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【心に響く漢詩】杜牧「山行」~晩秋の山奥でふと見つけた「紅」の美

     山行        山行(さんこう)  
                        唐・杜牧(とぼく)                                                  
  遠上寒山石徑斜  
  白雲生處有人家
  停車坐愛楓林晩
  霜葉紅於二月花

遠(とお)く寒山(かんざん)に上(のぼ)れば 石径(せきけい)斜(なな)めなり
白雲(はくうん)生(しょう)ずる処(ところ) 人家(じんか)有(あ)り
車(くるま)を停(とど)めて坐(そぞ)ろに愛(あい)す 楓林(ふうりん)の晩(くれ)
霜葉(そうよう)は二月(にがつ)の花(はな)よりも紅(くれない)なり

杜牧

 杜牧(とぼく)は、晩唐を代表する詩人の一人です。若い頃は、繁華な都会揚州(江蘇省)の妓楼に入り浸って詩を詠じ、風流才子の名を馳せたという詩人です。

 杜牧の詩は、軽妙洒脱な中にも情感溢れる七言絶句が、人々に愛誦されています。「山行」もそのうちの一つです。

遠(とお)く寒山(かんざん)に上(のぼ)れば 石径(せきけい)斜(なな)めなり
白雲(はくうん)生(しょう)ずる処(ところ) 人家(じんか)有(あ)り

――もの寂しい秋の山、遠くへと登ると、石の小道が斜めに続いている。
遥か彼方、白雲がわき上がる辺りに人家が見える。

 「寒山」は、晩秋の寒々とした山。人気(ひとけ)のない、もの寂しい山をいいます。
 「白雲」は、人里から遠く隔たった脱俗の世界を象徴します。そこに住む人は、俗世を避けた隠者を想起させます。

車(くるま)を停(とど)めて坐(そぞ)ろに愛す 楓林(ふうりん)の晩(くれ)
霜葉(そうよう)は二月(にがつ)の花(はな)よりも紅(くれない)なり

――馬車を停めて、ついうっとり見とれる夕暮れの楓樹の林。
霜に打たれて色づいた葉は、春の盛りの花より赤々と鮮やかだ。

 「坐」は、なんとはなしに、自然に。あまりの美しさに、つい見入っているさまを表します。「愛」は、めでる、観賞する。
 「楓」は、カラカエデ。中国原産の落葉樹の一種です。日本のカエデとは異なります。
 「二月」は、陰暦の仲春。古典では、暦はすべて陰暦(旧暦)です。二月は、春の真っ盛りに当たります。

 「山行」は、晩秋の山歩きの情趣を歌った詩です。秋の風景を一幅の絵画のように描いています。詩人は、紅葉で色づいた楓樹のあまりの美しさに、忘我の境地に入っています。

 この詩の見所は、なんと言っても結句にあります。晩秋に霜枯れした葉が陽春の花よりも鮮やかな「紅」だというのは、詩人の感性がもたらした発見です。

 時は夕暮れ。夕陽の照り返しが「紅」をよりいっそう美しく輝く色に仕立てていることも見落としてはなりません。

 承句の「白雲」とのコントラストもよく効いています。背景の「白」が、「紅」の鮮やかさを引き立てています。

 世事からしばし離れて、のんびりと山歩き。
 心にゆとりのある時にこそ、ふだんは見えていない美しいものがよく見えるものです。


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