕合わせ」の原義は、「めぐりあわせ」、つまり、天が与えた運命です。これが、のちに「幸せ」とも書いて、「幸福、好運」を意味するようになります。

この歌詞では、縦糸と横糸がしっかりと交錯して布が縫い上がるように、「遠い空の下、ふたつの物語」だった男女が偶々めぐり逢って、共に人生を歩む伴侶となる、という含意があります。

ですから、この最後の一句は、冒頭で、

  なぜ めぐり逢うのかを
  私たちは なにも知らない
  いつ めぐり逢うのかを
  私たちは いつも知らない

と歌っている歌詞と絶妙に呼応しているのです。

したがって、ここは「幸せ」ではなく「仕合わせ」と書く必然性があるわけですが、これを外国語に訳そうとすると、中国語なら「幸福」、英語なら「happiness」と訳すほかありません。

説明はできても、訳出は無理、という歌詞の翻訳の難しさです。


「御機嫌如何」

御機嫌如何ですか
私は あいかわらずです
御機嫌如何ですか
私を 覚えていますか

氷の女発の 手紙をしたためます
涙で 濡らした 切手を最後に貼ります

你近來可好 
我啊還是老樣子
你近來可好
還記得我嗎

提筆寫這封 出自冷酷女子手筆的信給你
最後貼上 一張被淚水沾溼的郵票

この歌もまた、最後のフレーズがミソです。

「あなたを忘れました。女は意外と立ち直れるもの」などと強がってみても、実は、全然ふっきれてない、という本心が、歌の最後の最後になって、「涙で濡らした切手」というフレーズで、なりげなく明かされます。

「私はあいかわらずです」というセリフが繰り返されていますが、普通は「相変わらず」と書くところを、わざわざ平仮名で「あいかわらず」と表記しています。

これは、おそらく「愛変わらず」に引っ掛けてるのでしょう。そうすると、本当は今も変わらずあなたを愛し続けているのよ、という意味になり、最後の「涙で濡らした切手」とぴったり結びつきます。

中国語では、「老樣子」(いつも通り)と訳していますが、こうした語呂合わせのようなフレーズは、きちんと訳しようがなく、翻訳者泣かせのところです。


「銀の龍の背に乗って」

夢が迎えに来てくれるまで 震えて待ってるだけだった昨日
明日 僕は龍の足元へ 崖を登り 呼ぶよ「さあ、行こうぜ」
銀の龍の背に乗って 届けに行こう 命の砂漠へ
銀の龍の背に乗って 運んで行こう 雨雲の渦を 

空等夢想前來迎接 一味哆嗦苦候的昨日
明天 我要踩著巨龍的腳印爬上山崖 登高一呼 "來 起飛了"
騎在銀龍的背上 凌空而去 飛往生命的荒漠
騎在銀龍的背上 御風而去 穿越雨雲的渦漩

最後の一句「運んで行こう、雨雲の渦を」を「御風而去、穿越雨雲的渦漩」(風を御して、雨雲の渦を突き抜けて行こう)と訳しています。

「御風」というのは、中国の古典で、列御寇が風を御して空を翔けた云々という『荘子』の一節に拠るもので、洒落た訳文になっています。

「雨雲の渦」の部分に関しては、少々細かい話になりますが、この訳のままだと、龍の持つ大事な意味が抜け落ちてしまいます。

訳文では、「雨雲の渦」という場所を通って行く、となっていますが、原文は、「雨雲の渦」そのものを運んで行く、という意味です。

つまり、龍は、雨をもたらすとされる伝説上の動物ですから、龍が雨雲自体を運んで行って「命の砂漠」を潤す、というのが本来の意味です。


「時代」

そんな時代も あったねと
いつか話せる 日が来るわ
あんな時代も あったねと
きっと笑って 話せるわ
だから 今日は くよくよしないで
今日の風に 吹かれましょう

まわるまわるよ 時代は回る
別れと出逢いを くり返し
今日は倒れた 旅人たちも
生まれ変わって 歩きだすよ

"也曾有過那樣的時代啊"
有一天我也能這樣笑語話當年吧
"也曾有過那樣的時代啊"
一定能笑著這麼說吧
所以今天就別再悶悶不樂了
吹吹今日迎面而來的微風吧


輪廻再輪廻啊 時代輪廻中
別離與相遇反反覆覆
就是今天不支倒地的遊子們
來日亦將改頭換面重新出發喲


「地上の星」

風の中のすばる
砂の中の銀河
みんな何処へ行った 見送られることもなく
草原のペガサス
街角のヴィーナス
みんな何処へ行った 見守られることもなく
地上にある星を誰も覚えていない
人は空ばかり見てる
つばめよ 高い空から教えてよ 地上の星を
つばめよ 地上の星は今 何処にあるのだろう 

