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”うねり”が人の生を呑む -漫画実写化の機会自体を無くさぬ為に/SNSという"地獄"/会社が作家を護るということ-

1/30の明け方。
作業BGV代わりの朝の情報番組で、『セクシー田中さん』ドラマ化関連の、作者・芦原妃名子さんの呟きが報道されていて、よく聞いていなかった最初は「告発の件TVでも流してるんだ..」とだけ思っていて。

でも
それは
昨晩、芦原さんが亡くなられたという訃報でした。

その出来事に対し、ネットニュースを追うと
そこには
亡くなられた経緯に対する安易で無責任な言動が叩きつけられていました。
SNSには
更に異常な光景が広がり続けていました。

こう言えば連想されるであろう”誹謗中傷を苦に”といった、(語弊を恐れず言えば)”解り易い”ものの話などではなく。
今のネット世界そのものの、歪さに満ちていました。

そして同時に
"会社が作家を護るということ"に何より向き合うべき事件であったにも関わらず
そこを世間一般の一番には言及されていないかの恐怖がありました。


◆経緯と”うねり”

私は昨年前半にTwitterを離れているので件の”告発”もネットニュースでたまたま見掛けた形にて、現在はその一連のポストもブログも削除されてしまっておりますゆえ引用は出来ず
複数の報道関連でのソースで正確なログを確認しながら以下に芦原さんが仰っていた一連を要約し記述します。


1.著作『セクシー田中さん』ドラマ化に際し”原作に忠実”を条件に許諾したが、原作者チェック時に脚本など大きく改変されたものが当初は出され続けた。
2.そこで粘り、最終的には原作に沿ったものに修正され放送を迎える事が出来た。
3.原作は現在も連載中のため終盤は元々ドラマオリジナルとなる予定で、その脚本を自身で書いたのは先述の制作過程段階での不誠実問題があった。最終2話の内容は実際には最適解ではなかったかも知れず申し訳ない。
4.最後に、素敵なドラマにして頂いた、出演者の皆様、制作スタッフの皆様、漫画とドラマを愛して下さった読者と視聴者の皆様に、深く感謝致します。

そう
”制作過程では”そうした問題があった事自体の告発も含めつつ、あくまで最終2話の脚本を自身が書いた事の理由説明で収め、そして、経緯で消耗はしたがドラマ自体は良いものになってくれていたと作者さんも締めていたんです。
この件がネットニュースになった際に原作ファンからも「良いドラマ化だったのにそんな裏側が..」との声があったくらいです。

処が
制作中にそうした問題があった事のみが独り歩きを始め、特に事件後
聞きかじっただけの情報で、「セクシー田中さんのドラマが酷かったらしい」「だから作者が自殺したらしい」という、あまりに安易で無責任な言動が波打ちうねり広がり。
脚本家や日テレに”攻撃”を続けるどこの誰かも知れぬ第三者も、亡くなられた事にコメントしていた人も、軽く見掛けただけでもそこ止まりの認識が散見されました。

第三者が勝手にストレスを発散しているだけの地獄と、そこへの対処という
何ら建設的でないものばかりに満ちていました。

確かに前提として、許諾時の約束を当初守らなかったプロとしての会社間の問題は勿論強く存在します。
そう
そもそもこれは
作家個人が矢面に立つ事などせず、小学館と日本テレビの会社間で公式にやりとりしないといけない契約上の問題だったはずです。
我が正義とばかりに第三者が代理戦争を無限に拡大したがる大衆SNSなどに、作家個人を踏み入らせてはいけなかったんです……..。

当時の状況を丁寧に追っていくと
”攻撃”を受ける脚本家・相沢友子氏自身がまず、自身の仕事への”原作者の干渉”を不服とする、吐き出すような言動でインスタ発信をしていた経緯が見て取れます(※芦原さんの訃報後、双方の会社から公式声明が出て以降非公開状態に移行)。
それに対し、原作者側として元々の契約及び制作中の問題に基づく正当な説明を発信したのが、芦原さんの一連だった時系列です。

