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【短編】虚言について

 ウソにまつわるエッセイとも小説ともつかない文章を書いていると、人生で出会ったさまざま虚言たちが蘇ってきた。

 たしかに虚言癖のある人たちは存在する。それは病気なのか、だとしたら遺伝なのか、自分では制御できないのか、そして自分のつくウソを自分でも信じているのかどうか、などの疑問が次々浮かんでくるが、考えてみても答えは出ない。

 まあ結局は、人それぞれと言ったところだろうか。

 たとえば、暴力的な言動で地元の酒場をあちこち出入り禁止になっている、自称ギタリストのコンさんは、初対面のとき「元ボクサーですわ」などと自己紹介した。

 華奢な体からはとても想像がつかずに、へえと思ったものだ。

 初めはにこやかに呑んでいるのが、酔うにつれてしつこく絡んでくるのがコンさんのスタイルだ。しかし、喧嘩はからっきしだから返り討ちに遭い、のこのこ被害届けを出しにいって、相手に慰謝料を払わせたとかいう噂が伝わってきた。

 行きつけの立ち呑み屋で常連と呑んでいて、
「コンさん、また出禁になったってね、それもボコボコにされて」
「自分から喧嘩売って負けるんだから、世話ないよ」
「なんか元ボクサーにしては、弱くね?」
「ボクサー? 何言ってんの、極真空手の有段者でしょ」
「え? 俺には柔道黒帯って言ってたけど」

 こんな風にウソが発覚したわけであるが、ボクサーで統一しておけばバレなかったのではないだろうか。いくら強くないとはいえ、プロとは言っていなかったわけで。

 この種のウソは虚言というより、ワルもしくはワルを気取る者のかますハッタリに近いかと。

 同じ店に、ツンツンの金髪で顔にスミの入った若者が颯爽とやって来た。一見さんだ。常連たちに温かく迎え入れられて、和やかに呑んでいたのが、だんだんと様子がおかしくなってくる(こんなんばっかりや)。なんだか殺気立ってきた。

「おれ、今日出所したばかりや」と胸を張る。
 おかしな雲行きになってきたぞと、自分たちは顔を見合わせた。
「まあ、ションベン刑やから、自慢にもならんけど」
「ションベン刑とは何か」
「2〜3年で出られる刑や」
「ふーん、失礼だけど、何をやったのかね?」
「殺人未遂や!」
「えーっ!」と一同ドン引き。しかし、殺人未遂でションベン刑とはね。
「本当かい?」「ウソでしょ」などと当然の疑問を発した者がいたが、これはホラ吹きに向かって言ってはいけないセリフではないかな。ウソを指摘されると、ますますいきり立つ。
「ウソじゃねえって、ニュースにもなったんだからよ! ボコボコにしてやったからな。オレはケンカに負けたことがねーんだ。腕相撲やらねーか」と、鼻息荒い。
 彼が殺人未遂罪と傷害罪を勘違いしているのではないかという疑問はさておき、周りは初老、良くておっさんばかりで、元気ハツラツの20代と力比べなどできるわけがない。
「ニュースに出たって、じゃあ名前を検索するとヒットするね」
 ああ、一番余計なことを口にしたのは、自分だったかもしれない。頬に刻まれた稲妻形のタトゥーの上の、吊り上がった細い目が鋭くめつけてくる。
「じゃあ、名前を教えてやるよ」
 どうぞ、と自分はスマートフォンを取り出した。
 無言のうちに緊張を孕んだ時間(5秒? 10秒?)が過ぎて、やがて携帯をしまう。
「ま、やめておこうよ」
「あんた、なんて名前だ?」
 ウソではなく本名を名乗って、二人は仲直りの握手をした……が、思い切り力を込めてきた。別に痛くもなかったけれど。

 彼がようやっと去ったあと(今にも帰りそうでなかなか帰らないのだ)、あちこちで安堵のため息がもれ、緊張に身をすくませていた者は安心のあまりしゃがみ込んだりもした。
「いやー、恐ろしかったねえ」
「いや別に」と自分はウソをついた。

 彼がウソをついたのか、話を盛っただけなのかはわからないけれど、アルコールは人の気を大きくするので、前者ではないかと思っている。かと言って人畜無害とはとても思えず、少年院ぐらいには入ったことがあるのかもしれないが、それも単なる想像だ。

 虚言というのは、こういうハッタリや脅し、単に虚勢を張るということとはちがって、なんかこう、もっと想定外の、滑稽でありながら、ペーソス漂うウソなのではないのかな。

「チェ◯シーってあるだろ。ほら、子どもの頃、CMやってた、バタースカッチキャンディ」
「ああ、金髪の小さな女の子がニッコリ笑って、『あなたにもチ◯ルシーあげたい』って言う」
 天使のようなあどけない女の子、古く懐かしいTVコマーシャルだ。
 安酒場のカウンターで隣の会話がふと耳に入ってきた。薄汚れた作業服に無精髭、自分と同世代の労務者風のおっさん二人が酒を酌み交わしている。

