私の飲まない酒瓶ども

 中学生の頃、文化祭の出し物を決めるにあたって、クラスの陽キャたちが主導してなにやらやることになったことがあった。当時から内気だった私はそのノリにいまいちついていけず、結局その年の文化祭は出たんだか出てないんだか分からないものになってしまった。授業が無くなるのだから楽しくなかった筈はないのだが、かといって愉快の海に肩までどっぷり浸かれたわけでもなく、波打ち際で温くなった海水が足元の砂を浚っていくのをぼんやりと眺めているだけのような心地だったのを憶えている。
 だから次の年からは文化祭実行委員に立候補するようになった。クラスの出し物に参加出来ない良い言い訳になるからだ。そういう消極的な思い切りの良さみたいなものが私にはあった。
 そんな話になったのは、同期の小西という奴が酔ったついでに中高時代の文化祭の話なぞ振ってきたからだった。同期と言っても二年浪人しているから入学時点で既に成人しており、サークルの新歓でも新入生の中で一人だけ酒も飲めば煙草も吸うので、ひどく目立っていたのであった。
 結局そのサークルには新歓以来行ってないが、何故だかこの小西という年上の同期との繋がりは途切れず、大学入学と同時に始めた一人暮らしのワンルームには、いつしか私の飲まない酒瓶が常備されるようになってしまった。そうなった頃には、年上ということで一応つけていた敬語も外れるくらいには気の置けない仲になっていた。

 ある日、二人で並んで借りてきた映画を観ることになった。借りてきたのは勿論小西だ。このサブスク全盛期に彼女は未だレンタルビデオ屋でディスクを借りてくることを良しとしていた。曰く、ディスクが機械に飲み込まれていく瞬間に特有の趣があるとのことだが、正直私からすればダウンロード版との違いは分からなかった。おかげで私の家のプレステが飲み込むのは、専ら小西の借りてきたディスクという有様だった。
 
 「なあ、キスってどんなもんよ」
 ベッドを座席代わりに並んで座っていると、映画のキスシーンを見ながら小西が呟いた。
 「知らない。やったことないし」
 「知らないって、そんな冷たい返事があるかよ。経験が無くてもなんかあるだろ」
 言いながら小西はまたグラスに口をつけた。こいつは映画に飽きると如実に飲酒量に反映される女だった。
 「したことないのになんか言える方が変だろ。それともなんだ。十代も終わろうってのにキスに憧れてるとでも言えばいいのか?」
 「なんだよ。憧れてちゃダメかよ」
 「憧れてんの?」
 返事の代わりに小西はグラスをぐい、と呷った。
 「私はなんだか、お前がそういう経験が無いってことの方がびっくりだわ」
 「なんでさ。ノリが軽いからか?」
 「自覚あるじゃん。あと新歓のときに酒飲んで先輩たちと盛り上がってたのもあるかな」
 「軽い奴は恋愛経験も豊富だなんてのは偏見だ。事実私は誰ともそういう関係になったことは無い。酒もそうだ。酒が好きな奴はみんな孤独だよ」
 「その理屈だと飲みサーの人間全員孤独になるけど」
 「あれは酒じゃなくて盛り上がるのが好きなのさ。それによしんば酒が好きだったとしたらその盛り上がりは孤独の裏返しだよ。やはり酒が好きな奴は全員孤独だ」
 そう理屈をこねた小西はまたグラスを傾け、そしてそれがもう空なことに気が付いた。奴はしばらく空のグラスを置き所なさそうにぷらぷら持っていたが、結局机に戻してまた瓶から注いでいた。
 「じゃあするか?キス」
 「へ?」
 「憧れてんでしょ。取り敢えずやってみればいいじゃん」
 「あんたと?」
 「他にこの場に誰かいるのか?」
 私のクソみたいな思い切りの良さが、またしても変な風に発揮されようとしていた。こいつは人生の所々で爆発しては、何とも言えない結果を私にもたらし続けてきた。どうやら今回もその類のようである。
 私は自分から言ってしまった手前ひっこめることも出来ず、むつかしい顔をして返事を待つしかなくなってしまった。
 とっくにキスシーンを終えた映画が小西の横顔をぼんやりと明滅しながら照らしている。その顔も私と同じようなむつかしさで、私たちはしばらくそのしかめっ面で向かい合っていた。

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