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私と未来① ~8年後と思っていた離婚を、どうやって半年後に短縮できたか~

2年前、私はいずれ独身に戻ろうと決めた。その未来像を想像すると、希望がいっぱいだった。

当初、実現するのは8年後くらいかな、と考えていた。夫名義で住宅ローンを借りていて、戸建てのため既に上物の価値はかなり落ちていると予想されるので、売った時にプラスマイナスになるのは8年後くらいと考えられたからだ。また、娘二人と私が出ていくと提案しても、夫はこの家に一人で残りたくないと言うだろうし、夫の収入でこの家の毎月のローンや固定資産税、メンテナンスが必要になった時の費用を払うのは厳しいだろうと思った。

しかし、いずれ離婚すると決めると、その相手と一緒にいるのが非常につらくなる。きっかけとなる大きな事件があったわけではないが、別れたいと思うには16年間積み重なってきた理由が沢山ある。さらに実は長女も、父親と離れることを、だいぶ前から強く望んでいた。長女は一人の人間として、私の大きな支えになっていた。

とりあえず、今考えられる行動を精一杯していこうと思った。まず、収入を上げる必要がある。すでに働いている薬局の自分の休日に、月4~5回小児科でバイトを始めた。

また、住宅ローンを私名義に変更できるか銀行に話をしてみた。しかし、当時借りていた銀行では名義変更は出来ないと言うので、他の大手銀行に借り換えが出来ないか聞いてみた。そこで分かったのは、今現在借りている銀行で名義変更をして、半年間滞りなく返済したのを確認しないと借り換えは出来ないという。しかし、その窓口の人が教えてくれた。地方の信用金庫なら、個人に融通が利くところが多いみたいですよと。そこで、信用金庫と名の付くところに聞いてみた。私のような条件でいきなり借り換えは出来るかと。電話口の方は、「たぶん大丈夫だと思いますよ、というかこちらこそ是非」と言ってくれた。私の年収、今の住宅ローン残高で借り換えが可能と分かった。今すぐにではないが、また必要な時にお願いします、と信用金庫を後にした。

この家に私たち三人が残ることが可能と分かった。そして、離婚は1年半後かなと思った。なぜ1年半か。次女が当時小学5年生で、中学生になれば、精神的に大人の強さも出てくるのではと思ったからだ。また、長女のバレエに年間100万くらいかかっていたので、今すぐそれを一人で抱えるのはキツイと思った。

しかし1年半後と思うと、さらに我慢できなくなり、今の生活が本当につらくなってきた。そもそも次女が中学生になってからと勝手に思っても、その間の夫婦の微妙な人間関係を見せるのもどうかと思うし、それよりも私が前に進む姿を見せる方が良いのではないかと考えた。そこで次女を信じて、私は思っていることをそのまま、私の言葉で彼女に説明した。

私が小児科でバイトを始めたのと同じ頃、当時15歳の長女もバイトを始めた。一度働いてみたかったのと、自分のバレエの出費があるために、このままでは母親が離婚を決断できないと思ったそうだ。私はシュミレーションしてみた。自分のメインの薬局と小児科からの収入、長女の収入、三人になった場合の出費。私は、夫からは養育費はもらわないと決めていた。とにかくスムーズに離婚に持っていきたかったのと、お互いの収入からの養育費の相場は2~3万円にしかならなかったのと、養育費を通してこの先も相手の存在を意識するのが嫌だったからだ。

シュミレーションの結果、離婚できると判断した。そして、離婚話をする日程も決めた。私は確実に実行できるよう、何人かに宣言した。この人に話しておいて実行しなかったら、カッコ悪いと思われるだろうな、と言う人を選んで宣言した。その頃、次女がささやかなクリスマスプレゼントと共に、私にこんなメッセージカードをくれた。「今年もそろそろ終わりだね。ママの勇気ある決断、おうえんするよ!!いつも相談にのってくれてありがとう」私は必ず実行すると決めた。

夫は、私が言い出したらもう覆らないだろうと感じたのだろう、離婚の申し出を受けてくれた。ここ数か月の私の態度から納得したかもしれないし、夫の性格上、”養育費無し、住宅ローンは私が負う”こともポイントだったかもしれない。

私は相手を責めたり、捨て台詞は言わないと決めていた。今までの結婚生活は全く否定するものではないし、楽しいことも沢山あった。しかしこの先の結婚生活が全く想像できない、という内容を伝えた。

この日から約1月後に離婚が成立した。これが、8年後と思っていた離婚が半年後にできた大まかな流れだ。

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