「俺さ、あの子とセックスしたことがあるんだよ」
「おまえ、ウソつけよ。外国人だろ」
「いやさ、パリに行ったことがあって、その時に知り合ったんだよねー」
「ウソだ、絶対にウソだ!」 

 そういうシンプル過ぎるツッコミもどうかと思うぞ。かと言って、自分ならどう答えるだろうか、気の利いた答えが全然思い浮かばないが。てか、呑む相手を選んだ方が良い。

 ふと、こんな虚言を思いついた。
「◯大ハンバーグってあるだろ、ほら、子どもの頃、巨人が出てくるコマーシャルやってた。巨人が子どもたちに『大きくなれよ』って言うんだ」
「ああ、ハイリハイリフレハイリホーとかいう歌のやつね」
「俺さ、あの巨人に子どもの頃、レイプされたんだよな……」

 虚言に対抗できるのは、虚言だけかもしれない。

 酔いも手伝ってどうやら自分を制御できないようで、男は真面目な顔をして淡々と嘘八百を並べ続けたが、最初のウソがインパクトありすぎて、後は覚えていない。会社の同僚で虚言癖の持ち主である油小路くんと知り合う前だから、その頃はそれほど虚言に興味がなかったのだろう。まあ、他人事である。

 金融危機で会社が傾きリストラされ、次の仕事が決まらないまま給付金も打ち切られて、工事現場の職人の手元をしていたとき、元は高校教師のセナさんという50がらみの男と知り合った。なぜ辞めたのか、あるいは辞めさせられたのか、気にはなったけれど、こういう現場ではその種の過去の話はタブーであった。

 先生をしていたと言うだけあって、およそブルーカラーらしくないディーセントな方であったが、その実とんでもない虚言癖の持ち主であった。だから、高校の先生という経歴も本当かどうか怪しいけれど、どこか品の良さが漂い、言葉使いも丁寧なのである。

 休憩時間、喫煙所で煙草をくゆらせていると、決まって向こうから話かけてくる。まあ、こちらも大概浮いていたので、話をしやすい相手だったのだろう。
「崎宮みどりってご存知でしょうか?」
「ああ、女優の」
「そうです、そうです、実は教え子でして」
「へー、凄いじゃないですか」
「今も文通してるんです」
「文通……ですか(この時代に?)……へー、凄いじゃないですか」
 他に答えようがない、ような気がした、その時は。
「とても良い子なんですよ」と目を細めるのが、いかにも恩師らしい。
「ああ、そうでしょうねえ」

「末広温子ってご存知ですか?」
「知ってますよー。まさか彼女も教え子ですか?」
「いえいえ、そうではなくて、姪っ子なんですよ」
 姪っ子……あのタレントのおじさんがこんなところで、酷暑日も雨の日も雪の日もキツい肉体労働に従事しているのか。
「へー、凄いですね」こればっかり。
「ああ見えて、小さい頃はとってもやんちゃだったんですよ」そう言って、いかにも優しいおじさん風に微笑むのである。
「そうでしたかあ」

 どうやらセナさんは、身の回りを美人有名女優で固めたいらしかった。いや、妄想力と虚言により実際に固めていたのである、頭の中で。

「ところで、高吉バラ子って、ご存知ですか?」
「まだ、あるんですか」
「彼女はね、ぼくの大切な大切な可愛い姪っ子なの」
「ちょっと待った、この間、末広温子が姪っ子って言ってましたよね。あなた、たしかにそう言ってましたよ」
「それはね、温子ちゃんは妹の娘、バラ子ちゃんは……(考えてる、考えてる)……弟の奥さんの妹……じゃなくて、娘、そう娘」
 待てよ、そうなると、温子ちゃんとバラ子ちゃんは姻戚関係になるのか、などと考えてみるのも馬鹿らしい。

「セナさんね、ちょっと珍しい苗字ですけど、作家の瀬名秀明さんっているでしょ、ほら『パラサイト・イヴ』がベストセラーになった。ひょっとしたらご親戚ですか?」
 実はこれはひっかけであって、瀬名は出身地に由来するペンネームで、たしか本名は鈴木さんであったはずだ。
「いや、その方は知りませんな」
 そこはひっかからんのかい! 男性の、それも作家には興味がないからなのか。
「そーではなくて、F1レーサーのアイルトン・セナさん、もうお亡くなりになりましたが、あの方は遠い親戚だと聞いております」
 ここまでくると、もうビョーキでしょ。ネタにしてはいけない方なのかもしれないが、臨床例として書き留めておく。
 ウソのような本当の話。

(了)

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