本来ここで、双方の事情を発信し事実関係が示された事で、当事者間の状況は第三者からも判る経緯で整理されていたはずでした。
あくまで経緯に一方的な言動をされた事への、作者の誇りとしての事情説明でした。
当事者間の問題です。
そこまでは。

ところが
インターネットで発信されたそれらは、そこでは終わりませんでした。
”第三者”が、その渦を掻き回し広がり続けます。
それは
真摯か悪意か正しいか誤りか指摘か攻撃か反論か中傷か、個々を選別される前に次々に濁流のように逆巻き続ける
当事者達の手を離れた、気の狂うような異常なまでの燃え盛る猛火です。

芦原さんにとってその最中に、愛する自作と、自身の発信があった形です。

芦原さんの経緯説明はブログでもXでも全て削除され その後
「攻撃したかったわけじゃなくて。          ごめんなさい。」
と短く振り絞るような呟きを遺し
芦原妃名子さんは失踪
そして
命を絶たれてしまいました。

◆闇の中

その先はもう闇の中です。
芦原さんは失踪の理由を記した遺書を遺されているとの報道で、その内容が明かされればある程度判る事があるかも知れませんが、
遺族の方々も突然の衝撃と”掻き回す見ず知らずの世間とネット”に憔悴しきり
「どうかそっとしておいて」を願われており、
今後とも明かされるとも限らない、闇の中となりました。

・自作のメディアミックスという大切な機会での脚本家の言動による消耗
・自身の告発でネットの人達の脚本家への攻撃が超加速を始めた事
・告発で逆に自身への揶揄や叩かれも発生した事
・自身の手を離れ論争が伝言ゲーム的に歪んで広がっていく事
・自分の事を発端に罵り合う人達で満ちていく事

どれが原因というよりも
全部のうねりの中心においでだった事で、呑まれ、糸が切れてしまったように、私は感じます。
勿論これだって個人の推察に過ぎません。
それでも。

勝手な言われように対し正当にネット発信で事実を示す事は、”成程そういう事ならあなたは正しい”だけで終わるとも限らず、色んな余波や、まともな状況把握も無き第三者の参加など、様々な”うねり”を呼ぶ事は、私も実は過去に体験として知っており。
それが
今回のように著名なプロ同士の言動となり、幅広い世間の様々なものを巻き込んでぐちゃぐちゃに広がり続けそれらが自身を中核に押し寄せ溢れ続ける事は、個人のキャパシティに収まるはずもない
桁違いなものであろう事は想像に難くありません

今も論争を続けるネット世界を遠巻きに垣間見ながら
特定の”どれが”原因ではなく
今も続く”これが”
なんじゃないんですの..? と
思わずにいられないのでした。

芦原先生のXアカウントは以前から運用されていたものでなく、ブログ外でも自身の口で広く経緯説明をする為に新規開設されたそうで..。
ブログも今回のお知らせの為に10年ぶりの更新だったとの事で、今や訪問者も当然少なく、それだけでは人目に届きづらいかと、Xでもとお考えになった記述がありました。
単に、人が多い場所と思い”お知らせ”をしただけのつもりで
現代SNSの中で一番酷いと言って過言ではないような濁流の場とは、夢にも思わなかったのかも知れません。

今回の声明を出すにあたり、出版社側とも文章を詰めていたという話でした。
であれば何故小学館として公式に出せなかったのかが本当に悔やまれ..。
訃報後の日テレのコメントが他人事だと叩かれているのを散見しましたが、その捉え方なら小学館のも大概ですよ..▽
(きちんと「会社に責任がある」と声明を出した日テレビに対し、今回のドラマ化の顛末に関し一切触れていない小学館の声明。私には小学館の印象の方が最悪です。
(芦原さんの著作を今後も読んでほしいと綴られており、勿論これを切掛に更に読まれていくこととなりましょうが、そうなると小学館にお金入るんですよねみたいなところもあります..

