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インド人の家に招待されました

タージマハルのある街アグラ。玉ねぎみたいな屋根をしたこの巨大な墓以外にあるのは、どこでも見られる野犬と牛の肛門だけだった。インドに来てからこのブログに品の無さが増したように感じるが、これはもうしょうがない。だってここがインドなのだから。

しかし、他の街では味わえないような経験がここで出来た。タイトルの通り、地元のインド人の家に招待されたのである。彼の名前はパンカジ。日本の就労ビザの習得に勤しむ26歳。その為、彼の日本語はとっても上手で今すぐに行っても問題はなさそうなのだが、語学に加えて何か専門的な能力が無いと合格には至らず、この時すでに6回も落ちているらしい。

宿泊していたホステルのお姉さんからの、「私の弟が日本語喋れるから呼んであげるよ」というこちらが望んでもいないありがた迷惑のおかげで、弟であるシバムとその友達のパンカジに出会うことが出来たのだ。彼らと打ち解けるまでずっと心の中で、”日本語を話せるからといって、俺がインド人に会いたくなるわけではないけどな。それなら少しだけ英語を話せるから、相手の都合や気持ちをスルーして日本に来た金髪ブロンド美女に会う機会を貰ってもいいですか????”とか考えていた。流石にこれはナマステであるが。

僕が「デリーのイカれた男たちはインドの恥だ。なんとかせい」と彼らに小言を言えるくらいにすっかり仲良くなった頃、「日本食が食べたいから作ってよ」とのリクエストがあったので、宿のキッチンを借りて親子丼を作ることにした。インドのお米を炊く以外に親子丼を作ること自体は難しくなかったのだが、材料を買い揃える時は地元に住むの彼らの助けなしには行えなかった。その中で驚いたというか印象深かったのは、お肉屋での光景だった。店先に並んで置かれたケージの中で10匹ほどのニワトリたちがおしくらまんじゅうをするように身を寄せ合っており、彼らが寒さで震えているのかそれともこれから首を切られる恐怖で怯えているのか分からなかったのだ。僕はついさっきまでここにあった命を100円ちょいで買った。まだ血のついたその胸肉は、確かにほんの少し前までここに命があったことを証明しており、気のせいかもしれないが温かかった。これこそ本当にいただきますである。インドのお肉屋はこんな感じのお店が多く、ヤギの頭がショーケースに並んだりする事もある。

さて、意図せずして食育を学んだところで宿に戻って調理にかかったのだが、その様子をシバムが撮影し、後日youtubeにアップしていた。小柄な日本人が慣れない手つきで親子丼を作るだけなので面白いことが起きるわけなく、誰も観なくていいのだが、僕が調理器具を洗いながら発した「インドの綺麗は日本の汚い」という言葉にテロップが付いていなかったことには安心した。半分は冗談で言っているので彼らが本気で受け取っていなければいいのだが。もし僕がyoutuberだったらコラボとして彼らを僕のチャンネルに招待し、「インド人を騙して牛肉を食べさせてみた!」とか「左手で握手を強要してみた!」とゴリゴリに倫理観に欠けた動画をアップしていたことだろう。流石にこれには、ナマステどころかガンジーも黙ってはいないはずだろうが(どゆこと)。そして肝心な味の方は、日本の商品ではなくインドメーカーの醤油を使用したためか、下の上の味だった。シバムも「今回はいいが、毎日はキツい」と言ってた。しかし、久しぶりの脱スパイスであったため、カレー味ではないだけ僕には十分だった。

その翌日にパンカジの家に行くことになる。本題までのアイドリングが長引いてしまったが、こういう経緯で地元の人の家に行ったことを記しておきたかった。会ったその日すぐに見知らぬ人の家に行けるのはヨネスケさんか鶴瓶さんぐらいで、僕のような一般的な小柄ゆとり男性には招待してくれた人が本当に信頼できる人なのかを審査する期間が必要なのである。

宿で待つ僕に、パンカジから「あと30分で着くよ」とメッセージを受け取ってから1時間経過し、インドやってんなあ〜と思った頃、バイクで迎えに来てくれた。彼は実家住まいなので、公務員をしているお父さんの建てた家はさぞかし立派なんだろうなあと思っていたが、予想を裏切らない綺麗で広い家だった。お兄さん夫婦を含めた6人家族のパント(名字)家に到着すると、チャイとスナック、そして急にお兄さんのウェルカムソングで盛大に迎え入れられた。彼が一曲目に選んだのはタイタニックの主題歌である「My heart will go on」。きっとお兄さんは、日本人の僕でも知っているだろうとセリーヌディオンのこの曲を選択してくれたのだろうが、僕は入室直後に歌い出す彼を見ながら、決して表情には出さずに、

ーーーーなんで??

