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進むことを楽しめるか

仕事で広告に関わって、3年が経とうとしている。

大学の専攻とは全く違う業界に飛び込み、ひょんなことから配属された部署。そこでの仕事は最初はすごくきらきらしていて、毎日が新鮮で楽しかった。就職活動で志望していた仕事とは違ったけれど、まぁ、この業界も悪くない。いつしか、そう思うようになった。

入社して最初に覚えたのは、グラフィックソフトの使い方だった。デザイナーがいても自分で簡単な作業は出来たほうがいいから、と教えてもらったそれは、新鮮で面白かった。最初はチラシの矢印を移動させるところから始まったのに、気づけばチラシそのものやバナーを作るようになっていた。自分で考え、自分の手で何かを作り出す喜び。仕事でそんな思いができることに、毎日胸を高鳴らせていた。

それでも、周りが見えるようになってくると、「正解」のない広告の難しさに打ちひしがれた。何が良しとされるかはクライアントや消費者の「好み」による部分が大きく、同じ人でもその「好み」は状況によって、日によって変わる。ゴールを目前にひっくり返ることも、自分の出したものがめちゃくちゃにけなされることだってある。制作に終わりもなく、どこまで突き詰めるかは自分で決めるしかない。しかもそれが正しかったかどうかは、全てが世の中に出された後でなければ分からないのだ。

つくづく難しいものだと思う。残酷だとも思う。作ることが苦しい、と思い始めると街中にあるポスターや映像が私には眩しすぎて痛い。

これを作った人はみんな、報われているのかな。

綺麗に整えられた広告の前で、ぽつんと立ち尽くしてしまいそうになる。微笑む女優の表情は、何パターンもあったはずだ。あのコピーは、二転三転しているはずだ。これをすべてそろえてくみ上げた人は、徹夜しているかもしれない。でも、その苦労は広告からは溢れていない。すべてを包み隠して、凛と、美しく、そこにある。

人をはっと引き付けるコピーがある。頭に焼き付いて離れないグラフィックがある。作る側にとっては難しくて残酷でも、それができる広告はやはり面白い。そう思いなおして、何とかここまで進んできた。

この間、新入社員を前にした講義で「仕事で楽しいと感じることは何か」と尋ねられた。マイクを握って、そう考えもせずに答えていた。

「ものを作ったり考えたり、そうするうちに自分が前に進んでいることです。新しいことが出来るようになるって、すごく楽しいですよ」

すぐに出た言葉だ。本心、だと思って良いだろうか。

楽しさは伝わるのだ。落ち込んでも、疲れても。思い出せ、作り出す喜びを。

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