小学館問い合わせ先▽

日本テレビ以上の事を言うべき責任が
小学館にはあります。

出版社は、作品を預かる大きな商業組織です。
作家個人がネットなんかで矢面に立つような事の無いよう、護る必要が絶対にあったはずと擦り切れるような想いを感じるのですが
”可能性としては”芦原さん自身で言いたいとされたやも知れず、そこも亡くなられてしまった今では闇の中なんですよね..(仮にそうだとしても小学館に今更「故人の希望だった」などと発信されても というか 小学館も出来る訳もなく(というより、やはり"芦原さん個人が動かざるを得なかった"様子にしか正直思えないのです

只々
創作者の方がこのような形で自ら命を絶たれたことに
言葉に出来ない軋みと澱みを感じます。

【※後日追記※】
日テレと小学館双方から大きな声明が出されました。
新記事を綴っていますので後程でも是非▽


◆総じて

目に視える発端は勿論、脚本家・相沢友子氏の、許諾条件無視の勝手な仕事と公の場での”侮辱”と言えます。
ただ、脚本家が絶対の権力を持っている訳でも脚本家一人でドラマを作れる訳でもなく
これは別に脚本家擁護などではなく
だからこそ一番上で力持つ会社間でもっときちんと軌道修正出来たはずの事という話であり
脚本家が個人発信で勝手な暴言を仕事相手に吐いた事への正式な対処もあったはずという話でもあります。

(※また、相沢氏のインスタの言動を読むに、”許諾条件”を知らなかったのでは..?という疑問すら浮かびます。この辺りの詳細な状況説明は絶対的に必要なんです。会社双方あのような文面で終えず……………

そもそも小学館すらきちんと原作者の想いを尊重してくれていたのかという疑念を、今回の全体経緯の中で端々に感じる部分があります。
日テレがやけに”小学館を通し許諾を得て”と言うのも
会社間ではなぁなぁで契約..というよりも”お願い”扱い程度とされた構造は成されており、その中で芦原さんだけが藻掻いていたような印象を、私は受けていました。
実際、脚本の直しや代筆も、脚本家の公的侮辱への対処も、作家個人が出て行く形になっていたのは、そういう事なのではないかとしか考えられず。

もし
そうではないというなら

その先にでも、対処に関し小学館からの公式声明を出せていたなら。
せめて、芦原さんの個人ブログだけで経緯説明を終えられていたなら。
Xなんていう、”説明したかっただけ”で終わらない地獄に純粋な創作者を不意に踏み入らせてしまわなければ。

私も最初は、発端が何であれ最後の引鉄はネットの人達が”己の正義”と掻き回した事による心労に他ならず、と結論的に考えてもしまったものでしたが
そんな一個で終わって整理出来る話ではない事を、してはいけない話だという事を、日を置いて推敲し直しているところです。

せめてその間に遺書の詳細が出はしないかと待っていたのもありましたが
それもまた渦巻くネット争論の”燃料”となってしまうだけなのかも知れません。

人が 亡くなっています。
何が 誰が 原因だったと一個安易に決めつけて終わっていいものでは、決してありません。
そこを言い争う気も私の想定が正しいとも一切言う気はなく、只々、
創作物を商業に乗せる事に連なる、古き頃よりまだ根付いているものもある会社間の様々な問題と
現代のインターネットという場所が、どれ程の異常構造も育まれているか(※改めて申しますが、こう言うと連想されてしまう”誹謗中傷”という”解り易い”問題の話は今回していません)という事と
全部全部
そう、この件に言及するなら、全部について考えてほしいとは感じます。

そして”メディアミックス”には、真摯な展開に大勢が尽力する実例がこれまでも膨大にあり、これからも日々重なってゆきます。
決して安易に別媒体展開そのものを罵るような見当違いにすり替えられぬよう。