搖曳風中的昂宿星
隱身砂裡的銀河系
大家都到哪兒去了 無人為之目送
馳騁草原的天馬座
穿梭街角的維納斯
大家都到哪兒去了 無人施以注目
沒人記得這些在地上發光的星星
因為人們永遠只知仰望天空
燕子呀 請你從高空告訴我吧 那些地上之星
燕子呀 那些地上的星星如今 都身在何方呢


「誕生」

Remember 生まれた時
だれでも言われた筈
耳をすまして思い出して
最初に聞いた Welcome 
Remember 生まれたこと
Remember 出逢ったこと
Remember 一緒に生きてたこと
そして覚えていること

Remember けれどもしも
思い出せないなら
私いつでもあなたに言う
生まれてくれて Welcome

Remember 在初生之際
人人都曾被告知的一句話
請你仔細聆聽靜心回想
最初聽見的那句 Welcome 
Remember 生而為人
Remember 相識相遇
Remember 共存共渡
然後 相知相惜

Remember 倘若真的
回想不起的話
我隨時都願意告訴你
為我而降生人世的你 Welcome


「ファイト!」

ファイト! 闘う君の唄を
闘わない奴等が笑うだろう
ファイト! 冷たい水の中を
ふるえながらのぼってゆけ

暗い水の流れに打たれながら 魚たちのぼってゆく
光ってるのは傷ついてはがれかけた鱗が揺れるから
いっそ水の流れに身を任せ 流れ落ちてしまえば楽なのにね
やせこけて そんなにやせこけて魚たちのぼってゆく

勝つか負けるかそれはわからない それでもとにかく闘いの
出場通知を抱きしめて あいつは海になりました

加油! 為正奮鬥的你所唱的歌
大概會被那些不願奮鬥的傢伙們嘲笑吧!
加油! 在冰冷波流中
一邊瑟瑟發抖一邊力爭上游

暗潮洶湧中被激流擊打著 魚兒們仍逆流而上
之所以閃閃發光是因為 受傷而快剝落的鱗片 正搖曳生輝
倒不如讓身體隨波逐流 不是來得比較輕鬆嗎?
憔悴瘦弱 那樣憔悴瘦弱的 魚兒們仍逆流而上

會贏嗎  會輸嗎 我不知道 就算這樣還是要放手一搏 
緊抱著出場通知 正是那樣的傢伙成就了大海


「瞬きもせず」

瞬きひとつのあいだの一生
僕たちはみんな一瞬の星
瞬きもせずに
息をすることさえ 惜しむかのように求めあう

あのささやかな人生を 良くは言わぬ人もあるだろう
あのささやかな人生を 無駄となじる人もあるだろう
でも僕は誉める 君の知らぬ君についていくつでも

一眨眼之間便過去的一生
我們全是瞬息即逝的星星
不敢眨眼
就連呼吸也珍惜萬分似地渴求彼此

視那微不足道的人生 乏善可陳的人也是有吧
對那微不足道的人生 責其虛度的人也是有吧
但我仍要頌揚 你所不知曉的你 一遍又一遍


「あした」

もしも明日 私たちが何もかもを失くして
ただの心しか持たない やせた猫になっても
もしも明日 あなたのため何の得もなくても
言えるならその時 愛を聞かせて

抱きしめれば2人は なお遠くなるみたい
許し合えば2人は なおわからなくなるみたいだ
ガラスなら あなたの手の中で壊れたい
ナイフなら あなたを傷つけながら折れてしまいたい

何もかも 愛を追い越してく
どしゃ降りの 1車線の人生
凍えながら 2人共が
2人分 傷ついている 教えてよ

假使明天 我們失去身上一切所有
淪為被剝得只剩下一顆心的瘦貓
假使明天 我因你之故而一無所有
若你那時能開口的話 說你愛我 

緊緊相擁的二人 距離好像相隔更遠了
彼此原諒的二人 好像更不瞭解對方了
我若是塊玻璃 我願碎在你手中
我若是把匕首 我願在刺傷你的同時自己也摧折

一切的一切 都追過了愛情
傾盆大雨中只剩單行道的人生
在凍僵的同時 二人可否一同
承受二人份的傷痛呢 告訴我吧


中島みゆきの歌は、誰でも知っている名曲はもとより、世間一般にはあまり知られていない曲の中にも、胸に刺さる歌詞が沢山あります。

中華圏のSNS のファン交流サイトで、中島みゆきの歌詞について意見交換をしているファンの声を見てみると、中華圏の人たちも、我々日本人が感銘を受けているのと同じ歌詞に感銘を受けているようです。

同じ漢字文化圏ですから、社会制度や政治風土は違っていても、文化的には相通じるところがあるのでしょう。

中華圏のコアなファンの中には、とても気合いの入った解説付動画をアップしている人たちがいます。

その一例として、下の動画は、有名な作品を一曲ずつ、歌詞を一字一句詳細に解説し、音楽性、文学性、思想性を論じたものです。

中華圏のコアなファンは、中島みゆきをただの「歌手」ではなく、総合的な「芸術家」として見ています。

一部のファンにとっては、「鑑賞」の域を超えて、すでに「研究」の対象になってしまっているようです。



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