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お白湯のこと

寒くなってくると毎朝のお白湯が楽しみになります。

でも、今年の夏は朝のお白湯をやめました。

理由は気温がとても高くて
体の中にいつも熱がこもった感じがあったからです。
そしてその間は湯冷ましに変えました。

私の毎日のリズムをつくる習慣
状況に応じて臨機応変に続けました。
温度も量も自分が心地よいというところ
飲むというより、口に含むだけにした時もあります。


今日はカルダモンをいれました


漢方の先生が
「みんなが毎日お白湯を飲む必要はない」
とSNSで書いてらっしゃったのも
自分の感覚を信じて、これでよいのだな、と思うことに繋がりました。

私たちは毎日変化しているのだから
それは自然なことですし
それに、あぁ、そこには無理がないなって思いました。

春に生薬について学んだ先生が
先日やはり書いていらっしゃったのですが
体に良いとか効能がとか情報で頭でっかちになると
私たちは「薬効」を考え
「正しく」「取り入れること」に一生懸命になって
大切なことを見逃しがちに。


その先生も生薬について一生懸命学んでいた頃
とにかく症状にあわせてこれあれせっせと取り入れたそうです。
ある時、漢方の薬局で生薬を手に入れようとしたら
「あなたに必要なのは生薬を摂ることじゃなくて”休む”こと」と言われ
生薬を売ってくれなかったそうです。
大きな気づきだったと書いてらっしゃいました。


内側の不安や周りの騒音から退いて
むさぼることをやめて足りていることに目を向ける
これはそういうことでもあるのだろうと思います。


ガラスのポットが割れてしまったので
手元にあるステンレスのミルクパンで


習慣にしていることって
結構、無意識に流してしまっていたりします。

ポットやパンを火にかけること
カップを用意すること
今日はこのくらいの量で・・・など
意識してその時間を楽しむと
それはヨガ・瞑想の練習と全く同じです。

今日の体調に目を向ける機会になりますし
良い悪いでなく
毎日変化していることにも気がつきます。

そんな時
やはり「空間」が私の中に
そしてその場にも開くのがわかります。

マインドフルは目的ではなくて
そして手段でもなくて
それは眼差しの方向
豊かになる工夫かなと思います。

私たちの日常が豊かになる眼差しと工夫。

そしてその工夫の機会は
私たちの日常のはしばしにいつもあります。