考えるべきはその過程構造に潜む問題への公式対処です。

─Twitterだった頃に離れ、改めてXを覗いた身として感じたのは
あんな中に当たり前に居ては本当におかしくなってしまうような
一般個人も著名人も関係なく、
情報の精査や文言の推敲すら時に無い、
論争とマウントと”中傷にならない範囲”を覚えた言葉のナイフの群れと、
他人の言動をすぐ吊るし上げられる仕組みと、
「私はそんなSNSの使い方は許せない」と言いながらそうした輩と”日々”戦う事に囚われてしまっているような人達と、
あの場所は
それらが無限に流れる濁流だという事でした。

今回の件を少し追うだけのつもりが、”他にも”みたいな自動表示で本当に無限に争いの種が現れ続け
私は
「駄目だ」
と声に出し、画面を閉じました。

Twitterに居た当時も
楽しいはずの趣味界隈のような方面でも、何かのファン同士で”一見中傷とは断定しづらい範囲の表現”での揶揄やレッテル貼り/それを”この界隈が置かれている戦わないといけない問題”として日々言及し続けていたり、をよく見掛けたものでした。
楽しい漫画を描かれていた方お元気かなと覗けば、「オフ会でこんな事があった」と告発し、相手と双方の支持者とで淀みの最中におられたりしたのを見てしまった事もありました。

そうしたものと無縁で楽しくやってるよ!という方もおいでではありましょうが、あの場所は、無限に流れ続ける”そうしたもの”と隣接している場所です。
私自身、あの場所に居た頃も出来るだけ関わらないよう自身の前向きな発信だけしたいとしていても、不意に流れてくる勝手な物言いをすぐ見掛けられてしまう場所で、黙っていられなくなって時間と精神を使って反論してしまうような事もありました。
(※言ってみれば、この記事だってそうとも言えます。
ただ、あの場で無限の水掛け論に参加するのではなく、あの場で見た諸々を切掛として外部で考えを整理している形では御座います)

自身の事でない、自身が気にかかってしまっただけの論争ですら、もう離れてしまうのが一番と感じる程に消耗する
そんな無限地獄がXという場所にはあります。
そこに
そんな場所への免疫の無い作家さんが、大切な自作の事できちんと話をした”だけ”のはずが無限地獄に当事者として巻き込まれて、それは最早自身でどうにもならない程の拡散と無限の論争を生んでいって、見知らぬ第三者が”正義”の刃を相手に叩きつけ続けていて、
それは
”もう見ないようにしよう”で済む他人事ではない、自作の事、自身の発信から始まってしまった、どうしていいのか判らない異常なまでの濁流の渦中。どれ程の地獄だったや知れません。

「いや元々は相手が悪いんでしょ」と”第三者”は言うでしょう。
そんな話じゃないんです。
あなたはノーリスクで”正義”を叩きつけて気持ちよくなって終わりかも知れない。
当事者はそうはいかない。

「では”正当な批判”をするなというのか」という話がまた始まるでしょう。答えられるとすれば、それもそんな話じゃないとしか言えないです。

「私は脚本家本人にリプを送ったりしていない」という人も居るでしょう。
あなたが脚本家や原作者の発信を目にしたのと同様、あなたの発信も全世界に公開されています。
そして無限に起きているのはむしろ当事者へ送る以外の場での第三者同士の罵り合いです。

出版社やメディアミックス媒体が”作家”と”作品”を大切にする事をもっと見直す議論自体は、あまりに皮肉にもですが..今後はこの切掛で盛んになるのは良い事ではあるはずです。
ただ、それは会社間及び関係者個人個人の仕事への反映まで含めた正式且つ建設的な契約を伴うものに至らなければ意味がありません。
ネット上で”第三者”がああだこうだと言い争っているだけでは、何にもならないんです。

触れてきたように、芦原さんが命を絶った引鉄は、不意に襲われどうしようもなくなった"うねり"と"地獄"だったと私は思います。
勿論、その前提としての今回のメディアミックスに関する問題だってずっと芦原さんの精神を揺らし続けて蓄積されていた事でしょう。

