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【北京随想】座席の下に地面が見えるタクシーの話

30年前の話。
家族同伴で北京に赴任した。
娘は日本人学校、息子は北京大学付属幼稚園に入れた。

娘の登下校はたいへんだった。
北京大学は市の西北の海淀区にある。
東南の朝陽区にある日本人学校まで、普通には通えない。
そこで、わたしたちは普通ではない方法を取った。

まず、大学から車で10分ほどの万泉公寓までタクシーで送る。
万泉公寓は、日本人駐在員専用のマンション。
入居者の方々のご厚意で、日本人学校のスクールバスに乗せてもらった。

当時、四環路がまだ完工していなかった。
慢性渋滞の道路で、学校まで片道1時間ほどかかった。
帰路も同様に、スクールバスで万泉公寓に戻ってくる娘をタクシーで迎えに行った。

これが2年間、週末以外、毎日続いた。
娘はたいへんだったと思うが、送迎する親もなかなかたいへんだった。

娘だけではない。息子の送迎もある。
夫婦で手分けをして、交代でどちらかが息子の幼稚園の送り迎えをした。
わたしの時は自転車のうしろに、妻の時は三輪車の荷台にのせた。

さて、娘のタクシーの件、
毎朝キャンパスの外で流しのタクシーを拾うのは無理だ。

北京大学には「北大車隊」といって、大学内の事務専用車やタクシーを手配する部署がある。
タクシーは「勺園」という教職員食堂兼外国人宿舎の建物の前にいつも何台か停まっていて、空いていれば誰でも利用できる。

知人から運転手の一人を紹介されて、その人に娘の送迎をお願いすることになった。

わたしたちは L 師傅と呼んでいた。
師傅は、お師匠という意味だが、技能を持った職人に対してよく使う。

L 師傅は、気さくな義侠の人というような感じで、とても接しやすかった。
ただよくわからないのは、自称北大車隊所属なのだが、車体には、
「海星出租汽車公司」
と書かれている。

う~ん、なんだかよくわからない。

L 師傅の車はロシア製だそうで、
「ロシアの車は頑丈だから安心しろ」
とつねづね言っていた。

しかし、車体が下手に頑丈だと、いざ事故った時はかえって危ない。
ぶつかった時、車体が衝撃を吸収しないので、その分搭乗者に衝撃がかかってしまうからだ。

まあ、それはいいとして、問題なのは、とにかく車が古い。
30年前の話だから、車検のような制度はなかったのかもしれない。
車検があったら、絶対に通らない。

L 師傅の車は、車体の底に穴が空いている。
走行中、後部座席の足元を見ると、地面の動画が映る。

まあ、それもいいとして、もっと問題なのは、ドアが壊れている。
しっかり閉まらないので、急カーブを勢いよく回ると開きそうになる。
そんな時、L 師傅は、
「しっかり押さえていろ」
と注意してくれる。

いろいろ不安はあったが、ともかくL 師傅に娘の送迎をお願いした。
毎日、早朝と午後の2回、教員宿舎と万泉公寓の間を往復してもらった。
2年間、一度も欠けることはなかった。
稀に都合が悪くて来られない時は、必ず代わりの人を手配してくれた。

娘の送迎には、わたしか妻か、どちらかが必ず同乗した。
助手席に座って、L 師傅とはいろいろな話をした。
北京市民の生活模様とか、L 師傅自身の武勇伝とか、
新聞には載らない中国のヤバイ話とか。
図書館よりも L 師傅の助手席で得たものの方が多かった。

L 師傅には本当に感謝している。
L 師傅なしでは、わたしたちの北京生活は成り立たなかった。

2年目の夏、わたしたちはモンゴルへの旅行を計画した。
「おれが乗せていってやる」
と L 師傅が言ってくれた。

ありがたかったが、う~ん、
どうしても、あの穴とドアが頭に浮かんでしまう。
残念ながら、お断りすることにした。

結局、モンゴルへは行かないまま夏が終わった。

その後、L 師傅はタクシーの運転手をやめ、
北京大学の近くに鍋料理屋を開いたらしい。

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