と思っていた。恥ずかしくないのかな??とも。そんな礼儀知らずの日本人をよそに、彼の歌は難航することなくサビに入る。「〜〜〜♪」インド人男性には珍しく長髪で柔らかい見た目そのままの美しい声が部屋中を響かせる。お母さんは目を閉じて彼の歌声に耳を澄ます。パンカジはうっとりとした表情で身体を揺らしている。さらに、氷山にぶつかって亀裂の入ることのなかった彼のメンタルは沈むことなく2曲目へと続く。次はインドの曲だと言い、アップテンポで思わず踊り出したくなるような曲だった。この頃には初めちょっと引いていた自分はそこにおらず、歌って踊る彼を目に焼き付けながら、ただただ

”うわあ、インド映画みたいだあ”

と感激するばかりだった。初めから素直に音楽に身を任せてノれば良いのに、本当にめんどくさい人間である。

インド人男性史上最も髪が長い

インド流の歓迎を受けたところで、お母さんから手料理を振舞ってもらった。スタンダードな豆のカレーを、プーリーという小麦粉を薄い円形に伸ばして揚げたナンみたいなものに付けて食べた。ものすごく美味しいうえ、お母さんがわんこ蕎麦の如くカレーを追加し、お姉さんが無限にプーリーを持ってきてくれるのでめちゃくちゃ食べた。僕の皿からカレーが無くなる前に盛ろうとするお母さんに、「もうお腹いっぱいだからいらないよ」と伝えてから3回も注いでくれ、毛穴からカレーが噴き出すかと思うくらい食べた。お母さんはさらに、この後電車に乗る僕にお弁当を用意してくれた。本当に心からナマステである。

まさかここまで手厚いおもてなしを受けるとは思っていなかったので、僕も何かせねばと思い、持っていた画用紙と黒色の絵の具で「あけましておめでとう」と書き初めをしてプレゼントした。干支の説明をしたうえで、ウサギの絵を添えたにもかかわらず、「犬???」「ネズミ???」と要らぬ混乱を生んでしまった事はここで詫びたい。さらに芸術肌なお兄さんは、さらっと描いた僕の作品を遥かに凌駕する絵を描いてくれた。大学の研究員をしている聡明なお兄さん、、、。彼のポテンシャルの高さに、どこでも寝られる以外に何の取り柄もない僕は、ここで一眠りでもして対抗しようかと思ったが、訳の分からない状況になることが安易に想像出来たのでギリ踏みとどまった。日本語ペラペラなパンカジにハイステータスなお兄さん。そんなお兄さん2人を持つ三男はどんな男なんだろうと気になり、この一家がなんか凄いこと出来て当たり前だと勘違いした僕は「三男は何が出来るの?」と2人に尋ねると、すこーしの間から「絵が、、、うまいよ」とのっぴり切らない返事が返って来た。これは要するに”特にない”を意味する言葉であるので、ちょっと彼に申し訳なくなった。

まだまだ歓迎会は続き、謎のルームツアーでお兄ちゃん夫婦の寝室を見させられた。この壁の薄さだと隣の部屋の両親に声が丸聞こえなんじゃないかと余計な心配をしつつ、インド人夫婦は毎晩声を潜ませながら勤しんでいることを知れたのは、あの地球の歩き方にも載っていない情報だろうと思った。

日が暮れて別れの時、家族からヒンドゥー教の神様のお守りと、「母の無償の愛」という言葉を添えられたりんごを頂いた。りんごは砂ぐらいパッサパサだったが、インドの母からの愛で僕の心は十分に潤っていた。パンカジに「ビザ諦めるな」の意味を込めて1000円札を渡したら、パンカジは「もっと勉強を頑張って日本に行き、僕にこれを返す」と宣言した。この千円札が僕のもとに返ってくるのが心の底から楽しみでならない。図らずともワンピースのシャンクスみたいな立場になってしまったので、彼に負けずに僕もまともな人間になっていつの日か再会したい。そして、その頃ならきっと、三男も何かしらの特技を手にしているはずだ。


プロフィール 北村幹(きたむらかん)
1994年生まれ
大学卒業後、都内で保育士として大活躍。
国際協力に興味があり学生時代はアジア、アフリカにて幼児教育のボランティア活動を行い、何年も経った今でもその熱はまだある。
好きな言葉は「源泉掛け流し」と「おかわり無料」。
インスタ:https://instagram.com/kantabiworld

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