全部
全部です。
何かの 誰かのせいに簡単にして終わらないでほしい。

ずっとぐるぐる同じことに触れるような記事でしたが、つまりはそういう話であるが故で
そして
私自身の整理でもあったように思います。

◆:書籍作品の映像化というもの

今回の件を案の定、漫画作品の実写化叩きに利用している無思慮な層も散見しました。
(※”映像化全般”、という意見であればまだ解ります)

私個人は以前から、
漫画や小説のメディアミックスとして
実写映像化なら楽しみ/アニメ化警戒派
です。

古くからあまりに「アニメなら安心」などと、そもそも媒体の違う作品への表現替えがどういうものかすら考慮せず、”絵”である事しか見ていないのかと思われる人の物言いが本当に嫌いでした。
実写化で、真摯に原作に向き合い大勢の人が関わって一個の映像作品が出来上がっているというのがどれ程のものであるのかを個別に見もせず、偏見で軽んじる人間が本当に嫌いでした。

見た目だけ似ているアニメ化で原作改変/軽視されている例など幾らでもありました。
生身の役者さんがその”登場人物”を見事に演じ、物語をその圧倒的な空気の中に再現や再構築してくれる実写化作品も幾らでもありました。

勿論逆に良いアニメ化も駄目な実写化もあり、それは個々の作品がどう仕上がったかの問題でしかありません。

この辺りをそれこそXのような濁流の中で論争したいとはもう思わず。

最近公開された、漫画原作の映画『ゴールデンカムイ』が、情報公開時に何の理由もなく”実写化”という事だけで盛大に罵られ其が拡散されと汚泥が広がっていたにも関わらず
実際には大好評を博す作品となっている事を嬉しく思い、そこを起点に”私の好きな漫画実写化作品”の記事を綴ろうかと思っていた矢先に
今回の事件が起きました。

少なくとも
・漫画作品の実写化という、是迄も素敵な作品が沢山生まれて来たメディアミックス自体を問題視するような見当違いな話になっては意味が無いこと
・ドラマ『セクシー田中さん』も、放送に乗ったものはきちんと仕上がっていたこと
・今回浮彫になったのは、”会社間の契約で作家個人が軽んじられる構造が存在する場合があること””その先にSNSのような魔窟に不用意に作家個人を踏み入らせるような事が時にこうして最悪の結果を招いてしまうこと”

これらだけは
どうか間違えないでほしいと強く願う次第です。

◆:私の大ファン作家さんの漫画作品の良実写化

以前、私が長年のファンである田村由美先生の漫画作品『ミステリと言う勿れ』のドラマ化があり、とても良作に仕上がっていてくれていました。昨年公開の映画もとても良かったです。。

丁度その前に同先生の『7SEEDS』が、作画すら弱く内容もダラダラ原作を適当に簡略消化していっているだけのような酷いアニメ化をされており、”アニメ”だから「原作通りなのだろう」という言いようの、原作までその程度だと思い込んだ人の悪感想にげんなりとしたものでした。
正に先述の通りの体験を同時期に、それも大ファンの先生の作品各々で再演した形でした。

実は実写版『ミステリ-』の脚本は、件の『セクシー田中さん』と同じ、相沢友子氏でした。
確かに、一つだけやってはいけない改変がありました。
が、それ以外が非常にしっかり作られており。
熱意を語っていたプロデューサーの手綱か作品全体の質は保たれていて、そのPが企画当初「このキャラを掘り下げたい」と申し出て田村先生も了承した部分で相沢氏が勝手をしたのかなと思われる形でした。
でもそれを放送完成品に通したのならP責任だし..と思うも、結局そこに関しては放送後も制作側出版社側どちらからも触れられず。
私も当初その一点だけは不服を零してもいましたが
作品全体は良いと語りたいという方向に、私はシフトしました。
一点の悪だけに囚われてあの見事なドラマ化の話をしないのは勿体無さ過ぎたのです。
SNSでは改変部分ばかりを言い続ける”攻撃”だけが拡散されやすかったのも、逆に私は言いたくなくなった原因でもありました。

