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【エッセイ】捜神記私抄 その十七

火星人にまつわるエトセトラ
 すっかり忘れてました。何をって? 『捜神記』のことを。仕事は忙しいわ、睡眠は不足するわ、失恋した稲荷山先輩は頻繁ひんぱんに電話してくるわ、休みには酒は飲みたいわ、盆休みには山に登りたいわ、稲荷山先輩が解雇されるわ、時間があれば積読本を消化したいわ、そんなこんなで、すっかり『捜神記』のことを忘れてました。

 まあ、別にそのまま忘れても痛くも痒くもないわけですが、まだまだこの中国古典説話集には、面白い……というか、ビミョーな話があるので、紹介したいと思っています。今回は巻八(通算)第235話『火星の少年』です。

はじめ、呉王朝は国を建てたばかりで、君臣の間の信義も薄かったため、辺境の守備隊の将校は、みな妻子を人質として都においた。これを保質童子という(保湿童子ではないので、間違えないように)。これらの子供たちは、同じ境遇の仲間が集まり、毎日十数人も連れ立っては遊んでいた。
第三代景帝の永安三年(260年)の二月というから、寒風の吹き渡る保湿が大切な季節、その中に一人の異様な子どもが出現したというのである。

第235話『火星の少年』

 市の立つストリートで、かくれんぼや鬼ごっこに夢中になっていた童たちの一人が、ふと振り返ると、見知らぬ男の子が物陰からこちらをじーっと見つめている。

「あれ、誰かな? 見たことない顔だけど」
「新しく来た子じゃないか?」
「おーい! こっち来いよ、いっしょに遊ぼーぜ」

 凍てつくような寒さで、子どもたちは皆、アカギレやシモヤケがあったのに、見知らぬ子どもだけはお肌がすべすべでしっとりしていたという。

「君はどこの子なんだい、今日ひょっこり来たけど?」と尋ねると、
「君たちが楽しそうに遊んでいるんで来ただけさ」と答える。
よくよく見ると、眼は鋭く光って、らんらんと人を射るようである。そして、肌はあくまでもすべらかであった。子どもたちは怖くなったので、もう一度同じことを尋ねると、
「君たちは僕が怖いのか? 僕は人間じゃあなくて、火星人なんだよ」と答えたから、子どもたちは肝を潰した。

 この子が言っているのが、故細木数子先生の六星占術の火星人のことでなければ、この説話は人類最古、少なくともアジア最古のSFということになるんじゃ……。たしかに、「僕は人間じゃない」と言っているし。

 帝政ローマ時代のルキアノス『本当の話』ほど古くないかもしれないが、本邦『竹取物語』の成立よりは以前であるようだ。しかも、上記二作が身近な月にまつわるもの(月世界旅行と月からの訪問者)であるのに対して、本作は火星人という設定がユニークである。H・G・ウェルズの『宇宙戦争』(1898年)に1600年程先立つ、火星からの訪問者である。下調べして、トライポッドでも地中に仕込んでいたのかもしれない。

なんか壮絶なネタバレのヴィジュアル
トライポッド。歩きづらいだろ!

 でも、どうして水星でも金星でも木星でも土星でもなく、火星なんだろう。そういえば映画でも、『ミッション・トゥ・マース』とか『レッドプラネット』などがあり(『ミッション・トゥ・ビーナス』、『シルバー・プラネット』なんて聞いたことがない)、最近では『火星の人』というSF小説がベストセラーになり、映画化された。そのほか、『ブラボー火星人』、『火星人ゴーホーム!』など思いつく。いや、もう飽きたわ、マジでゴーホーム!と言いたくなるような火星人ラッシュの原点に『捜神記』があったとはね。

 でもなぜ、火星人ばかりなのか。国立科学博物館のHPによると、1877年にイタリアのスキャパレリという天文学者が火星に筋のような模様を発見しカナリ(水路)と名づけたものが、キャナリ(運河)と訳され、アメリカのローウェルたちが人口運河だと主張したとか。このローウェルという方、何度も訪日して、御嶽行者やら憑霊やらを研究している(邦訳あり)。観測図が酷すぎたせいで、飛蚊症だったのではないかという仮説まであるという。

おなじみ想像上の火星人

 運河をつくるぐらい知能が高いから大きな頭、重力が軽いから細い手足というような安易な発想で、タコ型の火星人が想像された(胃と腸と肛門と生殖器はどこだよ? あっ、触手か!)。ウェルズがオリジンなのかどうか調べても分からなかったが、彼の小説によってこのイメージが定着したことは間違いないようだ。

 そんな火星人ラッシュの遥か以前の三国志の時代にだよ、タコ型でもリトルグリーンマンでもない、子どもの火星人が訪中していたとはね(もちろん、地球人の姿に化けているだけの可能性もあって、中身はタコかもしれん)。

 それはともかく、『捜神記』に戻ると……。

「実は知らせたいことがあるんだ……」火星からの訪問者が言ったので、みんなは息を呑んで待ち構えた。
「三国は司馬氏のものになるぞ!」

 それは、いわゆる三国時代の呉、魏、蜀漢が滅びて、司馬炎が晋王朝(265年〜420年)を打ち立てるという予言であった。

 子どもたちは失望して、口々に暴言を吐いた。
「わざわざ火星から来て、結局予言かよ!」
「そーだ、そーだ、他にやることないのか? 侵略とかしてみろよ!」
「ガッカリだよ!」

「君たち、さようなら」そう言うなり少年は、身をちぢめ躍りあがったかと思うと、姿を変えた。ふり仰いで見れば、タコ……ではなく、白い絹の布が長く尾を曳いて、天へと上ってゆくように見えた。これじゃ、凧だよ、とんだタコ違いだよ! あとから駆けつけた大人の目にもまだ見えていたが、ふわりふわりとしだいにのぼって行き、やがて姿を消した。

「あーあ、なんかつまんねーの」
「かくれんぼ、しよーぜ!」
「わーい!」

(了)

 念のために言っておくと、原典では、予言を聞いた子どもらは、一応慄然としているようです。

 ちなみに、私にとって火星人とは、こちら。

 脳神経学者オリヴァー・サックス先生が脳の不思議に挑む医学エッセイ7編。表題作は、アスペルガー症候群、今なら自閉スペクトラム症と診断されるような女性の話で、人の気持ちが全くわからない一方、動物に関心を持ち、牛にストレスを与えないような屠殺システムのアイデアを実用化したりする。火星の人類学者というのは、とにかく人のことがわからないので、彼女が人間研究のためにノートをつけていることに由来する。

 そういえば、チョムスキーにも『火星から来たジャーナリスト』というエッセイがあって、忖度なしに米政府を批判してたな。

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