『ミステリ-』の構成は原作の再構築があまりに上手く、これが脚本によるものなら相沢氏は実力はある人なのだろうと感じましたから、『-田中さん』の”制作過程”でもそうした良い面を結実させる操縦も出来たはずでした。
相沢氏の仰る「脚本家の居る意味」とは、原作モノにおいてならそういう手腕のはずです。
放送されたドラマ版『セクシー田中さん』を観る限り、芦原さんの手直しは人物描写の詳細部分を脚本第一稿では歪まされていたらしき事に関してで、各話の全体構成は相沢氏の仕事だったように感じます。
(※大筋原作に沿いつつ、そのままではなく毎週放送のドラマ枠として御話や展開を足し引き組み直してのきちんとした構成の形になっていました。非常に面白かったです。登場人物再現も、田中さんや朱里ちゃんは元より、小西!小西良かったですね..! 彼に関しては見た目は寄せていなかったのに本当に”小西”だったという辺りの演者さんの力もとても良かったです

先述の通り、何の映像媒体でも、脚本家だけで出来上がる訳でも、そこが最大決定権を持っている訳もありません。
脚本家個人を叩いて済む話ではない事は、短絡的に"攻撃"で気を済ませて終わりの人達にとっては思考の範囲外なのやも知れません。

私とて、『ミステリ-』良ドラマ化唯一の汚点に関しては「制作陣として公式に説明なさって..」とは今でも思いますが
(※多分Pの”申し出”と田村先生の”許可[の曲解]”が”それ”として終了されているのでしょうが)、
安易に特定スタッフ個人の名前を出して叩けばいいみたいなのは、本当にネットの悪い層の人達の悪癖そのものでしかない&そもそも全く建設的でないので..

私は『ミステリと言う勿れ』をドラマ化して頂けて本当に良かったと思っています。
折角別媒体展開、今時のきちんとした制作体制ならむしろ個人的にドラマ化や実写映画化の方が望んで観たい表現なんですよね。。

あと
この機会に個人的に、私、松井優征さんの大ファンでもあるのですが
先生の出世作『魔人探偵脳噛ネウロ』の実写化を当時から願っておりまして。
(あの”知らない人はネウロをこんな漫画だと思ってそう”なあまりに捻じ曲がったアニメ化に本当に吐きそうな思いを抱えておりましたので尚の事………….
(その後、新作『暗殺教室』が良アニメ化及び良実写映画化されたのはリベンジ的にも感じたものでした(それはそれとしてネウロ実写は今でも物凄く観たいのでした

❖丁度

下書きを何度も見返し言葉を選びながら
どう締めて公開に移るかを考えていたのですが
丁度先程のワイドナショーで、漫画家の柴田亜美さんを交えてこの件での生の声を色んな人から聞く機会を初めて得て
ここで区切りとして放とうと思います。

業界での、それこそアニメ化でもこんな行き違いや軽んじは多々ある話から入られて、まともに話せなくなるほどの嗚咽を抑えながらの強い言葉、作家 特に漫画家は今回の事に様々な思いを抱えている話もありました。
現場のスタッフや役者さんは全力でその仕事に取り組んでいる訳で、そこに攻撃の言葉を投げたりするのは一切するべき事ではなく、便乗して騒ぎたいだけの人間は全員去れとの怒りを零す場面もありました。
しっかりした素晴らしい漫画実写化も沢山生まれている話もきちんと添えられていて。
個々でなく、メディアミックスを進める上での仕組みの問題であり、未だ過渡期である話にもされていました。

一個だけ、あの説明だと『セクシー田中さん』のドラマ自体が酷いまま放送されたかのように受け取られそうなのは、どの報道もそうなのですがワイドナショーでもそうだったのだけが残念なのですが経緯説明を最低限で終えるとこの形にはなるんですよね..。

インフォメーション.。.:*

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